短編集/青春・学園モノ系

ストーブ 前編

     冬の間、教室ではガスストーブの燃焼する低い音がBGMになっていた。
     田舎の古い公立高校なので空調などない。暖房器具と言えば、生徒が頻繁に出入りする広い教室に、ストーブが一台きり。しかも音は大きいが、その性能では生徒全員を暖めることはできない代物。
     静かな授業中に、ガスストーブの孤独なうなり声が響き続ける。

     佐久間孝祐(さくまこうすけ)の隣の席に座る北尾有弓(きたおあゆみ)は、試験が近いとあって必死で先生の配るプリントに見入っていた。
     彼女はとにかく夢中でプリントに線を引きまくっていた。要領が悪く、一つのことに集中するとほかのことに気を配れない性質なので、プリントに集中している今は何をしても気づかないと思われた。佐久間は北尾の頭に紙屑を放り投げた。
     何かを感じて明後日の方向をキョロキョロと見ている北尾の姿を見て、佐久間は笑いをかみ殺した。
     バタバタと無駄な動きをする北尾を見ていると、良い暇つぶしになった。
     佐久間は、不思議そうにポカンと口を開けている北尾の顔を見ながら、ついふざけた妄想をするのを止められなかった。

    「あんなにがんばったのに、なんで2点なのよー!」
     屋上で絶叫する北尾。
    「バカみたいにプリント丸覚えしようとするから2点なんだよ。10枚もあんのに」
     佐久間が腹を抱えて笑う。

     そんな未来は、1週間後確実にやってくるだろう。

     その日はテスト前ということで短縮授業になっており、午後の授業は無く、クラブ活動も禁止になっていた。
    「ねえ、佐久間くん」
     屋上で絶叫する予定、いや確定の北尾が、意外にも佐久間に話しかけてきた。
    「水曜から試験だよね? もうカンペキって感じ?」
     佐久間は返事をせず、意味が分からないという顔で苦笑した。ちょうど「おい、サク」と呼ばれたので、そちらへ顔を向けた。
    「今、行く」
     佐久間が立ちあがろうとすると、やけに小さな手が彼の袖口を引っ張って離さない。
     北尾が彼を恨めしそうに見て「まだ話し中なんだけど!」と、膨れ面をした。
     自分の行動を遮られ、佐久間はムッとした。
    「テスト勉強なんてやってねーよ。必要なことと、気になったことだけ覚えてれば、生きてけんだし」
     そう佐久間は言い、仲間の席へと移動した。
     北尾というヤツは、この教室にあるデカくて無意味なストーブのようだと佐久間は思った。必死で働いても大した効果が無いのに、それでも無駄に足掻いている。

     佐久間は試験のための勉強はしなかったが、勉強を全くせずに常に上位の成績をとっている、というわけでもなかった。
     一応問題集には目を通す。覚えておくべき事の重要性を、順序立てて解説してあるからだ。
     時々雑談が混じり、話が前になったり後ろになったりする教師の授業を聞くより、余程確実に大事なことだけを覚えられる。
     大体、試験範囲の内容を改めて10ページのプリントにして配布する教師は、生徒を混乱させているとしか思えない。教科書とプリント、どっちを覚えればいいのかわからない生徒だっているのだ。北尾のように。

     明日は試験初日、という日、佐久間の隣の席が空いていた。
     北尾のくせに試験前に休んで大丈夫なのか、と佐久間は横目でその机を眺めた。
     すると担任が困った顔をしながら言った。
    「えー、北尾さんはインフルエンザらしいです」
     “インフルエンザ”という言葉に、クラス中がどよめいた。自分に感染していないだろうかという、迷惑ムードが充満している。
     佐久間はぼうっとした顔で立ちあがった。
    「オレ、病院行ってきます。なんか昨日から気分が悪いんで、うつってるかもしんない」
     クラスの皆が、一瞬、静まり返った。
     試験直前にクラス内で二人もインフルエンザにかかった生徒がいるという事実に恐怖していた。
    「わかった。家には電話しておく」
     担任の言葉に、佐久間は軽いカバンを背負って教室を出ていった。


     もちろん、気分が悪いというのは嘘だった。
     ただ面白くないから帰ろうと思っただけだ。
     しかし、目の前に広がる情景を見て、佐久間は一抹の不安を感じた。
    「これってマジやべーんじゃない?」
     電車や道路で見かける人が皆マスクをしている。さっさと帰らなければ本当にインフルエンザに感染しそうだ。地元の内科の前を通りかかると、何人ものマスクをした患者が出たり入ったりしている。
     佐久間は、黒ずんだインフルエンザ菌が内科の自動ドアから漏れ出しているような気がして、怖くなって足早にその場を去った。いや、去ろうとした。
    「サク?」
     そう、近くで呼ばれて、驚いて振り返った。
     顔半分マスクで覆った、インフルエンザ菌そのものがそこに立っていた。北尾だった。
    「き、北……。なんでここにいるんだよ。家で寝てろよ」
    「退屈すぎて漫画買いに来たんだ。ちょっと熱あるくらいだし、平気だよ」
     佐久間が思っていたよりも、北尾は元気そうだった。
    「おまえ、このあたりに住んでんの?」
    「え? 同じ中学じゃん」
    「……そうだっけ?」
     佐久間は眉間にしわを寄せ、記憶を手繰ったが、北尾のことは思い出せなかった。
    「あ、そうか、オレ、中学の記憶末梢してるから、覚えてねーや。ごめんごめん」
    「テキトーなこと言って逃げるなよー」
     北尾は笑った。
     目だけ見ていると、少し熱でうるんでいて、顔も赤く、小さな子どものようだ。
    「おまえ、オレにぜってーうつすなよ、離れろよ」
     しかし、佐久間の言葉は完全に無視された。
    「サクは、サボり?」
    「まあ、そうだけど。ってか、さっきから、なんでサクって呼ぶわけ?」
    「中学んとき、ずっとそう呼んでたから」
     ますます、佐久間は焦って額を手で何度もこすった。こんなやついたっけ? やっぱり思い出せない。
     そんな困り果てた彼の様子を見て、北尾は言った。
    「ふふ。実は声には出してない。心の中で呼んでたー」
    「え?」
    「ホントはこーやって堂々と呼びたかったんだよ」



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