短編集/コメディ系

残念なキューピッド 前編

     今日の分の仕事を終えたので、活動報告書という日誌のようなものを書いていた。
     課長はもう退社してしまったからこれを提出してさっさと帰ろう。もう6時じゃねーか。ビール飲みてえ。隣で何か呟いている男は放置だ。
    「なあ、大野ぉ」
     隣の男はオレの肩をつつく。
    「黙れ、大野サンだろーが。後輩のくせに」
    「あれ、僕、同級生の広野くんなんですけど。忘れたのかな?」
    「いない。記憶の中にそんなヤツはいない。いたとしても、たしか冥王星に旅立ったはず」
    「遠いねえ~」
     オレはキーボードを叩く指を止めず、隣を向くことも無かった。
     それでも、隣の知らない男はしつこく話しかける。
    「4年間一緒に過ごした親友に先輩ヅラすんのー?」
     1年遊んでたおまえに先輩ヅラして何が悪い。
     報告書を早く仕上げたくてキーを叩くスピードを上げた。しかし、隣のヤツがうるさくて集中できず、文章がメチャクチャだ。
    「なーなー、大野ー。大野おおお」
    「うるせーっ! マジうるさいから! 仕事終わったんなら帰れよ。しゃべり足りないんだったら、グーグルとでも会話しとけ」
     オレはイライラしてついに指を止めた。続きは明日、課長が来る前にやるしかない。
     PCをシャットダウンして、パタンと閉じた。
    「お、帰んの?」
    「帰る。じゃあな」
    「一緒に帰ろーぜえー。ビールおごるからさー」
     オレはその言葉に一瞬動きを止めた。そしてすぐまた動き出した。いかんいかん。たかがビール1杯で貴重な時間を搾取されてたまるか。
    「そーいや、凛ちゃんがさー」
     オレは黙って広野を見た。
    「怖い、怖い顔だなー。やっぱ気になる? 凛ちゃんのこと」
     嬉しそうに話す広野の座っている椅子を思い切り蹴とばした。広野はキャスターのおかげで部屋の端までスイーと流れて行った。
     オレはそのまま走ってタイムカードを押しに行った。ダッシュで帰るぞ。広野の相手は大学だけで十分だったのに。あいつのせいで忘れかけていたことをまた思い出すことになった。

     それは2週間前に広野がどうしてもというので参加したコンパのことだった。
     新垣結衣とそっくりな子が来ると言われてウソだろーと思いながらも心のどこかで期待していた。しかし、そこに現れた凛という子は、確かに可愛いほうかもしれないが、新垣結衣ではなかった。百歩譲って、新垣結衣が三日ほど飲み明かした後の顔だ。
    「えー。大野って、嵐の大野くんに似てないじゃーん。殆ど詐欺だよー」
     詐欺師扱いかよ。そっちの勝手な妄想だろうが。ま、こっちも人の事は言えないが。
     オレはスタートからムカついていた。凛という子とは目を合わせないようにしていた。ほかの子がずっと傍にいたせいもあるが、凛には顔を背けていた。それでも後頭部にあの女の強い視線を感じた。何見てんだ。どうせ、顔を合わせたら、服ヘンとか、なんかチャラそうとか言うにきまっている。
     店を出た時、ずっと傍にいた子がオレの腕に手を回してきた。困った。こういう酔って男に寄りかかる子はあんまり好きじゃないんだよな。
     そんな時だった。背後で声がした。
    「ヒナコ、大野でいいの?」
     オレもヒナコと呼ばれた子も驚いて振り返った。凛が叫んでいる。
     なんだその言い方、失礼過ぎるだろ。しかし、ヒナコと呼ばれた傍の子は、オレの顔を見ながらフッと手を離した。
     彼女は真っ赤になって、凛の傍に駆けて行った。
    「だって、大野さんが無理やり……」
     はぁあああああ?
    「ちょっと待て、おまえ……」
     オレがヒナコと凛の傍に行こうとするのを、広野が止めた。
    「まあまあ、まあまあ」
    「何がまあまあだ。一言反論したって許される場面だろ……」
     広野はオレの耳元で言った。
    「凛ちゃんがおまえのこと好きっぽい」
    「は?」
     オレはおそるおそる凛の顔を見た。
     すると、凛はオレの顔を見て、
    「んー、服はダサい。髪はチャラい。大野姓を名乗る資格無いよね、彼は」
    と、おまえ何様?的な発言をしていた。
     オレは凛に向けていた顔を広野に戻した。そして目をひそめ、ヤツを睨みつけた。
    「もう二度とおまえとは関わりたくない。オレの番号、今ここで消せ。オレも消す」
    「いや、待って待って待って」
    「何か用事があるときは、隣のビルの屋上から手旗信号で伝えろ」
    「うわ、風強そう~」
     オレはスマホの電話帳から広野の情報を消すと凛を見た。
    「なんかこんなカンジでごめんね。今日は用事あるから帰るわ。また次楽しみにしてるから」
     次回などあってたまるか。それでも一応笑顔を作って言ってみたのだが、凛は不満げだった。多分あの子はオレが何を言っても不満だったに違いない。

     そんな2週間前の悪夢を思い出しながら会社を後にした。
     切れかけの洗顔料を買うために駅前のコンビニに入った。弁当とビールを買って家で食うか、それともどこかで食って帰るか、ビールの棚の前で考えていた。
     すると、自分と棚の間に、ぐいと分厚い雑誌を突き出された。
     驚いて雑誌を見て、それから持ち主を振り返った。斜め後ろに立っていたその子は言った。
    「髪チャラいって言ったじゃん。スーツに合わないと思うけど」
     唖然としたが、その後ひどく不愉快になった。それはしっかり顔に出たようだ。
     凛は「そんな嫌そうな顔するかな」と上目遣いで恨めしげにオレを見た。
     いや、そりゃそんな顔にもなるわ。
    「近所の美容室行くともう髪型固定なんだよ。オレの希望とか通ってねーし。それにな元がオシャレ男子じゃねーの。女子力も無いし、スイーツ好きでもない。草食系でも癒し系でも細マッチョでもない。ま、別にチャラくもないつもりだけどな」
     オレは店から早く出たいと思い始めていた。レジに並ぶのも面倒だった。何も買わずにそのままコンビニを出た。
     すると、なぜかその後を凛がついて来た。
     思わず立ち止まり、彼女を見つめた。
    「なんかまだ言い足りないの?」
    「ごはん、まだでしょ?」
    「ん?」
     なんだよ、おごって欲しいのか。図々しいヤツだな。
    「飯とか言う前に、少しダイエットした方がいいんじゃない? そんな丸い顔してさー」
     オレは笑いながら軽く言った。新垣結衣に似てなくもない可愛い顔なのに、プックラしてっともったいねーよ、と言いたかった。
     でも、凛は顔を赤くして俯いていた。
     丸い顔と言ったのが気に障ったのか。面倒臭いな。
     オレはもう何も言わずにくるりと向きを変え歩き始めた。
     少し歩いてから後ろが気になり振り返った。さっきのコンビニの光が明るく道を照らしていた。コンビニの前にあるバス停もはっきりと見える。そこにあるベンチも。
     ベンチには凛がぽつんと座っていた。
     バス待ちか? そう思ったが、ちょうどバスが来ていたのにそのバスを見ようとはしなかった。当然乗る気配もない。バスは行ってしまった。

     そのまま帰ろうと思っていた。振り切って帰るつもりでコンビニを出たんだ。
     なのに、どうして今すっきりしないんだろう。さっきの言葉で彼女を傷つけたとわかっていたから、後味が悪かったのだろうか。
     気付いた時にはバス停の方へと足が向いていた。



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