迷宮プリンセス

第10話 ブラン・ニュー・デイ

    ”KOTORIE”の社長室では、取締役社長の石橋達馬(いしばしたつま)と、客人が二人、応接用のソファに座って相対していた。
    「本気で仰ってるんですか?」
     石橋は、理解できないと言わんばかりに、わざとらしく声のトーンを上げた。
     ただただ、訝(いぶか)し気に顔をしかめてみせる。

    「石橋さんには面倒なことを押し付けてばかりで、申し訳ないとは思っているんですがね。娘というのはとにかく可愛いものでね」
     そう臆面もなく言ってのけたのは、老舗和菓子屋”しらいし”社長、吹田佳雄である。
     吹田の隣で無表情のまま座っているのは、Kだ。


    「お嬢さんが可愛いのは分かりますが、だからと言って就労中も様子を見たいというのは……つまり、一日中監視したいと仰っているのと、同じですよね? 政治家でもなく、著名人でもなく、命の危険に晒されている方でも無い、一般の個人をそこまでするのは、……どうかと思うのですが」

    「一般の個人の話をしているのではありませんよ、私の娘です」
     吹田佳雄は、平然とした顔で言う。

     石橋は苦い表情を崩さぬまま、尋ねた。
    「でも、それならばなぜわが社に就職させたのです? 吹田社長のお傍で勤務させれば良かった。いや、いっそ就職などせず、お屋敷から出さずにお勉強させていれば良かったのです……」
    「いえいえ、私は娘に社会経験は必要だと感じています。ただ、一つだけ心配なのは、良からぬ虫がつくことです。娘にはちゃんとした家柄の、経済的にも人格的にも見た目にも優れた男の嫁にせねばなりません」

     吹田の話を聴き、石橋は、はあー、と感心とも呆れともつかない声を出した。
     そして、茶を一口飲んでから、
    「例えば、吹田社長お気に入りのKくんのような方でしょうか?」
    と、半ば皮肉にも聞こえるような口調で尋ねた。


     吹田佳雄は、それには答えず、こんな話を始めた。
    「私の娘に対する愛情は、異常だと皆さん仰います。まあ、傍目にはそう見えるかもしれません。でも、ここまでこだわるのには訳があるのです」

     吹田社長が話し出したのは、まだ彼が30代になったばかりの頃の話だった。


     その頃の吹田佳雄は、もうすでに”しらいし”では若きエリートとしてもてはやされ、次期社長の座は間違いないだろうと言われていた。
     社内は勿論、パーティーなどで知り合う女性や、親が持ってくる縁談など、数多くの女性と関係を持ったが、一人だけ、言葉すら交わしたことがないのに、忘れられない人がいた。

     その人は見目麗しく才女で、明るく華やかな良家の子女であった。

     自分には届かぬ人と諦めていたその女性が、なんと、至極普通のサラリーマンと結婚してしまった。
     それを知った当時の吹田は、愕然とする。
     きっと周囲が、その女性の夫となる人間をよく調べずに、望むがまま結婚させたのに違いない。

     娘の選んだ人間に間違いはないと思ったのかもしれないが、それは両親の怠慢以外の何物でもない。
     娘の幸せをもっとよく考えて、結婚という人生の岐路を十分に検討すべきだったのだ。

     やがてその夫は脱サラして料理屋を開き、そして数年後体を悪くして店をたたんだ。
     そんな男を選んだばかりに、その女性は今までどれほど苦労しただろうか。

     夫選びを間違えさえしなければ、今頃華やかな世界にいるはずの人だったのに。



    「私は、佳波にそんな苦労をさせたくない。私がこの男なら、と思える人間が見つかるまで、決して博打(ばくち)にも似た恋愛で、人生の道を間違えさせたくはないのです」


     吹田の話を聴いても、まだ納得できない石橋は、憮然とした表情で腕組みをしていた。

    「それはね、吹田さん。世界中の父親が娘に対して思うことです。しかし、みな、そこまで娘をがんじがらめにはしない。娘は父親のモノではないからです。それでもどうしても、と仰るなら、お嬢さんが恋愛のぬかるみに浸ってしまう前に、一刻も早くお似合いの男性を見つけて婚約でもなさるべきでしょうね」

     石橋の言葉に、吹田は何とも言えない微笑を浮かべた。
    「今、お話した女性ですが、実はこのKの母親なのです」
    「ほう……」

    「Kは母親の苦労を目の前で見て育っています。Kは分かっているのです。だからKを娘と24時間行動を共にさせ、早いうちに状況を把握しておきたい。娘の人生を変えてしまうような人間が近寄って来ないかどうか、を」

     吹田の理屈は結局親馬鹿としか言えない上に、この年寄りの頑固さは死んでも治らないなと、石橋は呆れていた。

    「それで、Kくんをうちに出向させ、お嬢さんの部署に配属させるという形で調べるのですね……」 「ご面倒をおかけしますが、どうか石橋社長にはご理解願いたい」
     石橋は自分の顔を両手で覆い、目を瞑った状態でうーむと唸った。
     とりあえず、社内中に監視カメラを付けろと言われるよりは、マシな提案だと譲歩するしかない。
    「決して社内でトラブルを起こさないと約束していただけますか。いや、トラブルだけじゃなく、表立って社員の素行を探るような露骨な態度を取らないと、誓っていただきたい」
    「勿論ですよ。Kにはただ、佳波の仕事の補佐をして娘の一番傍にいさせることだけで、十分なので」

    「それでは、Kくんの履歴書を見せていただけますか」
     仕方無いなという石橋の顔と、満足気な吹田の顔。
     その二人の傍で、無表情のまま、一言も語らぬKがいた。




     二人の社長とKが、社長室で話している事などまるで知らない佳波と蹴は、豊島に見つからないように、素早く3階のSSのフロアまで戻ってきた。
     佳波を焚きつけた中津を始め、SSのメンバーは、羨望と安堵と祝福と心配……などの入り混じった複雑な表情で、二人を迎え入れた。
    「お二人さん、おかえりっ。その幸せそうな顔は、おめでとうってことかなー……?」
     と、池田。
    「ま、計算通りだろ?」
     と、中津。
    「今年の忘年会は、江坂蹴を祝福する会、に変更かもなー」
     と、皆が笑っているのを、蹴は嬉しそうにはにかんで頭を下げていた。

     ”KOTORIE”社史上有名な、『江坂蹴の三日天下』と言われる、悲劇の始まりである。



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