迷宮プリンセス

第5話 秘書K氏登場

     その日、佳波が仕事から帰ると、見知らぬ人が客間の椅子に腰掛けていた。

    「お嬢様おかえりなさいませ」
     佳波の帰宅を出迎えた年老いた女性の手伝いは、深々と礼をした後、
    「お父様からのお申し付けで、今日からお嬢様のスケジュールを管理される秘書の方がいらしてます」
    と小声で伝えた。
    「ええっ? 私に秘書ですか? 会社の社長でもありませんのに」
     佳波は驚いて客間の男性を部屋の入口から見つめた。
     すると、その男性は佳波の声が聞えたのだろう、すくっと立ちあがって佳波の方を向き一礼した。
    「勝手にお邪魔しておりますが、今後はこちらのお屋敷に住み込みとなりますので、よろしくお願いいたします」
    「は、はい……」
     父親の決めたことであれば、彼女は受け容れざるを得ない。

    「わたくしは浩四郎様同様、お嬢様の生活の安全をお守りするのが役目でございます。秘書とは対外的な一応の名ですので、今後ともわたくしの事は”K”とお呼び頂ければ結構です」
    「”K”様ですか」
     部屋に入り、少しずつ相手に近づきながら、佳波は窺うように上目遣いで見上げた。
    「呼び捨てで結構でございます」

     落ち着いてはいるが、年齢は20代後半くらいに見え、背が高く細身。
     高級そうなスーツを着こなし、髪を後ろで束ね眼鏡をかけている。
     表情を変えることなく、姿勢も良く、一見近寄りがたい隙の無い男性だが、その眼鏡の奥の瞳は割と優しい色をしていて、どこかで見たような懐かしさを感じさせた。
    「よろしくお願いいたします、K……さん」
    「お気になさらず、Kとお呼びください。お嬢様は携帯電話をお持ちになっていないそうですが、わたくしとは常に連絡を取れる状態でいていただく為、特別に許可を得ております」
     Kはそう言って、鞄の中からスマートホンを取りだし、佳波に向かって差し出した。
    「電話を携帯して頂いてる間は、どちらにいらっしゃるかが把握できますので、入浴時以外は肌身離さずお持ち願います」

     Kからそれを受け取ると、これでますます自由が無くなる、と佳波は思った。

    「あの、Kさんはどのお部屋に?」
     佳波は手伝いの老婦を振り返って訊いた。
    「お嬢様の部屋の隣のクローゼットを片付け、ベッドをお入れしております」
    「まあ……」
     佳波がその手伝いの答えに驚いていると、Kはほんの少しだけ微笑み、
    「十分でございます」
    と、頭を下げた。


     夜になり、その日も父母は勿論、浩四郎の帰宅も遅くなると連絡が入っていた。
     手伝いの人間は通いのため、夜9時頃には屋敷から帰ってしまう。
     初めて会った正体不明の秘書Kと、深夜に二人きりという状況は、逆に佳波の不安を煽った。

     それでも11時頃には、皆帰宅するはず。
     それまでの辛抱だ。

     自分の部屋にこもっていた佳波は、夜の9時半、いきなり扉をノックする音に驚いて体を強張らせた。
    「は、はい、何でしょう?」
     精一杯声を出して、ドアの向こうの人間に尋ねる。
    「Kでございます。夜分に失礼いたします」

     佳波はゆっくり立ちあがり、そのドアを開けるべきか迷いながら、静かに近づいた。
    「何かご用ですか?」
    「お屋敷の中にいる間はセキュリティが作動しておりますし、警備も厳重ですので、わたくしは2時間ほど離れの方へ行って参ります。その間にもし何かお困りのことがございましたら、電話で呼び出していただければすぐに駆けつけますので」
    「離れですか……」
     屋敷の別棟には浩四郎の希望で、ジム設備が整えられていた。
     Kはドア越しに続けた。
    「今後、この時間帯は毎日トレーニングの時間に宛てたいと思っております。その後入浴し睡眠を取ります。もし、お嬢様がお友達と電話でもされるなら、誰もいないこの時間をご利用されるのがよろしいかと」
    「え、でも……」
     佳波は驚いてドアを開けた。
     そこにはトレーニングウェアを着、眼鏡を外して立っているKが、静かに微笑んで頭を下げていた。
    「勝手に誰かと電話するのは、禁じられているんですが……」
    「承知しております。ですから誰もいないこの時間に、と申し上げているのです」
     Kは一呼吸置いて、続けた。
    「携帯電話はわたくしの名義になっておりますので、利用したとしても直接ご家族に明細を知られることはないと思います。わたくしから報告するつもりもございませんので。ご自由にお使いください」
     Kは深く一礼をして、佳波の目の前から去っていった。
     佳波はその後ろ姿を見ながら、Kの不思議な行動が理解できずにぼんやりと部屋のドアを閉めた。


     佳波は、Kから渡されたスマートホンを引き出しから取りだした。

     連絡を取り合う人はいない。
     携帯電話の利用を両親に許可されていなかった為、以前は公衆電話からかけたりしていたが、結局面倒でかけなくなった。
     皆、友人はラインやそのほかのSNSを使っているので、そういうコンタクトができない佳波に対しては、もう蚊帳の外で、実際、友人は遠のいていった。

     でも……。そういえば……。
     佳波は鞄の中からスケジュール帳を出し、パラパラとめくった。

     会社に入ってしばらくした頃、連絡不能では困ると江坂蹴が無理矢理パソコンのメールアドレスでもいいからと、シツコク訊いて来た。
    『携帯持ってないなんて、ウソじゃないの?』
     最初のうちは疑っていた蹴も、本当に会社のPCのアドレスしか教えないでいると、困惑していた。
     そして、
    『じゃあ、もし携帯持つようになったら、真っ先に俺の連絡先入れといてよ?』
    と、番号やらメールアドレスやラインのID、フェイスブック、家の番号から住所から何から、いろんな個人情報を紙に書いて押し付けて来た。
     その紙を、捨てては申し訳ないのでスケジュール帳に挟んでおいたことを、佳波は思い出したのだ。


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