M of L - 夏さんの、恋する意義 -

【あらすじと目次】

●あらすじ●

若いとは言えない26歳の夏原夏は恋をした。完全なる一目惚れで主導権は常に相手の上野紘一が握っている。
それでも食らいついて来た8ヶ月後、エンディングを迎えることになる。ええ? 始まって早々エンディング?
叩きつけられたエンディングをものともせずに突き進む夏さんの恋は、どこまで成長していくのか。
20代後半だろうが、妄想癖があろうが、つい応援せずにはいられないオトボケ主人公は、今日も迷惑を振りまいていく。
1話(6節〜8節)7500〜10000字程度、長編。

 

●目次●

Part 1 ; Look at me !
  第1話 私の彼は   /  第2話 俺の彼女は  /  第3話 彼のセリフ  /  第4話 彼女の妄想
Part 2 ; I miss you ...
  第1話 彼の行方は  /  第2話 私の彼女は  /  第3話 彼女の彼は  /  第4話 俺の周りの人間は
Part 3 ; I need you !!
  第1話 四月は始まった / 第2話 遊園地へGO! /  第3話 六人の思惑  /  第4話 痛み止めのキス
Part 4 ; I'll hold you !!
  第1話 ホンモノは誰だ   /  第2話 君を想うゆゑに  /  第3話 恋   /  第4話 彼の気持ち

スピンオフ企画
  バレンタイン・トラップ   /

 

(1)
 プラットホームに立っていると、誰かの服にでも付いて来たのか、桜のはなびらが一枚、足元に落ちていた。 その花びらをよけて、重い荷物をドサリと置く。後10分、電車は来ない。

 もう午前9時を過ぎている。
 その上、私、夏原夏(かはら・なつ)が勤務し住居のあるこの地域は、都心とは離れているせいで乗降客も多くない。静かな駅で、私はぼんやりと考えていた。

 メールに返事が来ないのは今に始まったことじゃないけど、こんな緊急事態でさえ相手をしてくれない事にだんだん腹が立ってきた。
 私は会社まで辞めて逢いに行こうとしているのに、この気持ちは全く通じてないの? ううん、聴く気も無いってこと? それも、上野紘一(うえの・こういち)だけじゃなくて久芳恋(くぼう・れん)までが。

 紘一の綺麗な横顔に、恋がそっと微笑みながら近づいてくる。
『夏のこと、気にしてるの?』
『気にならない。今はおまえだけだから……』
『ほんと、サブロー……ううん、もう夏はいないから紘一って呼んでいいよね?』
『いいよ。二人っきりなんだから。もっとこっち来いよ……』

 きゃあああああっ!

 私が頭を抱えうずくまったので、駅員が血相を変えて飛んできた。大丈夫、大丈夫です、ほ、ほんの、いつもの妄想ですから……。
 それでも親切そうな初老の駅員さんが心配そうに私の顔を見る。
 そうだよね、私あんまり嫌な妄想は見ないんだけど、これは妄想っていうより、不安なんだよね。

「夏原さーん」
 微かに私の名を呼ぶような声が聞えて来た。ゆっくりと立ちあがり、その声を振り返る。スーツ姿の男子が駆け寄って来るのが見えた。それを見て駅員は安心したらしく、離れて行った。
 私の目の前で、軽く呼吸を弾ませながら立つ男子が笑っている。
「夏原さん、びっくりしましたよ。朝礼前に会社から消えちゃうなんて」
「あ……うん。ごめん四宮くん」
 軽く汗を拭って、まるで朝練を終えて来たかのような顔の四宮現紀(しのみや・げんき)は、爽やかな笑顔と少しの困惑を顔に浮かべている。

「いきなり会社辞めて、今からどこ行くんすか」
 彼は一つ年下の後輩で、社内では割とよく話をした方かな。でも見送るために、勤務時間中にここまで追いかけて来てくれるほどの関係ではなかったのに、どうしたんだろ。
「なんていうか、いろいろあって……」
「仕事で? プライベートで?」
「ぷ……」
「わかりました。じゃあ、聞きません。ただ」
 彼は何かにつけてせっかちなので、私の言葉を最後まで聴いてくれたことが無い。でも、まあ、そういう先に行ってくれる方が楽な時もある。
「ケータイ、忘れてますよ」

 四宮現紀は私にスマホをすっと差し出した。
 ええっ。ホントだ!
 最新機種に変えたばかりで、四宮に自慢していたから、彼も気付いてくれたのかな。
「あ……りがと……」
「じゃ、また!」
 四宮は、颯爽と走って駅のホームから出て行った。

 なんだ引き留めに来てくれたんじゃなかったんだ。
 ちょっとだけ、嬉しかったのに。

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(2)
 そしてその事に気付いたのは、残念ながら電車に乗った後だった。

 ……私、朝からずっと紘一とメールしてたよね、駅のホームでも。
 じゃあ、なんで四宮が携帯を渡してくれた時に、私のじゃないってすぐ気付かないのっ! バカッバカッ私のバカーッ!!

 都心方面へ向かう電車だったので、過疎な地区の駅から乗り込んでも、車内は割と混雑していた。私は立ったまま両手に抱えた荷物に困り、とりあえずその携帯電話は鞄に仕舞いこんだ。
 仕舞ってしまうと、ケースも飾りもついていない新品状態のままの自分のものと、見た目では全く区別がつかなくなってしまうことも気付かずに。


 終点に着くと、そこは紘一の本社のある駅になる。
 外国かと思うくらい雑多な人種、カラフルな街並みだった。
 なんだか今まで活動していた場所の『モッサリした田舎っぽさ』が『=私』の様で、洗練されたこの街が紘一や恋のような気が…………しない。私も今日から、ここの住人になるんだから!!!! この街の色に……紘一の色に染まって見せるんだからああ!!!

 ふと、駅を出て歩いていると、前に三島光一(みしま・こういち)の背中があって驚いた。
 三島さんは笑顔でゆっくりと振り返った。

「やっぱり夏原さんか。後ろからクウウ、クウウ、と犬が苦しんでるような喘ぎ声がしたからな」
 な、なんていう例え。
 ただの我慢声が漏れただけなのにっ。ていうか、この雑踏の中で私の我慢声を聴き分けられるのぉ!?
「三島さん、どうしてこちらに?」
「自分は単に雑用で本社に呼ばれただけですよ。それより、夏原さんがここにいることの方が不思議だけどね」
 もっともな話。
「今日は月初でしょ? 仕事はどうされたんです? もしかすると『突撃!本社の上野君!』みたいな話ですか?」
 三島さんがさもおかしそうに笑うので、思わず立ち止まり持っていた荷物を歩道の脇にドスンと置いた。
 私のスネた様子に彼は立ち止まり、ゆっくりと目の前にやってきて言った。
「上野君を好きなら、これは逆効果じゃないですかねえ」
「でも……」
 返事がなかったんだもん。来るなって言われなかったんだもん。行くよって、あれほどメールしたのに。
「夏原さんは、上野君のどこがいいんですか?」
 当たり前のように無表情で訊ねられ、思わず言葉に詰まる。いや、ここは怒って良い場面のはず。
「どこがって……。全部なんです!」
 三島は「そうですかあ」と言ってから、フッと笑うと目の前のカフェを指さした。
「荷物重いでしょう。本社まで後で車で送りますから、コーヒーでも飲みませんか」
「えっ」

 元々柔和な顔つきで、優しい感じだなあとは思っていたが、イメージは間違っていなかった。クマさんのようにニコニコして、ハチミツの代わりにミルクたっぷりのカフェオレを私に勧めてくれた。
「自分は軽く何か食いたいんですけど、夏原さん、パンケーキ好きですか?」
「えっ、はっ、はっはい!」
 午前11時近いというこの時間に、こんなものを食べたら、昼抜きになっちゃうよお。でも………………。
 断れない誘惑って、あるよね。

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(3)
 三島光一と言う人はどことなく不思議だった。
 ただのクマさんではないな、そう思ったけれど、どのあたりがどうなのかをハッキリと上手く説明できない。とにかくひょうひょうとしているけれど、それはポーズのような気がした。
「上野君の全部、って、本当に知ってるんですか?」
 突然、穏やかな笑顔で、三島さんが私に訊く。

 全部……。
 全部好き。性格も、見た目も、優秀な部分も……みんな……。
 私が口ごもったまま三島さんを見ていると、彼はサンドイッチをほおばりながら言った。
「彼はここの国立大を卒業してうちの会社に入社後、その才能を認められて即、みんなが嫌がるHRSに配属されたんですよ。支社勤務だったから余計虐められたんでしょうけど、メールやラインやウェブ上に殺害予告が溢れてましたよ。ま、上野君自体は虐められてるとは思っていないみたいでしたが」
「えええっ!」
 あの紘一がイジメられてた?
 三島さんは当たり前のように「ほかの支社のHRS職員も、みんなそんなもんですが、上野君は職務に忠実すぎて反感の買い方がハンパ無かったな」と笑った。
 
 私は確かに、紘一にあれこれ聞こうとはしなかった。
 だから、この時の話が初めて聞く話ばかりだったのは仕方ない。信じていいのか、そんな判断すらつかない、話の連続だった。
「そういう仕事柄、上野君はネットもあまり見ないしメールもラインも殆どしないはず」


「大丈夫です、上野君はなんとも思ってないですよ。弱かったらHRSに4年も勤めて無い」
 私が深刻そうな顔をしていたからか、三島さんはわざとらしいくらいに、優しい声で言った。
「自分の先輩があの街でお巡りさんやってて、近所の学生には目を配ってたようですが、その人が言うには、『上野紘一は子供の頃から、クソまじめ。校則に違反したことなど一度もなく、多分生まれた時からの嫌われ者。ただし、そういう男を、【孤高の人】だなんて美化して惚れちゃう女は山ほどいた。正直、見かけも成績も、周囲を寄せ付けないほどのレベルだった』そうです」
「そ、そうですか……」
 子供の頃の紘一なんて、想像したこともなかったし、彼が『打たれても打たれても飛び出すくらい強引な杭』だったとは、知らなかった。ということはもしかすると、紘一はあれでもちょっと、大人になったのかもしれない……。

「それでも、全部好きって、言えますか?」

 ふと、聞こえた三島さんの声に、私は自分がぼんやりしていたことに気付いた。
 そして、やはり即答できずに視線だけを上げた。

「自分としては、夏原さんと上野君は、合わない気がするんだな。上野君の傍だと委縮してしまう夏原さんと、夏原さんの前ではマイペースを守れない上野君。……ねえ、もっと他にいい男はいますよ。考え直してみてはいかかです? 今なら、間に合いますよ?」

 途中から食べられなくなったパンケーキのシロップが、白いお皿に涙のように流れている。
「ほかに、……なんて考えられないんです」
「考えて無いだけですよ。いい男を紹介しましょう。立候補したい所ですが、自分より若くていい男が本社にいるんです」
「ええ?」
 三島さんの目はキラッと輝いた。どうやらここからが、本題のようだった。


「久芳連って男、ご存知ないですか。上野君の友人ですよ」

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(4)
 ゴクリと唾を呑み込んだ。
 知らないととぼけた所ですぐにバレる。もう、溜息しかでない。
「どうして、久芳恋なんですか」
 私が俯いたまま訊くと、三島さんは明快に答えた。
「さっき言った、自分の先輩のお巡りさんが久芳さんて言うんですが、その10歳程年の離れた弟さん。いい子ですよ。自信もって推薦します」
 どうして推薦するのかな。
 放っておいてくれてもいいのにな。
「恋のことは、あの……」
 私が説明をしかけると、三島さんはなぜか急にテーブルを立った。そして、突然手を上げて人を呼んだ。
「五条さん、五条さん? こっちです!」

 私は口を開けたまま、言葉の続きを忘れて三島さんの視線を追った。
 そこには女の人が立っていた。
 立っていたけれど、独りではなく、傍には絵に描いたようなお世話係の品の良いオバサンが控えていた。
「……、…………」
 多分蚊の鳴くような声というやつだよ。返事でもしてるんだろうけど、こっちまで聞こえない。
 オバサンに手を引かれて、三島さんの目の前までやってきて、彼と私に会釈する。
「夏原さん、こちらは五条優姫(ごじょう・ゆき)さんです」
 慌てて立ちあがり頭を下げた。彼女は見た目だけで、とてつもない貴婦人オーラが出ている。30歳前後のお嬢さま……なんだろうけれど、三島さんとはどういう関係なんだろう。全然釣り合ってない気がする。繊細さと無神経さ(ちょっと言いすぎかな)、そんな取り合わせだ。
「夏原さん、勘違いしないでくださいよ?」
 急に三島さんが私に言う。
「僕と五条さんとを比べても、何の意味もないよ」
 そんな事を言われても、突然紹介されたら比べちゃうでしょ?
 口には出せないけれど、不満顔になってしまう。
「彼女は……ね」
 三島さんは何故か私の目をじーっと見て言った。
「今後本社勤務になるかもしれないんだよね……長谷(はせ)部長の計らいで」
「はあ……そうですか?」
「うん、何しろ彼女、得意先のお嬢さんなんだけど、上野君の大ファンでね……」


 そんな時、私の鞄の中で携帯電話が鳴った。
 画面にデッカく『しのみー』の文字。出てみると、やはり彼の声がした。
『夏原さん? 俺、四宮です!』
 その声に、思わず目の前の全てを忘れて、携帯電話ダブり事件を思い出した。
「四宮君、渡してくれたケータイ、絶対誰かのと間違っ……」
『そう正解、今夏原さんが手に持って俺と喋ってるツールは、八城(やしろ)さんのスマホです』
「えええっ、これ、八城課長のなの???」
『はい! だから、絶対に明日には返してほしいんですけど、うちの会社まで持ってきてもらえます?』
「待って、ケータイ明日まで無くて、課長大丈夫?」
『その辺りはまだ使いこなせてない人なので、大丈夫です』

 いや、いや、それでもさあああ……。辞めた会社にすぐ翌日、のこのこ顔をだせだとお!
「ねえ、四宮君が取りに……」
『いいですか、今すぐこの電話、電源を落として、明日まで壊さないように、しっかり厳重に保管しておいてくださいね。壊したら弁償すんの俺ですから。ヨロシク!』
 四宮の電話は一方的に切れた。

 なんなの。
 なんでこーゆー…………みんなして私の邪魔ばっかするのよおーーっ!!!

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(5)
 あたふたしながらスマホを鞄に仕舞う私の背後で三島さんの視線を感じた。振り返ると、彼は笑って言う。
「そろそろ昼を過ぎるんで、五条さんを本社へお連れしないと行けないんですよ。さ、一緒に車に乗せてあげますから、行きましょうか」
「えっ、えっ……」
 三島さんは立ちあがり、優姫さんと世話係を促して店の外へと出て行く。
 あああっ、本当だっ!
 店の外には、白銀のロールスロイスがいつの間にか停まっているじゃないかああ!
 いかにもクラッシックなカクカクした形でありながら、白い日光を浴びて銀色に反射する車だ。気品を飛び越えて頑固ささえ伝わって来る。古風なプライドの高さを感じる……んだけど……、確実に、アレに乗れと言われるんだろうな……。……庶民な私は、……寒気がするよ。

 想像通り車の運転手は落ち着いた執事風の男性で、私たち4人を笑顔で車内へ導く。
 私の大荷物にも全く関心を示さずに、淡々と預ってくれた。
 私はそうして、三島さんたちと一緒に、上野紘一の勤めている本社へと向かった。

 最初寒気がしたのは、エアコンのせいだったのか?
 最高の乗り心地で本社までの国道を優雅に進んでいる間、私は少しずつリラックスして、ずっと乗っていたいような気持ちにまでなっていた。もしも隣に紘一がいたら、思わず深い口づけを……。
『夏……だめだよ……』
「いや、おねがい、もっとキスして!」
『止まんなくなるけど、いいのか?』
「いいの。私、紘一となら、道のど真ん中ででもオッケー!」
 という自分の脳内の、はしたないセリフに青ざめて我に返った。
 欲求が不満している。不満が不満をひきつれて、不満だまりになって妄想から幻覚へ、そのうちファンタジーなパラレルワールドがライトノベルからエロ雑誌へ……と…………
「夏原さん、あと5分で着くからね」
 前に座っている三島さんが、私に言った。
 顔が思わず真っ赤に染まった。


 それにしても、なぜ自分の隣にいるのが五条家の使用人らしきオバサンなんだろうと不満に思っていた。

 三島さんはあんな風に『何の意味も無い!』とキッパリ言っていたけど、優姫さんの彼への視線は、どことなく怪しいぞ???
 決して触れない、それどころか近寄って来られると、怖いものから逃げるかのようにふわ〜と笑顔で移動してゆく優姫さん。男性に対する免疫が無いのかしら。三島さんは決して怖い部類の人じゃないから。

 そして『上野君の大ファン』だと言うのはホントの話かな……。

 私の場合、彼のファンの100人や200人、受けて立つ自信はあるのだっ! 五条さんがその内の一人だとしても大丈夫、覚悟はあるから。

 ただ、どちらかというと彼の事を嫌う人が、そんなにいるなんて信じたくないな。
 私が、これから一生……上野紘一を守る!!


 そう心に決めた矢先、ゆっくりと車は本社前で止まった。
 受付ロビーへと向かう三島さんと五条さんとオバサン。車の前に立つ私と、そんな私を不思議そうに見つめる運転手さん。
 昼過ぎだった。

 本社ビルからは、食事に出かけるサラリーマンがまばらに出て来て、広場を歩いてゆく。なんとなく目で追うと、偶然、そこに上野紘一の姿を見つけた。

 間違いない。
 紘一だ。

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(6)
「コーイチー!!!!!」
 私は絶叫に近い叫び声を上げて、離れた紘一を振り向かせようと慌てて走り出した。
 気付いて!!! こっちを向いて!!!
 そう思っているのに、脚が全く動かない。
 気付けば、運転手のオジサンに、背中の服を掴まれていた。
「お荷物をお忘れです」

 紘一は? 紘一は?
 ドキドキしながら彼が歩いていた方向を見ると、100メートルほど先に、スーツ姿のまま白い日光の下に立つ上野紘一の姿を確認した。
 眩しそうな顔をしたまま、じっとこっちを見ていた。
 ま、まちがいなく、私に気付いているみたいだった。
 やばい、早く行かなくちゃ逃げられる!! いや、逃げられるって、どういう状況っ! 私は魔物か!

 自分に突っ込みを入れている間も、オジサンはゆっくりと荷物を私の目の前に並べた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、ありがとうございましたっ!」
「お気を付けていってらっしゃいませ」
 がばっと重い荷物を抱えて、必死で走った。
 なんと例えようか、『やじろべえが道路走ってるけど、超ノロいよな、転がった方が早くね?』という若者の意見が耳元に届く。すまん、その通りだ。誰か転がしてくれえ。
『交通安全上、ヤバくね』
『ていうか引きずってる荷物の音、うるさくね?』
 あんたら、そう思うんなら、手助けしろーーーー!!

 立ち止まって睨みつけると、若者たちはさっさと消えて行った。くそ、私だって若いのに。

 紘一は……。
 いなくなっているんじゃないかと不安で顔を上げると、私が進んだ分だけ彼と距離が近づいていた。
 紘一はずっとその場に立って、私を見ていた。

 表情が見える程に近づいた。ハァハァ、ゼェゼェ息を切らして、荷物の重さで腕が棒……、いや、腕がつっぱり棒のようにピキーンと痛んでいるけれど、紘一に近づける喜びで気にならなくなってきた。
「紘一……」
 声の届く距離だ。
 上野紘一は、少し姿勢を変えて、私へ体の正面を向けた。相変わらずシニカルな微笑をたたえているし、何も言わないが、どうやら私を待ってくれている!!
「ごう……いぢぃ……」
 過呼吸のせいなのか、喉から枯れた声が出た。
 ようやく紘一の目の前にやってきた私は、ドスンと全ての荷物を下ろしてへたり込み、泣きそうな顔で彼を見上げた。
 紘一もさすがに笑うのをやめた。

「まさか本当に来るとは思わなかった。…………オツカレ」

 は……。あれだけ、行くよってメールしたでしょ!!
「ほ、ほかに何か言う言葉は……? 来てくれて嬉しいとか、来られて迷惑だとか、無いの? 」

 紘一は普通に困惑した顔で答えた。
「その前に、その大荷物の意味がわからない」 
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(1)
「そんな荷物抱えて人の会社に来るか、フツー?」
 そう言う上野紘一(うえの・こういち)の顔は、やや呆れた目つきから、面倒臭そうないつもの表情へと変わっていく。
「なんなんだよ、中身」
「そ、そ、そ、それはっ……決心というか」
「決心?」
 紘一は、苦い苦い顔をした。

「なんの決心かは後で聞くが、とりあえず、今からどうするつもりだ」
「ついてく!! 今ついていかないと、紘一と次いつ逢えるかわからない!」
「ついてくって……午後からの仕事にか? 冗談言うなよ。ちょっとくらい待てるだろ?」
「待てない、絶対待てない! バカ正直に待ってたら放置される!!」
 私は座り込んだまま自分で抱えた鞄を何度もペシペシ殴って訴えた。
「夏って、数時間程度が我慢できないやつだったっけ。1週間くらい平気だろ」
 紘一はそんな事を言う。

 ま、ま、前から酷い事してる自覚無いのかな。
 前の付き合い方が異常だったって、分かってないのかなっ!!

「あ、あのね、今は違うの。別れる理由うやむやにされてる状態で、何日も待てない!!!!」

 そこまで言うと、さすがの紘一も黙り込んだ。

 紘一は静かに私の目の前に腰を下ろし、そっと私の頬に手を当てた。
「夏、今から俺の部屋、来る?」



 えっ。

 驚くというより、恐怖心が体を駆け巡った。

 そうなんだよ。最初からそのつもりで来たんだよ。でもなんでか、紘一に優しく顎を引き上げられて顔を近づけられると、体中の力が抜けて水あめみたいになりそうだあああ。人間に戻して〜〜〜。

「ここから近いんだ。とりあえず、俺のマンションで待ってろ。それなら安心だろ? 俺は仕事が終わったらちゃんと帰って来るから」
 ほ、ほんとッ? 今から埠頭のコンテナに私を連れ込んで鍵かけて逃げるつもりじゃないでしょうね!
 立ち上がった紘一が、私に手を差し伸べて引っ張り上げてくれた。
「走るぞ」
「へぁあ?は?」
「ほら、ダッシュ!」

 紘一は4つあった私の荷物のうち3つを持ってサッと目の前からいなくなった。
 きゃー、置き引きーー!
 じゃないない。どこ行くのよ、速すぎるってば!!!


 街中を大荷物持って全力疾走。それも見え隠れする彼氏の後姿を確認しつつ、よれよれと走る。全力だけど疾走でも追走でもなく、別行動の人っぽい。
 たまに舌打ちでもしてそうな目で、紘一が振り返る。
 四月だというのに、汗だらだらな私に対して、紘一は息一つ切らしているようすもなくクールだった。
「仕事に遅刻させるつもりか。もっと早く走れ!」
 いや、クールというよりは、非情だった。

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(2)
「ゼー……ハー…………」
 マンションに到着、部屋の入口にようやく辿り着き、蹲りそうになるところを、上野紘一(うえの・こういち、……嘘のようだが同い年)に拷問の続きとばかりに立ちあがらされる。
 腕を引っ張られ、荷物を引き剥がされ、ああ……このまま裸にされて私は売り飛ばされる……んならせめてその前に一度くらい紘一とエッチ……
「おい、夏」
「え?」
 急に立ちあがらされフラッと体が揺れた。
 頭から倒れそうになり、傍にいた紘一が掴み寄せてくれなかったら、後頭部壁でバッチーンという所を助かっ……………………。
 助かった……んだけど。
 紘一に壁際、全力で抱き寄せられていた。

 あ、紘一、今なら壁ドンからのー深〜いチュウのチャンスだよー。
 鼻先が触れる程の距離で、見つめ合って0.5秒。

 パッと飛びのくようにして私から数歩下がる紘一は、その目にまるで妖怪でも映しているかのように、恐怖の色を掲げていた。
「あ、あ、あの、紘一……」
「な、なんだよ、しっかり立てよ」
「う、うん、ごめん。ありがとうね。あの、あの……?? どうした……の……?」
「ど、ど、……」
 いつも冷静な紘一が硬直している。
 私の質問の答えに、スラスラ答えないなんて、不思議な光景だった。
 紘一はゴクリと聞こえるほど、喉をならして唾を呑み込み、ネクタイを締め直して言った。
「夏にお知らせがある」
「お知らせ?」

 その時、目の前の部屋の扉が開いて、「じゃー〜〜〜ん」とばかりに見たことのあるコが飛び出してきた。
「れ、恋……」
 久芳恋(くぼう・れん)はその場で、控えめに笑った。
 いつもは人前でも、飛びついて抱き着いてキスくらいするのは抵抗ないヤツなのに、この遠慮はなんだろう。あ、そか、友達だから……そういう約束したから、気にしてるんだ。そっか。

「俺は……”夏の友人の”連と同居してる。ここ数日、こいつは事情により病欠扱いで休んでる」
 紘一の『お知らせ』は一部力を込めて声高に告げられた。
「あ、そ、そうなんだ」
 一体、いつから紘一と連は同居するまでの仲になってたんだろう。ていうかどこまでの仲なのよ。そこをはっきり言いなさ……
「入りなよ、夏」
 恋は私の手を引っ張って、部屋の中へと引きずり込む。その手が少し弱弱しい。

 私たちの後から荷物全部を持って入ってきた紘一は、スーツをパンパンと叩いて、汚れを飛ばしながら言った。
「連は重度のストーキングに遭ってる……俺たちの同居の理由はそれなんだけど、俺が守ってやらなくちゃならない。連は俺がいない間は、家に閉じこもっているのが一番だ。いつストーカーの襲撃があるかわからないからな」
 結構、深刻な話だったので、思わず恋の顔を見た。あの元気な恋が病欠するくらいだから相当な被害に遭ってるんだろうな。
 でも恋は、どこか嬉しそうな顔をしていた。

「夏が来たということは、俺がいなくなった後、ここで二人っきりになると思うけど……」
 紘一はわざとらしく私と連を見てから視線を逸らした。
「サ、サブロー。大丈夫だよ、人の女に手を出したりとかしないから」
「違う。夏は俺の彼女じゃない」
 紘一の言葉に、連も私も呆然とした。そこまで断言する? やっぱりアンタたちどういう関係っ……!!
「サブロー、違う……って、そんな……」
 !!……まだ別れる事、合意してないんだけどっ!!!
 紘一はイライラした表情で髪を上げ、腕時計を確認した。
「だからまあ……わかってるな連、おまえのために夏を部屋に入れたんだからな」
「いや、それって、サブロー!!!!」
 今まで見たことの無いくらい必死の形相の恋に、私も必死でフォローする。
「私と恋は友達だから、何も無いしありえないから、ね、紘一」
「ありえない、ねえ……」
 紘一は横を向いて溜息をついた。
「別に俺に遠慮はいらない。俺は連と夏がうまくいけばいいと思ってる」

 紘一の言葉が響くと、部屋の中はまるでお化け屋敷のように温度が下がっていった。

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(3)
 紘一は、それだけ言い残してさっさと仕事へ行ってしまった。
 普段、恋と部屋で二人きりでもさほど緊張はしないけれど、今日は、恋も私も少し態度が違った。
 微妙な雰囲気の中、恋がおずおずと切り出した。
「ねー、夏。あのさあ、ちょっと見てほしいもんがあるんだ」
 恋がリビングのテーブルに紙と鉛筆を持ってきて、『久芳連』と書いた。私はただ、それをじっと見ていた。
「れんっていう名前だけど、完全に男。これからも男、懇願されても女にはならない予定」
「この字だったんだね……」
「うん。別にどう思われててもいいんだ名前くらい。でもね、一つだけこのことで言いたいことがあって」
 私たちはテーブルの上に置かれた紙の上で顔を寄せていたが、連からあえて、距離を取り体をひいた。
「夏の好きな『コーイチ』が、自分の友人のサブローだって知ったのはつい最近で、まだ消化できて無いけど、でも、それ以前に夏とは友達でいるって約束したし、コーイチとの恋愛を応援するとも約束したよね……」
 沈黙がふ……と二人の間を駆け抜けていく。
「だけど、もしサブローにホントにその気が無いなら、……コーイチじゃなくて、恋でもなくて、……連を見てほしいんだ」

 あ、え、あ、えっと……。
 私はどう答えていいのか分からず、口をパクパクさせていた。

 すると連は緊張気味だった表情を崩し、にやーと笑い、
「だめだー。夏の顔見てたら、自制できないよおー」
と言って、一瞬でテーブル越しに、私の上半身を引き寄せた。
 必死ですぼめた口も、連の柔らかな唇が押し付けられると自然に受け入れるように開いてしまう。

 ウソだ。約束が違うっ! 違うけど、この味、なつかしい〜〜。いや、そんな事考えててどうするっっ。わ、わ、わ、私は、紘一の部屋で何をしてるのっ。

 紘一は、こうなることを望んでるの?

「夏ってさー」
 いつの間に目を閉じていたのか、連の声に瞳が開く。呼吸が楽になる。
「そんなにコーイチが好き? 連も好きでしょ?」
 連はそう言って、じっと私の目を見つめた。
「……も、もちろん恋は嫌いじゃないけど、それは……」
「このまま、続きでエッチしたいって思うでしょ?」
「いや、うそ、それは妄想もしたことないっていうか、せ、性別が……」

「じゃあ、教えて。なんでキスもしてくれないコーイチを、そこまで好きなの?」
 単純な疑問を、幼い子が口にしている。そんな表情の連だった。
「なにが、コーイチに負けてるのかな? どこがダメなの?」

「もし、夏に嫌われてないんなら、……将来的に彼氏になる希望は捨てたくないよ。いいでしょ?」



 私は連の言葉に対して、この前のように勢いよく拒絶できなかった。
 少し揺らいでる。
 唇の繋がる感覚は、なつかしさと心の底の愛情をじわっと湧き出して、理性とは違う部分を反応させてしまうから。
 こんな、こんなんじゃ、インランって思われるぅーーー。


「あ、あ、あ、あたし、、この辺りに桜の綺麗な遊園地があるって調べてわかったから、だから、み、観てくる……」
 しどろもどろに呟く私を前に、連は私の頬にまたキスをしてみみたぶをペロリと舐めた。
「逃げないでよ」
「ニ、ニ、ニニゲルトカ……」
 ああ、ダメ、このまま逃げずに体を任せたい〜〜〜。

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(4)
 その時、ジーーーーというヘンな機械音が聞えた。
 途端にビクッとして立ち上がった連は、辺りを速足で歩きまわっていた。目を皿のように、とはこのことで、棚の奥やスタンドライトの内側や、窓の縁など、いろんな場所を見て探していた。
 あのおおらかな連が、かなり怖い顔をして神経質そうに指を震わせていた。

 ご、ごめん、連。
 私は今のうち、とばかりに、カバン一つを持って部屋を飛び出した。


 桜が満開で賑わう、美しい公園……を想像して来てみたものの、そこはさびれた空き地のような場所だった。
 紘一の部屋から歩いて……いや私の足で走って10分あまり。
 休日なら『そこだ!ピザマンショー』があったんじゃないか、と思われる立て札と、舞台。桜の木が二本。一応広場なので、ベビーカーを押す親子の姿がちらほら。
 チラチラ舞い散る、若い桜のはなびら。


 ……。


 ジャンクフード専門の小さな屋台の中から、オジさんがにこにこしてこっちを見ている。何か買えということらしい。
 昼ごはんは抜きにする予定なのに、私はチーズとローストビーフのサンドイッチを買ってしまい、錆びた白いテーブルにトレーを乗せた。
 やはり錆びた、重い鉄製の椅子に腰かけた。テーブルも椅子も、白いペンキが3割くらい剥げている。
 ああ、見晴らしがいい。
 人がいない。

 アイスティーを飲んでいると寒くなってきて、ふと周りを見渡すと、背後に人影があった。
「きゃああっ!!」
 びっくりして椅子からずり落ちそうになっていると、その人影は私の体をしっかり引き上げた。
「もう。鈍感なんだからー」
「ど、鈍感……て、お、脅かさないでよぅ。いつからそこにいたの?」
 私は助けられた手を取って、ほっとしながら訊いた。
「そうね、15分くらい前からかな」
 上野美羽(うえの・みわ)は肩をすくめ、天使のような笑顔で言った。

 美羽ちゃんは、私の目の前の位置の椅子に改めて腰かけてから、笑顔で言った。
「なんで連は、私より夏ちゃんの事が好きなのかな?」
「えっ……」

 その時の美羽ちゃんの瞳が、薄く灰色に光ったように見えた。
 まさか、連のストーカーって、み、み、み、み……。
「連が言うには、私と出逢うより前に夏ちゃんと出逢ってたから、なんだって。時間の問題なんだって。私が連をどれだけ思ってるかとか、夏ちゃんがお兄ちゃんを好きだとか、そういうこと、全然関係無いみたい。不思議よね。連って子供過ぎよね?」
 美羽ちゃんは平然とそう呟く。
 そして、テーブルの上にゴトンと何か硬いものを放り出した。
 連の携帯電話だ。
 しっかり画面が割れている。破壊されている。
「これ連に返さないといけないから、今からマンションに行こうよ。場所は分かってるんだけど、私が行っても開けてくれないのー。だから、夏ちゃんも一緒に!」

 間違いない。
 美羽ちゃんがストーカーだったんだ。
 私がここにいることも、さっきの盗聴で推測したのか……。

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(5)
「ね、夏ちゃん。お兄ちゃんのこと、まだ好き?」
 姿形だけはとろけそうに可愛らしい美羽ちゃんが、甘いまなざしで私に問う。
「う、うん。勿論」
「そうよね、だからここまで来たんだもんね。根性あるとは思ってたけど、いい加減諦めるかなと思ってたのに、ちょっと見直した。本質的に仲良くなれそう」
 美羽ちゃんは満足そうに笑って、私のアイスティーを手に取って、ストローに口をつけた。
「ここはさ、二人で作戦立てようよ。夏ちゃんはお兄ちゃん、私は連と付き合えるように」
「え?!」
 私にストーカーの片棒を担げと言うの??
「でもムリかな。あのお兄ちゃんが夏ちゃんを好きになるなんて、不可能だもん」
「ふ、ふ、不可能って、それはナイんじゃない?」
「不可能だよ、感情が液体窒素並みに低温の上野紘一を攻略するのは、フツーのドMじゃ無理なのよ。もー、しょうがないから、最悪のケース私と夏ちゃんで連をシェアする?」

 シェア……。
 美羽ちゃんの提案を呑めるはずもなく、私は困って溜息をついた。
 鞄の中で何かが震えている。
 ああ、携帯だ。それも、八城課長分として預かっている方の携帯だ。あれ、電源切ったはずなのに。
 私は八城課長の携帯の電源を切り、それから自分の携帯を取り出した。自分の方の携帯の電源が切れていた。どうしてこんなミスをするんだろ、私。
 携帯の電源を入れている私を尻目に、美羽ちゃんは立ちあがった。
「もー、夏ちゃん、携帯で遊んでるヒマ無いの。行くよ、……あっ!!!!」
 私は思わず顔を上げた。

 美羽ちゃんが叫んだのも無理はなかった。
 私たち二人の視線の先には、久芳連(くぼう・れん)が立っていたからだ。

「夏が心配で探しに来た……んだけど、美羽ちゃんもいたんだ……」
 引き攣ったような、困ったような笑いを浮かべて、連が言った。
 美羽ちゃんは、一分の隙も見せず、笑顔に戻っていた。
「ねえ、連、夏ちゃんと三人で遊びに行かない? 三人ならいいでしょ?」
 その堂々とした口ぶり。
 まるでそこに悪魔がいるのかと思った。

 着々とシェアする準備を整えようとする美羽ちゃんに、逆らえない子羊連と、とりあえず第三者を装う私。ここに介入するのは命がけだ。
 でも、連だって男なんだから、本気を出せば美羽ちゃんなんかに負けるはずがない。その時に私がいたら足枷になるのか、手助けになるのかよく自分でもわからないから、だまって二人についていくしかなかった。

「どこに行くの?」
 まだ昼の3時だ。
「本物の遊園地」
 美羽が言う。私は連の顔を見たが、連はわからないと言わんばかりに首を横に振る。


 まりりりーんらんど。
 私と連はぎょっとしてその建物の前で立ち止まり、ぽかんと口を開けた。
 まりーん、つまり、海洋か。
 りりー、つまり、ユリか。
 その二つがかけあわさると、どうしてこの複合施設になるんだろう。

 まりりりーんらんど。
<混浴プライベートタイム。午後0時〜夕方4時まで30%オフ!>
 すんごい古いラブホを改造した感じのスーパー銭湯じゃん。
 どっちがメインなんだ、この建物。ピンクと白とラメが舞う派手な外壁は、とてもじゃないが、銭湯目的ではなさそうだった。

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(6)
 バシャバシャという水音。
「大丈夫だって言ったじゃない」
 美羽ちゃんは浅いプールに体を見せるかのように横たわって浸っている。もちろん、水着は着ている。
 そう、プライベートで貸し切りの、小さなプールと温泉と休憩所の集まっている場所、それがまりりりーんらんどだった。
 水着を借りて、浅くやや温いプールに体を伸ばすと、どこかのビーチの波打ち際で寝転んでいる気分になる。カップルで来ると、若干エッチな気分になることは否めない開放感だ。だからこその、すぐ隣の休憩ルームということか。
 要するにメインは……どっちだろう。

 連も水着に着替えてプールの近くまで来ていたが、中に入ろうとはしなかった。
「もう5時だよ?」
 彼は困ったように時刻を告げる。
 散々彼の言葉をスルーしてきた美羽なのに、5時という声には慌てだした。
「えっ、マジで? もう5時なんだ。ゴメーン。私友達と約束があるんだー。ご飯食べに行くのっ。急いでるから、お二人はごゆっくりね! あ。連、夏ちゃんに手をだしたら、お兄ちゃんに言いつけるからね!」

 もう、美羽ちゃんの態度は、シェアしたいのか、兄をバカにしているのか、連を虐めているのか、よくわからない。
 私と連は呆然と美羽ちゃんの走っていく後ろ姿を見ていた。濡れた水着があたりにしぶきを撒き散らしていた。
 私はプールを出て連の傍に行った。
「私たちも帰ろう」
「帰る?」
 連の疑問形のセリフに、思わず顔を上げた。
「……帰るよお」
「帰るのお?」
 連の顔に『こんなチャンス逃すのは勿体ない』と書かれてある。

 本気でヤバいと思った。


 しかし、連は自分が着ていた薄いシャツを水着姿の私の体に掛けてくれただけで、にっこりと笑った。
「大丈夫。襲わないよ」


 着替え終わって建物の外へ出た時は、もううっすらと暗く、水に浸かった分だけ体もだるかった。眠い。これでアルコールがあったら、即眠れる。今日は朝からハードだった。
 傍に連がいなかったら、私はどこかの店に入って、紅茶を飲む間もなく、いびきを掻いて寝てしまったかもしれない。
 のろのろと疲れた足取りで元来た道を歩いていると、『そこだ!ピザマンショー』の立て看板のある、最初の桜の公園に出た。
 そこで、私と連は恐ろしいものを見た。

「おかえり」
 静かに言う上野紘一が、そこに立っていた。
「えっ、えっ」
 私も連も慌てて言葉を失った。
「なんで、俺がここにいるか知りたいのか。それなら、夏のケータイの留守電を今すぐ聴いてみろ」
 留守……。そうか、プールに入っていた間、携帯はずっと鞄に入れて放っていた。プールを出た後もだるくてチェックしてなかった。
「電源切ってたよな」
「え?」
 切ってない切ってない切ってない……え、あ、? そう言えば、まだ電源入れる前だった? 入れそびれたっけ???
「デートだから、邪魔されたくなくて電源切ったか」
 紘一の口調はいつも静かだ。しかし、視線は、私の顔を射たあと、連の顔へも移った。

 連はボソリと言った。
「夏のことなんて別にどうでも良かったんだろ、サブローは」

 連に言われても、紘一はすこし視線を落としただけで何も言わなかった。
 私は連に急に手を引っ張られ、紘一の前を横切る。
「行こう、夏。俺もう、サブローに遠慮すんの、やめた」


Part3 第3話に続く≫
 
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