さくら降ります

【あらすじと目次】

●あらすじ●

大切なものを失ったまま惰性で生きている、里中智哉。
おなじくやり切れない想いを抱えて苦しんで日々を過ごす三谷陽。二人は、桜の絵をきっかけにして近づいてゆく。
二人にとって別々のキーワードとなっている桜に、二人がそれぞれの自分の答えを求め、それを見つけるまでのストーリー。
何かを伝えようとすることの難しさを、優しい答えで結ぶ、ラブスト―リー。
1話5000〜10000字程度(2〜3節)、中編、現在連載中。(最新:第2話)

 

●目次●

第1話 桜の中の人 (1) (2)  /  第2話 スケッチの中の人 (1) (2) (3)  /
第3話 箱の中の人 (1) (2)  /  第4話 傘の中の人 (1) (2)  /
第5話 瞳の中の人 (1) (2)  /  第6話 想い出の中の人 (1) (2)  /
第7話 トンネルの中の人 (1) (2) /  最終話 眠りの中の人 (1) (2) 

 


 彼は満開の桜の木の下で無邪気な笑顔を見せた。
 彼女は応えようと遠くから微笑む。

 彼女は満開の桜の木の下で無邪気に笑いかける。
 彼はそれに応えようと近づいていく。


      ◇   ◇   ◇


第1話 桜の中の人 (1)


 開発企画部の新商品情報を聴いていたはずが、一瞬体の力が抜けてビクッと目を覚ました。
 見渡せば皆、ノートPCを見ることに集中している。パワーポイントによるアニメーション画像が商品の特性をわかりやすく表示してくれているのだから、居眠りなんてしている場合ではない。
 里中智哉(さとなか・ともや)は、一つ深呼吸をして背筋を伸ばし、ディスプレイに視線を向けた。

「里中さん」
 そう声を掛けられて背中を叩かれた。説明会が終わり皆が一斉に会場を出る時のことだった。智哉が振り返ると、案の定、後輩の知多慶佑(ちた・けいすけ)がニヤニヤと笑っていた。
「寝ちゃだめですよ」
 小さい声だが、周りの人間には確実に聞えていた。隣を歩いていた女子社員はくすくす笑うし、前を歩いていた先輩は振り返って智哉の額を指で突く。
 智哉が苦い顔で慶佑を見ると、彼は声を落とし、今度は智哉にだけ聞こえるように耳の傍で囁いた。
「目が覚めるような話、しましょうか?」
 智哉は「何?」と訊き返したが、相手は笑うだけだった。

 智哉を休憩室に呼び出した慶佑は、「はい、ブラック」とわざとらしく彼に紙コップを手渡す。そして、その手の中の目覚まし用のホットコーヒーを見ている智哉を促し、席に座らせた。
 座席はガラガラなのに、慶佑は智哉に体を寄せる。
「……何の話だよ」
 迷惑そうに呟く智哉に、慶佑は笑顔の種類を変えて言った。
「花梨(かりん)さんのことですよ」
 その顔に、優しすぎる微笑が浮かんでいた。


 5階建てのこじんまりとしたマンションの一室に帰宅した智哉は、PCの電源を入れながら会社で聞かされた話を思い出していた。
「花梨さん、離婚したみたいですよ。名字、橋本に戻ってます」
 そう言って慶佑は、智哉にハガキを見せた。
 高校の同窓会の案内状だった。そこには幹事として橋本花梨の名前が印刷されていた。
 12月ということで、年末地元に戻って来る卒業生を見込んで出されたそのハガキは、差出人の欄にしっかりと彼女の住所が書かれている。裏面には携帯電話のメールアドレスも添えられている。
 智哉も慶佑もずっと地元にいるが、花梨は結婚して地方へ出て行ったはずだった。それなのに、そこに書かれてあった彼女の住所は実家のものだ。何度か訪問したことがあるので間違いない。
 慶佑は智哉の一つ下の学年だった。慶佑と同級生の花梨のことを、 彼が” 花梨さん ” と呼ぶことに、智哉はいつも抵抗を感じていた。いかにも先輩の彼女、という呼び方だ。もう、智哉と花梨は何の関係も無いのに。


 智哉は画面上にブラウザを起動させた。自分のブログのアーカイブに目をやる。そこには数年前からの記録が残っている。
 ほかの月より投稿数の多い月、それは四月。桜の花の写真を何枚もアップした。わざわざ休みを取って地方へ出かけ、色んな種類の桜の写真を撮った。
 今年も去年も桜を見に行かず、写真も撮っていない。撮らなくても、見に行かなくても、いろんな人がブログにアップしていた。テレビにも雑誌にも新聞にまでも桜があふれている。見たくなくても目に入る。こんなにも桜は日本人に愛されているんだなと思わずにいられない。
 休み取らないんですか、もう桜撮らないんですか、と写真部の数名に声を掛けられたが、その時の智哉は曖昧に笑っていた。
 もう見たくないなんていう感傷的な気持ちではない。わざわざ見に行く必要がなくなっただけだ。

 慶佑は微笑を浮かべながら言う。
「同窓会の件、気になったんで、地元にいる奴にメールしたら、花梨さんが里中さんに逢いたがってるっていう話を教えてもらったんですよ。来年の花見は彼女と一緒に行けそうですね」

 智哉は今まで見返すことなどなかったアーカイブのリンクをクリックし、ある年の四月に投稿した十日分ほどの記事を表示させた。いくらほかの月より投稿が多いとはいえ、その程度の日数だった。桜の咲いている期間に桜の名所を巡ることのできる、精一杯の回数だ。
 その写真しか無い記事をスクロールしながら見る。
 桜は時期により場所により、それぞれ種類が違う。そして、満開のものもあれば、七部咲きのもの、終わり掛けのものもある。それぞれ綺麗で思い入れがあった。
 桜は背が高い。沢山の小さな花をつけた枝を、空に向かって伸ばす。智哉も空へカメラを向ける。
 曇り空に花びらの淡い色が溶けて、色彩が滲んでなかなか花そのものを綺麗に撮ることは難しい。なんとなく撮っているだけの智哉には尚更のことだった。
 桜を撮ることは智哉にとって、ただ単に、人を喜ばせることでしかない。
 ブログを閲覧する人や社員のためではなく、桜が好きで、木の下から見上げて幸せそうに笑う人のために。

 その人から『ほかの人と付き合うことにする』とはっきり言われたのは、一昨年の春だ。

 しばらくして彼女が結婚することを、これもまた慶佑から聞いた。
 知っているのに変に隠される方が嫌だ。長い付き合いの彼はそれを察して智哉に伝えたようだ。
 慶佑はムードメーカー的なところがあったので、きっと結婚式にも呼ばれていただろう。それでも、式があったと思われた日曜日、慶佑と智哉は行動を共にしていた。
 慶佑は車を貸してほしいと言ってきた。智哉はそのまま、車と一緒にあちらこちらへと連れ回されることになった。
 なんだかんだと理由をつけられたが、どれだけわがままを言われた所で憎めない。式にも出席せず、智哉の気晴らしを手伝ってくれているのは明らかだった。
 そこまで気を遣わなくてもいいのに、と思ったがうまく伝えられなかった。口に出すのが難しいから、慶佑もそういうことをするしかなかったのだと分かっていたからだ。

 花見くらい、彼女が望むなら一緒に行こう。会いたいと言うなら会う。
 それができるくらい、自分はもうこだわってはいない。
 写真だって、見返すことができる。



 朝、職場に行くと、智哉のデスクの上に社内報が置いてあった。
 12月号の表紙は、何故か、満開の桜の絵だった。


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(2)
 智哉が社内報を手にしながら席に着いた時、 慶佑もちょうど、眠そうな顔で出社してきたところだった。彼はデスクの前に立つと、冊子を持ち上げた。
「これ、なんで12月なのに桜なんですかねぇ?」
 不思議そうに慶佑が尋ねると、先輩社員の一人がのんびりと言った。
「あー、その今月号の表紙、三谷さんが描いたんだよ」
「ミタニサンて、あの、三谷さんですか?!」
 慶佑が驚いた顔で問い返す。
 二人が指していたのは、商品管理部の三谷陽(みたに・はる)という、厳格で融通がきかない女子社員のことだった。

 彼女が社内で ” あの ” と表されるほど有名である理由は、ほかにもある。
 毎年異動時期になると、秘書課や広報部への転属を命じられているという噂が立つほどの頭のキレる美人だった。
 八頭身で人形のように綺麗だが、同様に感情も表に出さないので、誰もが気軽に近づけるタイプの人ではなかった。
 彼女にはもっと華のある職場が似合うと誰もが思っているが、地方の事務処理部門から出て行く気配はなさそうだった。

 なぜこの絵が表紙なのか、と智哉の頭にも疑問が浮かんでいた。三谷陽に頼むことも不思議だし、百歩譲っても3月か4月の表紙でよくなかっただろうか。

 自分は描画の際の構図がどうこうなどと偉そうに言える立場ではないが、その絵を見る限り、ただ遠くから眺めるような視点で描かれていて、あまり面白みがない。
 桜が三本並んで花を咲かせている以外、何も無い。一面桜色という単調な彩色。その稚拙さが、単純さが、描いているのは子供なんじゃないかと思わせる。小学生の絵日記、とまで言うと失礼だが、それに近いものがある。
 せっかく丁寧に描かれてあるのに、情報を絵にしているようにしか感じられない。夢で三本の桜を見たから紙に描いてみた、そんな印象を受ける。
 少なくとも、観る人のことは、全く考慮せずに描かれた絵のようだ、と智哉は感じていた。

「ほら、三谷さん、十月にかなり長めの有休取っただろ? で、社内報の担当者が、この忙しい時期に休める余裕があるなら、表紙を描いてほしいって頼んだらしいよ。ほかに描いてくれる人見つけるの、面倒だったんじゃない? みんな嫌がるしさ」
「あー、表紙は『社員が描いた絵』って決められてるからなー」
 先輩と慶佑のやり取りは続いていた。


 それは昼休みのこと、午後からの勤務にはまだ10分ほど時間があった。
 慶佑が後をついてくる。彼は、智哉が商品管理部へ行くのを、引き留めようとしているらしい。
「まさか ” あの ” 三谷さんに訊きに行くんですか?」
「だって、知多は不思議じゃないのか? 12月の表紙に桜だよ?」
「不思議ですけど……」
 そして彼は言いにくそうに付け足した。
「里中さん、『桜』に過敏すぎっしょ」
 ” 過敏過ぎる ” という言葉に、智哉は『そうなのかな』と自問してみたが、答えが出るより先に、目的地に着いてしまった。
 商品管理部のドアを開けると、その中央に十名分ほどのデスクがあり、社員たちがそこで談笑していた。入室してきた智哉と慶佑に、彼らは意外そうな視線を向けて会釈する。三谷陽はというと、隅のデスクで眼鏡をかけ、黙ってモニタを眺めていた。
 智哉と慶佑は陽の傍で立ち止まった。
「三谷さん」
 智哉が声を掛けると、陽はいぶかし気な顔で彼らを振り返り、声の主である智哉の顔を見据えた。
「なんでしょう」
「社内報見たんだよ。あれ、桜だよね。どうして……」
「社内報の話ならまず広報部へどうぞ。商品管理部(ここ)に用が無いならご退出願います。あと、必ず先にメールでご連絡をお願いします」
 彼女は冷たく言った。一応、里中智哉は彼女より二年先輩のはずだが、話があるならアポを取れと、はっきり言われたに等しい。まだ、休憩時間だというのに。
「……あー、ごめん……」
 智哉は小さく頭を下げた。
 彼が部屋を出ようとすると、その場にいた社員たちは、「全然いつでも遊びに来てくださーい」と愛想良く手を振っていた。

 だから言っただろうとばかりに、慶佑が智哉のすぐ後ろを歩きながら呟く。
「別にね、三谷さんがダメって言ってるわけじゃないんです、僕は」
 自分たちが所属する販売促進課への通路を歩きながら、智哉は慶佑の言葉を黙って聴いていた。
「三谷さんより可能性のありそうな人が、ほかにもいるでしょって話なんです」
 慶佑は彼女のプライドが高すぎることを言いたいらしかった。
 確かに、彼女は誰に合わせることもしなければ、誰に歪められることもなさそうな人だった。
「今まで里中さんと付き合いたいっていう子を何人も紹介してきたでしょ? でも一度も付き合おうとしなかったじゃないですか」
「相手がどこまで本気だかわからないし、俺も好きになれるかどうかわからない……」
「いや、そんなマジメなのかジジイなのかわからない発言やめてください。とにかく今は三谷さんはやめときましょう。褒めても、気を遣っても、誰よりも反応の薄い人です」
 小声で話していた二人だが、エレベーターの前で立ち止まると妙な沈黙ができた。
「……ホントは花梨さんのことが残ってて誰とも付き合わないんでしょう?」
「知多」
 智哉は上の階へ向かうためのボタンを押すと、少し微笑んで慶佑を見た。
「なんで、12月の表紙が桜なのか、広報部に問い合わせてくれよ」
「僕がですか??」
「うん」
「え、今日ですか??」
「忙しい?」
「……いえ」


 その日の終業の間際、慶佑が疲れた笑顔で言った。
「里中さーん、メール転送しまーす」
 智哉のPCに、広報部からの<ご質問頂きました件について>というメールが届いた。
<基本的に表紙の絵の題材は描かれる方の自由です。三谷さんに絵を依頼した際に、桜しか描けないが構わないかとの確認があったので、問題ありませんと回答しております。ただ、季節柄、同じ木であるならクリスマスツリーなどの方が好ましいです、とは付け加えましたが。>
 なんとなく、回答文を書いた人の『自分だって12月に桜はナイわと思ったけど、三谷さんには深くツッコめないでしょ』という感情が伝わって来る。
「もう、三谷さんに興味持つのをやめてくださいよ」
 慶佑がわざわざ自分の席から智哉の席までやって来て、そのメールを開いた画面を覗き込んで言う。
「でもさ……」
 智哉が笑うと、慶佑が「ええ? でもさ?」と困惑した顔をした。

 やっぱり直接三谷陽に訊かなければわからない。
 12月号の表紙が桜だった理由は分かったが、なぜ彼女は桜しか描こうとしないのか、という疑問が解消されないまま残っている。

「俺に絡むのやめたら楽になれるよ」
「もー冗談やめてほしいな……疲れましたよ。僕、コーヒー買って来ますけど?」
 智哉は苦笑し、自分はいらないと首を振った。
 頼りない智哉を、慶佑は心配しているのだ。殆ど子供扱いと言ってもいい。
 でも智哉は、三谷陽の絵がどうしても気になっていた。子供は、どうしても、子供に興味を持つものだから。優れた作品なんかより、自分自身と同じ幼稚なものに、惹かれたりするものだから。

 慶佑が智哉の席を離れた時、社内メールが届いた。
 発信者は商品管理部、ミタニ。
<お疲れさまです。先ほどは失礼しました。社内報の表紙の桜の件、急にきかれてうまく説明できず言葉遣いを間違え、ご気分を害されたと思います。お詫びいたします。
毎年、里中さんの桜の写真を楽しみにしていたので、なぜ去年も今年も写真部に提供されなかったのか不思議でした。きっと、里中さんにとっての桜も、私と同じで何か意味があるのかもしれないと考えています。
週末は公園でスケッチしています。下手なので頑張らないと。それでは失礼いたします。>

 真冬の公園で、陽は絵を描くのだという。多分、冗談だろう。
<お疲れさまです。こちらは全く気にしていません。
型落ち商品の在庫が今年は例年より増えそうな気配です。販売促進課にて引き受けられるものもありますので、詳細をまたご連絡ください。>
 業務メールとして返したが、智哉はなんとなく落ち着かなかった。
 冗談だろうか。” あの ” 三谷陽が、冗談を言うだろうか。

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