短編集(病気・事故系)

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夏の木陰

    「苦しいですか、苦しいですよね。我慢しすぎないように、何かあったらすぐコールを」
     もしかすると……。
     彼は私の顔を記憶してないかもしれない。じっくり視線が合ったことがない。


     山本定医師が私のベッドの傍に来て、看護師に渡された何かの書類に、目を走らせている。
     笑いもしなければ、怒りもしない。

     胸のポケットに止めてある名札に、山本という大きな文字と、定という手描きの小さな文字。
     なんと読むのか知らないけれど、『定時で帰る医者』?という意味だったりして。
     そんなわけないか。
     名前なんだろうけど、なんて名前なのかな……。


    「お母さんにも来てもらいますけどね、弓田(ゆみた)さん、状態はよくありません。今日の午後、個室から無菌室に移ってください」
     あえて感情を込めずに話しているのだろうか、言葉には何の抑揚も無い。
     私は黙ってうなずいた。
     1分もかからない回診は終わる。
     少し寂しい。

     今朝は、初夏の眩しい光がカーテンを通して、ベッドの上を輝かせていた。


     さて、いつも思う疑問。
     この病院は良い病院なんだろうか。

     私の答え。
     小さい頃からずっと入院していて、もう10年くらいここにいる。もう病院に住んでいるような感じ。
     だから、ここが良い病院かどうか、比べたことが無いのでよくわからない。


     このお昼ご飯を食べたら部屋をお引越しらしい。
     ベッドごと起こしてもらって食事を取る。
     その時、ふと窓の向こうを見る。
     カーテンを開けてもらったので、大きな木が何本も見える。

     去年くらいまでは、よく窓から下を見下ろした。今ではもう立ちあがって見ることができない。

     たしか大きな木々の生えている地面は病院の裏庭で、ベンチが二つおいてあるはずだ。夏は涼しく、冬は日が当たらず極寒らしい。
     お昼頃に見下ろした時は必ず、ベンチに山本定先生の姿を見つけることができた。
     ぼんやりとしてたり、本を読んだりしてる丸い背中があった。


     もう一度質問。この病院は良い病院なんだろうか。
     お母さんが言うには、良い病院だそうだ。
     ただ『担当のお医者さまがねぇ、もう少しちゃんとした先生だったらねぇ』……といつも愚痴を漏らす。
     じゃあ、山本定先生は、ほかの先生よりよくない先生なのかな。

     私の答え。いいえ、それは違う。
     なぜなら、先生が回診に来てくれると、すごく嬉しいから。
     お母さんが来てくれる時と同じように嬉しいから。
     それってもう、いい先生だと思う。


     コンコンと咳が出た。
     そばにいた看護師さんが、パッと私の顔を見る。
    「大丈夫?」
    「はい、これくらい何とも」
    「そう、苦しくなってしまう前に、すぐに呼んでね」
     改めてコール用のスイッチを手に握らせる。
    「あの……」

     私は看護師に手鏡を取ってもらった。
     優しい笑顔で私を見ながら、女性の看護師さんは個室から出て行った。

     手鏡を持ってはいるけれど、その鏡の中には綺麗な女の子はいない。
     子供の頃から男の子みたいなゴツい顔をして、鼻はぺちゃっと押しつぶされ、目は小さく、歯はガタガタ……。マスクやチューブまでついちゃって、可愛らしい所が1%もない私。
     最近は髪も薄くなって、いよいよ病院イチの不美人に認定されそう!
     会社帰りの母でさえ化粧が残っていて女らしいのに、18にもなる私に女らしさのカケラもないなんて、ちょっぴり嫌になるよね。

     でも、愛想笑い一つしない山本定先生も医者らしくなくて、いいじゃん。
     親近感がわく。先生は先生の道を行ってる。
     それにならって、私は私の道をゆく。ブサイクだとしても、そんなこと全然気にしないのだ~。


     だけどね、山本定先生がベンチで背中を丸めて眠ってるっぽい姿を見た時のことが、時々思い出されるんだよね。
     わざわざ病院の裏庭で、一人きりになるのはどうしてだろう。


     私は一人空想する。

     化粧をした私が、ベンチで寝入る先生を揺り起こす。
    「先生、眠いのならひざまくらをしてさしあげますよ」
    「へぇっ! ひょえっええ!?」
     言葉にならない声を口から噴き出す山本定先生。そして目を皿のようにして、私の顔をじっと見る。

    「先生、やっと私の顔見てくれた」
    「誰?」
    「弓田です。……弓田……み」
    「弓田みりなちゃん? 化粧した顔見たの初めてだ……」

     ふふふと私は笑ってから、先生の隣に座り、どうぞとひざの上をすすめる。
     先生は困惑しながらも、エロい笑いを浮かべて、私のひざの上に頭をのせる。
    「先生、私の名前覚えててくれてるのね。たくさんいる患者の名前を、どうやって覚えてるの? 丸暗記?」
    「患者さんの名前……? ていうか、みりなちゃんの名前はすぐ覚えたよ……」
    「すぐ? 私は特別だった?」
     私はそっと先生の髪を撫でた。

     先生は気持ちよさそうに目を瞑り、眠りそうになっている。

     お疲れさま。そのままゆっくり眠って良いのよ。
     私にできるのはこれくらいのこと。
     私の名前を覚えていてくれてありがとう。

    「先生の名札の定っていう文字、どういう意味ですか?」
    「ん? これはね……」
     そこで先生はクスッと笑って聞き返す。
    「そんなこと気にする?」

    「うん、そんな何気ないことが、私の日々の謎で。……いつか尋ねる日がくることを楽しみにして……」



     無菌室に入った私の体は、結局その日の夜には急変して、動かなくなっていた。
     私の傍ではずっと山本定先生が手を握ってくれていた。
     そして、私の頭に手を伸ばすと何度もなでてくれた。
    「がんばったね。お疲れさま」
     先生は私に言ってくれた。
    「ゆっくり眠っていいんだよ。僕はできるだけのことはしたはずが……結局なにもできなかったな」

     先生はふと私に伸ばしていた手をひっこめ、自分の名札を外した。
    「今日、昼間にうたたねをしたんだ。もう夏で……外はとても気持ちがいいから……。そしたら、君が入院したばかりの日の事を夢に見てね」

     私の顔の前に、チラと名札をかざして見せてくれた。

    「最初の日に君は聞いてくれたよね、その定っていう字、なんでついてるの?って……」

     え、そうだったっけ?



    「もう1人山本先生が皮膚科にいらっしゃるから、区別をつけるために名前の定(さだむ)まで書いてるんだよって答えたんだよね……。僕なんかとっつきにくい堅物だから、気にしてくれたのが嬉しかったな……」

    「だから僕も君の名前はあっという間に覚えたんだよ」



     ふふ。忘れてた。
     そういうことだったなんて。

     またいつか眠りかけの先生に会いに行くね。
     夏の風となって。





    <END>



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