M of L - 夏さんの、恋する意義 -

【あらすじと目次】

●あらすじ●

若いとは言えない26歳の夏原夏は恋をした。完全なる一目惚れで主導権は常に相手の上野紘一が握っている。
それでも食らいついて来た8ヶ月後、エンディングを迎えることになる。ええ? 始まって早々エンディング?
叩きつけられたエンディングをものともせずに突き進む夏さんの恋は、どこまで成長していくのか。
20代後半だろうが、妄想癖があろうが、つい応援せずにはいられないオトボケ主人公は、今日も迷惑を振りまいていく。
1話(6節〜8節)7500〜10000字程度、長編。

 

●目次●

Part 1 ; Look at me !
  第1話 私の彼は   /  第2話 俺の彼女は  /  第3話 彼のセリフ  /  第4話 彼女の妄想
Part 2 ; I miss you ...
  第1話 彼の行方は  /  第2話 私の彼女は  /  第3話 彼女の彼は  /  第4話 俺の周りの人間は
Part 3 ; I need you !!
  第1話 四月は始まった / 第2話 遊園地へGO! /  第3話 六人の思惑  /  第4話 痛み止めのキス
Part 4 ; I'll hold you !!
  第1話 ホンモノは誰だ   /  第2話 君を想うゆゑに  /  第3話 恋   /  第4話 彼の気持ち

スピンオフ企画
  バレンタイン・トラップ   /

 

(1)
 俺は四宮現紀(しのみや・げんき)。

 あーあ、夏原(かはら)さんが八城(やしろ)課長に辞職願突きつけて朝イチで帰っちゃったもんだから、課長カンカンで困ったよ。『こんなもん受け付けられない!』の一点張りで、課員はとっても迷惑してる。頭に血が上り過ぎて血管切れんじゃないの? もう昼だっていうのに、俺に携帯盗まれたことにもまだ気付いて無いって、ソートーなもんさ。
 夏原さんには、さっさと課長にワビ入れて、会社に戻って来てもらいたいよ。


 実は、先日、三月の末近くのこと。
 どこかで見たことのある男に会社の前で声をかけられた。ちょっとムカつくくらい立ち居姿のカッコイイそいつは、丁寧な口調で、こう訊いて来た。
「こちらの化粧品会社の社員の方ですよね?」
「そうです……が」
 何かの勧誘にしてはギラギラ感が無い、それにこの顔……。
 ああ、そうだ、思い出した。向かいのビルに勤務してる人だ。
 多分営業マンてトコなんだろうけどピッと背を伸ばして歩いてて、卑屈感がまるでない。他人なんて眼中に無い自信家タイプに見えたけど。
「失礼しました。私は向かいのビルの会社の社員で、時々あなたをお見かけしていたので間違いないとは思ったんですが……夏原夏さんとお知り合いですよね」
「ええ。……あの人の後輩です、一応」
 どう考えても夏原さんより俺の方がしっかりしてるけど、後輩は後輩だ。結構一緒にいてフォローしてやることが多い。てか、こいつ夏原さんの何? ファン? 紹介してくれとかマジカンベンしてくれよな。
 俺が困惑の目を向けると、相手はそれを見切っていたんだろう。特に慌てもせず少し微笑んで言う。
「私は彼女の知り合いですが、あの人、仕事ちゃんとやってますか。サボってませんか」
「うーん……」
 その質問にはなかなか答えづらい。かなり頻繁に……一日の大半サボってるんで。
「そういう個人情報的なことはあまり……」
 って答えてみた。でも、コレ、個人情報かな?
 いやいや、そんなことより、何調べてんだよこいつ。でも目の前の会社に勤めてるのは間違いないし、…………んあぁッ! これはもしかして社内でウワサの、夏原さんのエリート彼氏か?!

 鈍い、俺、鈍かった。そうだよな、フツーそうだわ。他人は突然、意味ないこと聞いてこねえよ。
 相手は名乗る事なく尋ねてくる。
「彼女、楽しくやってますか」
「ええ、まあ……でも、どうしてそんな事僕に訊くんです? 直接聞けばいいんじゃ?」
 遠慮がちに訊いてみた。あくまで事情は知らぬ様子で。
「いや……私はもうすぐ転勤でここを離れるので、……ちょっと人様の口から、彼女の様子を伺ってみたかっただけです」
 相手はすっと頭を下げてから、背筋を伸ばして俺を見た。

 な、何だ、このやりとり! 名乗らないくせに、すっげー彼氏ヅラしてんじゃん。あからさまじゃん。不愉快だなあ。夏原さんの保護者のつもりか?

 でも、俺を見たその目に安堵のような色が一瞬浮かんで見えた。あれは、どういう意味なんだろう。
 俺、あの人に夏原さんを託されたのかな。え、別れたの? そういうこと?


 そんなことがあった数日後に、突然退社されちゃったらさー、困るよホント。俺にはちゃんと彼女がいるんだし、夏原さんの面倒まで見きれないんだよ。
 とりあえずは、仕事に戻ってもらわないと。課長だって怒ってるけどホントは夏原さんのポヨーンとしたテンポが好きだったと思うんだよな。叱っても叱ってもマイペースで……。いつだったか『あいつはハートに衝撃吸収シートでも貼ってるのか』って笑ってたしなー。

 もし夏原さんが彼氏と別れたとしたら、会社辞めて傷心旅行に出たのかなあ。そんなことしたって何にも解決しないのにねえ。
 彼氏にしたって自分のせいで付き合ってた相手が会社まで辞めちゃったら、後味悪いよなあ。そりゃーわかるんだけど、それなら別れなきゃいいんじゃん。嫌いな女のことでここまで心配しないっしょ、フツー。ご自分でなんとかしてもらいたいけどねえ。なんか理由があんのかなあ。

 しょうがない。
 俺が一肌脱いでやるか。
 要するに、課長の機嫌を直して、彼氏サンの心配を解消できたらいい。これを両方満たす必要十分条件は……夏原さんに仕事を続けさせること。
 ということは、失恋相手の事を綺麗サッパリ忘れさせるか、または復活愛させちゃえばいい。
 任せてよ。会社一の知恵者だよ、俺は。これからの状況次第で、なんとでもなりますよ。
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(2)
 自分は三島光一(みしま・こういち)。

 入社して以来ずっと本社勤務だった自分が、支社へ飛ばされ、しかも配属先がHRSときたもんだ。何かしでかしたかなと数日考え込んだ。
 その答えは自分ではなく、数年後輩の上野紘一(うえの・こういち)にあるということを知ったのは、ひと月前の三月頭だ。


 上野は社内で変人だと有名だったが、長谷(はせ)部長がその変人を気に入ってしまったのは皆の想定外だった。四月から正式に本社勤務にさせるらしい、しかもポジションは同期の椅子ではなく、営業部の係長らしい。え、係長ってまさか自分と並ぶのか? 嫌な話だなあ……。
 そんな風に思っていると、並ぶどころか、自分はトレードとして本社から押し出されてしまった。一応課長代理に昇格していたが気分はただの左遷。
 なんでなのか、納得いかないねえ。勿論長谷さんに直訴したさ。すると彼女はこう答えた。
「あなたの取引先の五条商事の社長のお嬢さん、知ってるわね?」
「ええ、気の弱そうな人ですよね。訪問する度お会いしてますよ」
「彼女なら、なんとかなると思うのよ」
「何がです?」

 長谷さんは子供のような人だ。
 会長の孫だかなんだか知らないが、会社をオモチャと勘違いしている所がある。まあこちらとしては、自身の未来さえなんとかなれば、会社の未来なんてどうだっていいんだけどね。
「上野君を彼女のパートナーにして、将来は五条商事をウチの傘下に入れようと思うんだけどどう? 彼ならイケメンだし、その気にさせることくらい、社命となればやるでしょ。しかも上品に。そういう子よ、あの上野君は」
「なるほど」

 女相手となれば自分より上野の方がポテンシャルは上か。反論はしない。
 プライベートまで切り売りする社畜にはなりたくないが、もし本当にそうなるなら、上野は次期五条商事社長か。支社へ左遷される立場とは雲泥の差だな。
 うちの会社で頑張ったとしても所詮は同族経営。どんなに頑張ったとしても、自分が上れる場所は限られてるから、まあ、負けっちゃ負けだな。

「引き継ぎ、まだ終わって無いのかしら。ちゃんと上野君を五条優姫(ごじょう・ゆき)さんに紹介しといてね」
「承知しました」
「三島君、あなたのことも……」

 別に長谷さんの言葉は信じちゃいない。ただ、『思い付き』でも『空約束』でも、何も無いよりマシだ。『適当な嘘』があった方がモチベーションは上がる。
「あなたのこともちゃんと考えてるのよ。事業の進み具合によってはすぐに支社から本社に戻すわ。別の会社と提携を結びたいから、そこを任せたいの。若手で即トップと接触できそうなのは、上野君か三島君くらいだもの」
 まあ、ふてぶてしい所が共通してるって事だな。


 今、自分のすべき職務は、五条優姫さんと上野紘一をうまく結びつけること。まあ、上野が勝手にやってくれりゃあ楽だけど、サポートも大切。

 上野にひっついてる彼女をなんとかしないと。
 夏原夏(かはら・なつ)。
 彼女、可愛いがなかなか鈍い上にしぶとい。上野と無理に引き剥がそうとすれば、現状を理解できず激しく抵抗されそうだ。
 ここは抵抗させない方向へ仕向けて行かないと。身を引くなんて言葉、これっぽっちも頭に浮かばないだろうからな。

 とりあえず社内で上野クラスのイケメンとなると、……警備会社から派遣で来てる久芳連(くぼう・れん)くらいか。あいつなら上野の代わりとしても見劣りしない。夏原夏とはお似合いじゃないかな。
 問題は、上野と久芳が友人関係にあることだな。しかも、本社勤務を契機に同居すると聞いた。
 なんにしろ、強引にはできない。
 あくまで見守る形で進めて、最終的には社命なんだから上野本人がうまくやるだろう。


 十年二十年先の事を考えてみれば、取り分の多い方に賭けるのが常識。
 自分の未来も上野の仕事ぶり次第になってくるわけだから、ここは私情はひとまず置いておいて、ヤツの任務をお手伝いしつつ監視するのが正解だろう?

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(3)
 私は五条優姫(ごじょう・ゆき)。

 社長令嬢だなんていう、重い荷物を背負わされて、いつも見張られてます。
 でもしょうがないです。
 お父さんの子に生まれたんだから、逃げようがないわ。

 今まで何度かお見合いみたいなことはしたけれど、どれも破談になりました。
 私や、相手の人の問題ではなくて、会社の問題みたい。
 そんな感じで、私は戦国時代のお姫様みたいに、うまく使われてしまうんだろうな。
 それももう、諦めてたの。
 あの人に出逢うまで。


 あんなに見え透いた褒め言葉で笑ってる、ふてぶてしい人は初めてだった。
 バカにされてるんだな、私。……そう思った。

 その人は傍で見ていると優しそうだしのんびりとしていたけど、どこか心の中にぽっかり穴が開いているような、空虚な雰囲気も持ってた。
 そして、お嬢さんの相手なんてやってられない、ていうような卑下するような表情が、時々うっすらと走るの。
 悔しかったけど、その通り、私は社長の娘でないなら何の価値も無い人だわ。

 その人がお父さんの会社に来る度に、なぜ私が同席させられるのか、意味がわからなかった。
 嫌い。その、人を見下すような笑いが。


 でも、ある時彼は言ったの。
「社長令嬢と言う仕事も大変ですねぇ。ツライって言えないんでしょ?」
「べ……べつに」
「あなたのお父さんの会社のためですよ。そう思えば頑張れるでしょう、いや、頑張れないか」
 そしてまた、ニヤニヤと笑う。
「自分のためじゃなきゃ人間頑張れないですねえ。ほら、恋愛するのは楽しいでしょう? 政略結婚だとしても、相手を王子様だと思って恋愛の夢をぶつけてみれば、楽しいんじゃないですか?」
 そんな事を言う三島光一(みしま・こういち)さんは、なんでもかんでも簡単に割り切って考えられる人なんだなと思う。でも、それって、寂しいことだと私は思うわ。

 どうして三島さんは、人を物を見るような目で見るのかしら。
 まるで整理整頓するかのように、物事を、人との関係を、淡々と片付けているの。
 辛い目に遭った事が無い人間なんていないはずなのに、揚足を取ってやろうとしても、隙を見つけられない。
 私は三島さんより一つ年上。でも、まるで大人と子供のように違う。話は冗談で流され、適当にあしらわれてしまう。

 なんでこんなに屈辱的なのに、許せないのに、三島さんの発する言葉を待ってしまうんだろう。
「今度、うちの社の王子様に会わせますよ」
「王子様……」
「そうです、社で一番の良い男です。会うのが楽しみになるような」
「……担当が変わるんですか?」
「そうです」


 そうです。
 その一言で、私は気付いたの。
 私は、この人から、どんな言葉を待っていたのか。
 ひとかけらの、私への想い遣りの言葉を、優しい言葉を。

 でももう手に入らないと知った時、私は苦痛で胸が張り裂けそうでした。

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(4)
 私は上野美羽(うえの・みわ)。

 はあ、もう溜息の連続。
 久芳連(くぼう・れん)のことを好きだと思うと、いろんな行動が止められなくなる。
 ストーカーだなんて家族からも非難されて、特に兄貴からは犯罪者並みに毛嫌いされて、サイテーな毎日。ただただ気持ちを伝える手段を探してるだけなのに。
 もう何年? 大学に入った年に連に逢ったから、丸三年になるのか。この春卒業して四年目に突入してる片想い。純粋な想いが、どうして伝わらないのかなあ。

 連の言い訳。夏ちゃんに先に出逢ったからとか、そんなの後付けでしょ。わかるわよそれくらい。
 でもいくら連が夏ちゃんを好きでも、夏ちゃん自身は『堅物冷徹無感情兄貴』一筋だよ。一体どこがいいんだろ。
 だけどそんな兄貴でも、頑張って夏ちゃんを引きつけておいてもらわないと、ふとした時に、
『あ、連の方がいい男だわ』
って気付かれちゃうかもしれないんだよなあー。だから、頑張れ兄貴!

 夏ちゃんに、連を二人でシェアする? なんて言ってみたけど、そんなことやっぱりできない。連には私だけを見てほしいもん。
 だからやっぱり上野紘一(うえの・こういち)を嗾(けしか)けてなんとかしなくちゃいけないのよ。
 

 私が夏ちゃんと『そこだ!ピザマンショー』の広場で話をしていると、思いがけなく連がやってきた。夏ちゃんを探しに来たんだって。私は邪魔なのね、でも、だからって私がここでおとなしく帰るわけないよね。
 私は三人で遊びに行くことを提案した。連は優しいから無下に断るようなことはできない性格。夏ちゃんは優柔不断だし上野紘一の妹に反論はできない。
 ここはチャンスかもしれない。正念場だわ。

 まりりりーんらんどに着いてすぐ、3時半頃だったけど、連と夏ちゃんに隠れて兄貴に電話をかけた。二人には先に温泉とプールに入っててもらう。

『なんだよ、仕事中に電話してくるな』
「違うの! 確認したかったの。お兄ちゃんのマンションから少し離れた場所に、夏ちゃんに似た人がいるの。遠目でよくわかんないんだけど、なんか二、三人の男に絡まれてるみたいでさ……まさか夏ちゃんがこんなところに居ないよね?」
『……え?』
 思った通りちょっとした動揺が伝わって来る。イイ感じ。
『そんなの、近くにいる誰かを呼んで……』
「あ、見失っちゃった」
 兄貴は珍しく焦って私の言葉を聞き返してきた。
『見失った? どっちだよ、どっち方面に行ったんだ』
「えと、ピザマンショーとかやる公園みたいなトコあるでしょ、あっち方向へ行った。でも、見間違えかもしれないし……お兄ちゃん今どこ? 一度見に来てよぉ……」
 兄貴は途中で電話を切った。

 さて、兄貴はどういう行動をするのか、それで夏ちゃんへの気持ちがはっきりするんじゃない。
 すぐ連絡を取れないように、こうして携帯を使えない水のある場所へ夏ちゃんを連れて来たんだけど、うまくいくかなあ。……と思ったら、連は水に入るつもりが無いのか、夏ちゃんの携帯持たされてるじゃん。マズいなあ。
 その後、結局兄貴から電話はかかって来なかった。どうした、紘一よ。心配じゃないのかな。
 まあ、低温動物の兄貴でも気の良い夏ちゃんを危険な目に遭わせたくはないはずだから、電話するのも忘れて心配で探しに来てるのかもね。仕事放り出して。
 うっわー私、悪い妹だなあ。


 帰りは連と夏ちゃん、二人で帰ってね。バッタリ兄貴と会ったらヤバいから、私はお先に失礼します。
 でも、これで何かは進展あるでしょ。
 夏ちゃんと連が2人で一緒にいる所を見て、ヤツはどういう反応をするでしょう。
 自分より先に夏ちゃんを助けたのが連だった。いいところは全部連に持っていかれた。……さらに、その連が夏ちゃんを好きなのは周知の事実。夏ちゃんと連は必然的に近くなってるはず……という所まで想像した上で、
『あーよかった。連、夏を助けてくれたんだな』
と平然と言えるなら、全然夏ちゃんへの愛情は無しと見る。
『……連、なんでおまえがここに?』
 複雑な表情をして喧嘩にでもなるなら、夏ちゃんに気がある証拠。

 ふふ。明日くらいまた様子を見に来よう〜っと。
 あ、そう言えば部屋に仕掛けてあるやつ、今日連に見つかっちゃったみたいだなあ……。また新たに仕掛けないと。

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(5)
 俺は久芳連(くぼう・れん)。

 サブローこと上野紘一(うえの・こういち)の部屋に引っ越してきたのは、三月下旬頃。末からはサブローも越してきて、一緒に住み始めた。そろそろ同居して一週間だな。
 前の部屋で体験した怪奇現象が、サブローの妹の美羽ちゃんのせいだったと知って、罪悪感を感じた。彼女は悪い子じゃない。俺がきっと隙を見せ過ぎたんだ。だから、この新しい部屋で今もなお続くメモとか盗聴器なんかを、サブローには言えないでいる。
 いつか、素敵な彼氏ができたら、俺のことなんて執着しなくなると思うんだ。

 それよりも今一番の悩みはサブローの彼女というのが、夏原夏(かはら・なつ)だったことだ。確かに夏は彼氏のことをコーイチと呼んでたけど、身近な男だとは思いもしなかった。
 どういう顔してこれからサブローと付き合えばいいのか、ひとしきり考えて、胃が痛くなって会社を病欠したら、サブローは、
「病欠、そうか、そうだな。しばらくそうして姿を外に出さない方が、美羽に住所がバレないな」
と納得してた。でも違う。もうその時にはバレてたよ……。


 俺は夏に、友達でいることを約束した。コーイチとの仲を応援するとも言った。
 それなのに、サブローは俺たちの部屋に夏を連れて来ただけじゃなく『俺の彼女じゃない』とか『連と夏がうまく行けばいいと思う』とか、心にもないことを言う。

 サブローは性格が冷たいと人に言われてるけど、俺から見れば正しいだけ。正解を相手に躊躇なく突き出すから、うしろめたい人間はサブローを嫌う。
 そんなサブローが、あんな、人を傷つける嘘をついてどうするんだよ。嘘をつくようなサブローは、好きじゃないよ。


 でも、部屋で夏と2人きりになると、サブローへの友情より夏への気持ちが大きくなってしまう。それって、どうしようもないでしょ? 手で触れることのできる所に好きな人がいたら、抱きしめたくなるじゃん。
 夏は上野紘一を諦めてくれないかなあ。
 サブローもほかに彼女を作ってくれないかなあ。
 ……どっちも無理そうだよな。


 俺が変な物音に気を取られているうちに、夏が部屋を出て行った。むやみに迫り過ぎた自分を反省して、彼女が戻って来るのを待っていたけど、一向に戻って来ない。
 仕方なく探しに出かけると、ようやく広場で夏を見つけたけど、なぜか美羽ちゃんと話をしていた。
 美羽ちゃんと顔を合わせたのはいつぶりだろう。どんな顔をしたらいいのかわからない。

 美羽ちゃんの提案で行った『まりりりーんらんど』で、水着を借りて楽しそうに水浴びしている二人の女子の姿を見ていた。
 なんとなく、みんな仲良くなれないのかなと悲しくなった。
 俺が夏を好きじゃなければ、全部うまくいくんだよな。
 そんなことを考えていたのに、夏と2人になるとつい、自分のものにしたい欲求が余計なことを口走る。自制できない自分が恥ずかしい。

 まりりりーんらんどからの帰り道、例の広場にサブローがいるのを見つけた。
 ヤバい、誤解される、と思った時にはもう既に誤解されまくった状況だった。

 俺が悪いよ。
 だって、夏のコーイチへの気持ちを知ってるのに妨害してる。そんな俺の存在が悪いのはわかってる。
 でも、俺の中の夏の存在だって、悪いよ。五年以上、ずっとこの頭の中にいるんだよ。

 サブローの、昼から続く素直じゃない言葉に、俺はムカつきを覚え、つい本音が出てしまった。
「サブローがそんな態度なら、遠慮するのはやめた」

 そう言い切って夏の手を取ったその瞬間から、実はもう後悔していた。
 俺が我を通したところで、夏の心の中には誰がいるのか、わかっていたから。

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(6)
 俺は上野紘一(うえの・こういち)。

 最後に会った三月下旬の夜以降も、夏原夏(かはら・なつ)からはメールや電話が定期的にあった。
 返事はしなかった。ずっと連絡もしないつもりだった。
 夏はあの街で、仕事をしながら楽しく誰かと生きてゆくだろう、そう確信していた。

 しかし、とんでもない事実を知った。久芳連(くぼう・れん)が5年以上も思い続けている彼女というのが、夏だということだ。
 あのパジャマ……。思い出しただけで胃液が上がって来る。
 夏の部屋に連が5年も前から度々泊まり、専用のパジャマまであるという事実に困惑した。それで友達だと言われたとしても、いやいや、それは二股だろうとしか言えないと思った。きっと会えば悪態をついてしまいそうだ。
 ただ、連がずっと片想いだと言い続けていたことを考えると、そうなのかもしれないとも思う。
 複雑すぎて、どう対応していいかわからなくなってきた。自分の事となるとどうしていつもこんなに感覚が鈍るんだろう。元HR特別部の名が廃る。


 夏の前からフェードアウトしたつもりだったが、彼女は俺の本社勤務を探り当て、大荷物と共に現れた。どうすればいい、そう考えた時に一番先に頭に浮かんだのは、同居している連のことだ。
 あの部屋を二人に明け渡すことはできないが、とりあえず連に逢わせよう。
 大荷物を持ってきたということは、泊まる気マンマンのはずだ。連とうまくいくのなら、二三日は俺が外泊しても構わない。そう思って部屋へ夏を連れ帰った。

 連れ帰ったものの、玄関先でふらふらする夏を支えた時、自分の体の意外な反応に自分自身が驚いた。
 匂い。
 夏の匂いを間近で嗅いだ時、なんとも言えない妙な気分になった。
 去年の7月から、たまに近くで感じていただけの香りに、胸の奥が反応する。これは、懐かしいと表現するべきなのか。
 確かに会ったのは十日ぶりだが、それまで半月ぶりに会う事などざらにあった。そして、その時に匂いが気になるなど無かった。

 この感覚こそが、無関係になったという証拠なのかもしれないな。


 連に夏を押し付けて急いで昼飯を掻き込み、得意先へと向かった。仕事中、今晩どこに泊まるか、そればかりを考えていた。
 すると、美羽からさらに困惑する連絡があった。


 夏に電話してみたが携帯の電源が入ってない。連は携帯を失くしていたので部屋に掛けてみたが、部屋の電話に出る者もいない。
 夏にも連にも連絡が取れなかった。

 仕方がないので訪問を予定していた得意先にキャンセルを入れ、社には早退の許可をもらう。そして、急いで自宅近くの広場へと向かった。
 美羽の見間違いで、ただの夏に似た子のいた男女グループかもしれない、そう思うと通報するのは大袈裟だが、もしも本当に夏だったら……。
 葛藤とイライラは15分のタクシーの中でずっと続いた。

 美羽が目撃したという場所で店の人などに話を聞いてみたが、そんな揉めている男女を見かけたという話は聞けなかった。
 ついに広場まで来て、店じまいを始めていたジャンクフードの屋台のオヤジに尋ねた。
「どんな子? 写真とか持ってないの?」
 俺は途方に暮れた。
 そんなもの一枚も持っていない。


 揉めていた男女が夏ではなかったとしても、じゃあ夏はどこへ行ったんだ。何度電話しても電源を切られていてつながらない。連は、夏と一緒にいてくれてるのか。それならいいのに。それなら心配はしないのに。でも、なぜ電源を切る必要が……。

 そんな時に二人が、広い車道を渡って、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。あの道の先はカラオケやボーリングなどの遊興施設が多数林立している。
 治安の安定しない場所で、二人で遊んでいたってことか。そりゃ、昼間でも絡まれることもあるかも知れないな。
 大人なんだから、放っておけばよかった。

 最低の気分を持て余し、顔や言葉に出していた。
 知らん顔していればいいものを。

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(1)
「行こう、夏。俺もう、サブローに遠慮すんの、やめた」
 久芳連(くぼう・れん)に手を引かれ、目では上野紘一(うえの・こういち)の表情を見つめながらも、自分の足はその場を離れようとしている。
「ま、待ってよ連……」
 やっと出た一言は小さい声だったのに、連はすぐに立ち止まってくれた。

 私は解放された手で鞄の中から携帯電話を取り出した。
 間違いなく、私の携帯だと思うけど、やっぱり電源は切ったままのようだった。ああ、美羽ちゃんとのやりとりの間に電源入れそびれていたんだ。
 携帯が起動する何秒かを待たず「もういい」と紘一は言った。
 自分の勘違いで走り回っただけだ、と説明してくれたけれど、感情を封印したような、暗い目をして斜め前を向いたまま私を見てくれない。
「それ、私を探してたってことだよね。……ごめんね」
 私は頭を下げ、そのまま顔を上げずに訊いた。
「今晩、泊めてくれないかな……」
 紘一の動く気配は感じられなかったが、声だけが聞えた。
「その気で来たんだろ。俺は会社に泊まるから、そっちは連と二人で……」
「それじゃ、意味がないよ!」
 思わず顔を上げ、一歩紘一に近づいた。
「紘一と連のことは昼間にパッと聴かされただけで、……連からもなんとなく聴いたけど、もっと詳しく聴きたいよ。美羽ちゃんの事とか、みんな様子変だし、それに一番の目的は紘一と別れなくちゃいけないはっきりした理由を聴きたくて押し掛けて来たんだから。それを紘一の口から聴くまでは何日だって泊まるから!」

 はっきりと主張したことで、紘一もようやく視線を上げ私の方へと顔を向けてくれた。
「何泊もされると困るな」

 紘一の冷たい顔は見慣れているけど、いつもどこか苦笑に似た笑顔を隠していた。今、その表情には疲れと不機嫌さしか見つけられなかった。
 最上級の【しょうがないな】顔をしてる。一応話をしてくれるんだよね? 

 その時、私の後ろから連が言った。
「サブロー、俺メシの買い出し行ってくる。あと布団も一組配達してもらわないと……」
「布団?……そんなの適当に何かあるんじゃないのか」
 紘一が苦い顔をすると、連は平然と言った。
「そう? いつも通り、俺と夏が一緒の布団で寝てもいいしね」
「ちょっ!!! 連!!!」
 私は驚いて飛び跳ねんばかりに体を使って否定した。
「ち、近くで寝てただけで、そ、そ、そういう、そういう誤解のある、こ、言葉って……」
「誤解? エッチはまだしてないけど、していいなら、俺はいつでも……」
「まっ、まっ、まっ……!待って!!!」

 私が慌てふためく様子を、男2人が平然と見守っている、この図は何?!

「わかった」
 紘一は私の顔を穴が開くほど見つめてから「連、布団頼むよ」と許可を出した。
 連はニヤと笑うと、私に耳打ちした。
「これで何泊でもできそうじゃん」


「じゃあ夏、とりあえず部屋に帰るぞ」
「う、うん。ごはんくらいなら作るし。家事のお手伝いします」
「ああ。お好きなように」
 紘一が歩き出そうとすると、連が彼の腕を掴んでいた。
「なあ、サブロー」
 紘一は立ち止まり、連の顔をゆっくりと見上げた。

 連はその可愛い顔に、普段は見せない真面目な色を漂わせていた。
「俺、1時間後に帰るから、俺がいない方が都合の良い話は、先に終わらせといてよ」
 そう言った後、私の顔も見つめて確認する。
「わかった?」
 私はゆっくり、二度頷いた。


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(2)
 部屋の中央に立ったまま、なんとなく見回していた。
 上野紘一(うえの・こういち)と二人きりとなると、なんだか落ち着かない。
 リビングダイニングにあるのはテーブルと椅子とテレビだけ。必需品ぽいもの以外は、あまり配置されていない。
「全部の荷物はまだ……?」
「大した量じゃないんだけど、まだ奥の部屋に放り込んだままで整理できて無い。だから寝る時はこのリビングで連と二人で寝てる……。そろそろなんとかしなくちゃとは思ってた」
 掃除とか整理整頓とか料理とか、あんまり得意じゃないけど、できるかぎりお手伝いする覚悟はある。
 ……ていうか、じゃあ、今日はこのリビングで川の字で寝るのかな……。
「紅茶でも飲むか?」
 紘一に言われ、私はようやく元気を取り戻した。
「あ、うん! 私がするから。私、自分でブレンドした茶葉持ってきてるから!」
「そうか、じゃ勝手にどうぞ。ポットはキッチンに置いてある」
「紘一も紅茶飲む?」
「俺が紅茶飲んでる所見たことあるか? 淹れてくれるならコーヒーで。……いつも目の前で飲んでたろ?」
「あ、そーだね……ブラック……でよかったよね?」
 紘一は不機嫌そうな目を向けて、頷いた。

 キッチンには電気ポットが置いてあった。が、なんとなくおかしいなと感じたのは、表面が冷たかったからだ。思った通り、電源が抜けていた。フタを開けて覗いてみたが、完全に水だった。
 仕方ない、鍋でお湯を沸かそう。
 私はカーディガンの袖をまくり、ミルクパンらしい小さな鍋に水を入れた。
 水音に気付いた紘一が顔を上げた。
「……お湯沸かすのか?」
「うん、ポットの電源切れてたから」
「夏にお湯沸かす技術あるのか?」
「あ、あるよ!」
 どこまで失礼なことを言うんだああ!!!
「火傷すんなよ?」
 紘一がいぶかし気な顔をして、リビングからキッチンへと入ってきた。
「だ、大丈夫です! たかがお湯沸かすのを、20代半ばの女ができないはずないでしょ?」
「20代後半な」
 キィィィィ……!
 どこまで私をバカにするんだよ! でも、今、笑ってる。
 無表情が多い紘一が、こんなに普通に笑うなんて、ちょっと信じられない感じ。
 やっぱり自宅って、なんか心を開く効果があるよね。あるある〜。だから、きっとうまくいけば、このまま連が帰って来る前にキスくらいは終わっちゃって、連に見られて恥ずかしい〜〜みたいなことになっちゃうんだけど、でも今日の紘一は『やっぱり連には悪いが夏は渡せない』とかなんとか言って連も『そんなに仲が良いのに、俺の入る隙間なんてないよ』とか言って遠慮してくれちゃって、また散歩行ってきます〜とか言ってくれてる間に、もう私は紘一にキッチンのカウンターに押し倒されてて、服にぐっと手をかけてまくり上げられ、そのまま紘一の掌が私の素肌に……
「おい、沸騰してるぞ、ちゃんと見てろ」
 紘一の呆れ声が聞え、我に返った。
「ええ?」
 私は驚いてミルクパンの取手をバコンと叩いてしまっていた。


「夏っ!!」
 紘一の声が聞えた時、私の左半身の腕から脚に、煮えた湯が全部かかっていた。
「あっ……!!」
 もう言葉にもならない。反射的に悲鳴を上げて跳ね上がった後、よろよろと崩れそうになる。すると傍にいた紘一が、しっかり抱き留めてくれた!! えええーっウソみたいっ!
 抱きしめられたの、今日はこれで2回目だ。
 倒れそうになった玄関先で、そしてお湯を被ってよろけた今……。
 なんて考えている間に、私の体はふわと床から浮かび上がった。紘一にお姫様抱っこされていた。
「えっ? えっ?」
「冷やすんだよ、風呂場で。脚までかかってるからキッチンじゃ無理だ」

 そして私は紘一に、服のまま風呂場へ放り込まれた。

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(3)
 風呂場で上野紘一(うえの・こういち)がスーツ姿のままシャワーを持って目の前に立っていた。
 ヒリヒリする左腕は、剥き出しの肌に熱湯が当たったため既に真っ赤になっている。左脚は、ミモレ丈のスカートを穿いていたせいで、太腿や膝は無事だが脛から下が痛む。特に靴下を穿いている足の甲の痛みは腕よりひどいかもしれない。気が遠くなりそうなギンギンする痛みに、涙がこぼれた。
「手と足を揃えて、俺の前に出せ」
 何か聞きようによっては留置場に入れられそうな感じだけど、「痛い痛い」と泣いて取り乱す私とは正反対に、紘一はいつも通り静かなものだった。
 シャワーで水を掛けられるんだと思っていたら、紘一はなぜか寸前でその手を引っ込めた。
「ダメか」
 紘一はそう呟いてシャワーのヘッドを外しホース状にした。
 そして手と足に上から水を流し掛けてくれた。

 柔らかな水流だった。左の二の腕からひざ下足首へと流れ落ち続けた。私は座り込んだ姿勢だったので、ほぼ体中水に濡れていた。同じように屈んで目の前で水を掛けている紘一の服も、濡れてしまっていた。
「まだ、靴下脱ぐなよ。肌に貼り付いてたら、ふやけた皮が剥けるぞ」
「えええっ!」
「だから、動かずにじっとしてろ」

 私は紘一に言われるまま、動かずに、彼のかける水を見ていた。
 ヒリヒリした痛みが次第に水のおかげでマシになると、私は黙っていることができずに、すぐ目の前の紘一に話しかけた。
「朝、三島さんに会ったの。紘一が小さい頃どんな子だったかとか、教えてもらった」
 そう言うと、紘一は顔を上げて私を睨みつけた。
「そんなの、鵜呑みにすんなよ」
「そうだけど……でも、私何も知らないから、できたら話せるところだけでいいから紘一の口から教えてほしいな。私たちって、お互い何も知らなくて、それでうまくかみ合わないんじゃないかな。私のこと知らないでしょ? 知らないのに嫌われるのは、納得できないなーって……」
「そりゃ、過去の事まで知らないけど……」
 紘一は溜息をついて、また、私の赤い肌へと視線を落とした。
「……俺が知ってるのは、食事の好き嫌いが激しいクセに俺の前では絶対涙ぐんででも残さないで食べてる夏とか、花が好きっていいながら、かすみ草とカサブランカの匂いが苦手で渋い顔してる夏とか……」
 紘一は特に考える風でもなく、スラスラと話続ける。
「体温低くて低血圧かと思えば、あっという間に血行が良くなるとか、優柔不断すぎてセンス悪くて服は雑誌に頼り切りだとか……。あと会社での仕事が好きで、俺と違ってみんなとうまくやってて、プロジェクトリーダーを任されたことがあ……」
「も、もういいよ!!」
 私は耐えられなくなって彼の言葉を遮った。

 私は、自分が盛った話まで覚えられていることに愕然としていた。
 紘一は、フッと笑ってそれ以上は言わなかった。
「体が濡れて寒いだろ。今タオル持ってくるから、右手でホース持って、水かけとけ」

 紘一がいなくなった風呂場で、私は火傷もしていない胸の奥が痛んで、さらに涙が出た。
 私の事を見ていなかった訳じゃ無くて、しっかり見た結果、嫌われたんだ。これじゃ、理由を聴く必要なんて無い。私自身、そのものが、紘一に気に入ってもらえなかった、そういうことになるんだから。

 すぐに戻ってきた紘一は私の背中に分厚いタオルを何枚かかけて包んでくれた。
 そして私の右手からまたホースを取り上げ、左手足に水を掛け始めた。
「独りでできるよ。紘一が風邪ひくからもう、戻って着替えていいよ」
「ああ。それじゃ」
 彼はそう言ったものの、ホースを渡す気があるのかどうかわからない、ぼんやりとした顔つきで視線を下げた。
「何も知らない相手を意味なく嫌いにはならないし……、知ってる部分の夏を嫌いだと言ってる訳でもない」


「別れの理由はちゃんと言った。俺は夏に似合わない。なぜなら、夏が俺を知らないまま好きになったからだ」


「夏の思い描いている俺はただの妄想の男だ。俺はそんな風にはなれない。だから付き合ってゆけない。わかったか?」


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(4)
 私は言うに言えない文句を、心の中で繰り返す。

 だからさ、隠してる本当の紘一を教えてって言ってるじゃん。
 何を聴かされたって、嫌うことなんて絶対無いのに。もう、どんな人かわかってるのに。

 最初、見た目に惹かれたのは事実だよ。
 でもイケメンにしては残念すぎる、対人的に不器用な性格が、紘一らしくて愛しくて好きなんだよ。
 器用で温和な人だったら、好きになって無かったかもしれない。真逆の、不器用で表現が下手な人だと知ってるから、他人の悪意から守ってあげたいと思うんだよ。


「人と深くなるのは苦手だ。自分を晒すのは嫌だ。まとわりつかれるのは辛い。これでも、相手の理想に近づこうと無理するクセがあるからな」

 それが自己紹介なの?
 あんまり紘一が否定的なことばかり言うので、私はつい思っていた事を口にした。
「じゃあ無理してない自然体の優しい部分を見せてよ。見せてくれないから勝手に妄想がエスカレートしちゃうんだよ。キスしてくれたら痛みだって止まる……そんなおとぎ話の王子様じゃないかな、みたいな妄想までされちゃうんだよ……」


 紘一は私の言葉を聞きおわると、急に手に持っていたホースを床に置き、私の前で片膝立ちした。
 ああっ、まさに王女に傅(かしず)く異国の王子様のよう!!
「わかった。今キスしてやる。それで現実をちゃんと見ろ」
 足元でホースから水が流れ続ける中、紘一は私の頬を冷えた指で触れた。
「1秒でも水をかけてないと傷が痛んで来るだろ。何秒我慢できるかな」

 その時私は思った!
 痛みは止まらなくていい! 何秒でも我慢できる。紘一のキスがあれば幸福できっと全てが耐えられる……!


 紘一は私の顔には近づかず、なぜか頭を下げた。
「紘一?」
 謝ってる姿勢かと思えば、私の赤く腫れた腕を手に取り、そこに温かい唇を当てた。

 ええっ、ソコ???

「いっ! イタイっ!!!」

 微かな接触でも、僅かな温度でも、今は痛いんだってば!!!!!
 キスで痛みを消すどころか、増してどうするっ!!!


「俺はキスで痛みを消せる魔法は持ってない。そんなキャラを背負わすな」
 紘一はそう言って、また黙って床のホースを拾い、腫れた手足にそっと水を流し掛ける。



 も、も、もう……ぅぅぅううう……

 なんなの、この、シチュエーション!!! 優しいのかイジメなのかっ!!!
 どっちかにして!!!!

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(5)
 そこへちょうど久芳連(くぼう・れん)が帰って来た。
 わーわー叫ぶ私の声を聞きつけたのか、真っ青な顔で飛び込んできた。
「ど、どうしたの?」
 連の声を聞いて、紘一がパッと顔を上げた。待ってましたと言わんばかりに立ちあがり、さっさと連を風呂場へ呼び込む。そしてホースを渡すと、
「後頼む。見ての通りの火傷だから痛み止めの薬を荷物の中から探して来る。おまえは今すぐ痛みを止めてやれ」
と言って、風呂場から交代で出た。
「痛みを止める……!?」
 連は当然水の流れ出るホースを見つめた。
「連、水ぅぅぅっ!!!」
 私が泣きながら懇願すると、連は慌てて、私の手足に水を掛け始めた。

 それを風呂場の外から覗いていた紘一が一言。
「連、水じゃない。王子様の魔法がご所望だ」

「ちがうぅーーー! 水で……いいぃーーー!」

 私の絶叫を聞くと、腹を抱えてと表現していい笑いを見せながら、紘一が姿を消した。
 あいつ、あいつ、もう、大っ嫌い!!!

 ……に、なれたら、どんなにか良いのに。




 モワモワとした感触のくせにヒリヒリ痛む。
 わかるだろうか、この火傷の広い傷口を、ワセリンで塗りたくられているという状態が。
 この連の節のある細い指が、できるだけそっと塗ってくれるのだが、くすぐったい上に痛いという、声にならない苦痛の連続。
「ワセリンなんかで大丈夫なの? ちゃんとした薬をドラッグストアで買ってきた方が良くない?」
 連が上野紘一(うえの・こういち)に訊く。すると相手は答えた。
「ラップして、冷えピタ貼ってタオル巻いとけば、薬も病院もいらない」
 どうやら紘一は子どもの頃からそのように育てられてきたようだった。

 上野紘一……。
 彼は引っ越しの荷物の中から小さなワセリンの入ったボトルを探しあてるまでの30分、部屋中を散らかし続けた。ようやく見つけて足元を見た彼は言った。
「今日は3人とも、テーブルの上で寝ることになるかもな」
 そんなことを言った後で、彼はなんと風呂に入れない私を尻目にサッサとシャワーを浴びて着替え、連に私を任せた後、今こうして、風呂上がりの涼しい顔でビールを飲んでいる。
「ソファー買おう。誰か来た時、ソファーで十分寝れるな」
 PCは接続や設定をしている暇がなかったらしく、携帯でネットショップやニュースを読んでいる。元々ネットが好きでは無い紘一だから、携帯だけで十分なようだった。

 日常の紘一がろくな態度じゃないとはわかっていた。昼過ぎてから起きて来ていきなりゲームをやり始めるようなやつだ。こうして親すらいない環境となると、さらに状況は悪化するに違いない。
 ここしばらく忘れていたが、紘一は冷たいだけじゃなく、私に対してだけは、かなりのマイペース男だったのだ。

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(6)
 この態度、どう見ても私の痛みなど気にかけてはくれていない。心配する言葉もない。
 いいさ。わかってたさ。この非情な王子様は、現実世界にしか生息してない希少種なんだ。

 ただ、窓の外に見えないように干されているスーツの存在に気付くと、少しだけ、紘一の優しさを感じる。
 私に水をかけてくれている間に、結構濡れてしまっていた。私の体はタオルで温めてくれたけど、紘一自身は寒くなかったのかな。それを考えると、真っ先に風呂とビール……でも、しょうがないか。
 うう。
 私ってなんて理解ある、我慢強い女なんだろう。
 こういう女は滅多にいないんだよ。逃すともったいないのに、紘一はなんでわかんないのかなー。

 連はというと、1時間ほど水で冷やすことに付き合ってくれ、その後、私の腕に薬を塗ってくれている。
 ラップを手際よく巻き体温を下げる冷却材を数枚貼りつけた。
 時折「痛くない?」と尋ねてくれるところが連らしい。その度に上目遣いで見つめられるので、ちょっと恥ずかしくなってしまう。それくらい、うっとりする可愛い顔立ちだから。
「フェイスタオルとか包帯だと手足を動かしづらいよね、ネット状の包帯を……」
 言いかける連に、紘一が呟く。
「寝る時に動いてすぐずれるぞ」
 私は寝相をバカにされたと思って「痛いのに、そんなに動かしたりしませんっ」と言い返したが、二人の男は全く聞いておらず、何故か穏やかならぬ空気を漂わせていた。

「ずれるかなあああ。俺ならうまくできるけど」
 連が言う。すると紘一も返す。
「ああ、そうか。脱がし慣れてるからな、連は」
「腕とひざ下だよ? 触れないようにやろうと思えばできるでしょ」
「できるのかあ。さすがだなあ。拝見したいもんだな」

 なんなんだ、この会話は。
 私は急に、ライオン2匹がいる檻の中に放り込まれた気がした。

「だって、全部脱がせる必要も無いわけだし」
「片足だけ脱がすって? 色気がないな」
「えっ、えっ、えっ……!!」
 私が2人の顔を見比べていると、二人は急に私の顔を見た。

 瞬きが止まらない。
 この、流れはなんだろう。仕組まれているのかっ。

 連は無言のまま、買ってきたカラアゲと、買ってきた白ご飯と、漬物と、フリーズドライの味噌汁をテーブルに並べた。
「こ、これが晩御飯?」
 私が訊くと、紘一は冷たい目で私を見た。
「ご不満ですか、王女。我々は疲れてて、面倒なんですよ」
「明日からは夏が作ってくれるから、大丈夫だし……あ、やけどしてるからできないかあ……」
 怖い顔の紘一と、黙り込む連。
 所在の無い私は、何も言わず頭を下げ、右手だけで『頂きます』をした。

「そうそう何日も居られてたまるか」
 紘一の冷たい声が、頭の上を通り過ぎた。


「さて、どこで寝る?」
 食事が終わり、紘一に問われた。
「奥の部屋は散らかってるが鍵がかかる。布団くらいは敷いてやる。それとも、このリビングで俺たち二人と一晩中楽しい話でもしたいか?」
 私は大きく頭(かぶり)を振った。
「いえ、今夜は奥で寝させていただきますっ」


 脅されなくても分かってるよ。
 さっさと私を隔離して、リラックスしたいんでしょ。
 この牽制し合っている二人が、同時に私を襲うわけないじゃん。
 芝居が下手くそなんだから。

 信じらんない。まだ、9時だよ。


Part4に続く≫ 
 
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