M of L - 夏さんの、恋する意義 -

【あらすじと目次】

●あらすじ●

若いとは言えない26歳の夏原夏は恋をした。完全なる一目惚れで主導権は常に相手の上野紘一が握っている。
それでも食らいついて来た8ヶ月後、エンディングを迎えることになる。ええ? 始まって早々エンディング?
叩きつけられたエンディングをものともせずに突き進む夏さんの恋は、どこまで成長していくのか。
20代後半だろうが、妄想癖があろうが、つい応援せずにはいられないオトボケ主人公は、今日も迷惑を振りまいていく。
1話(6節〜8節)7500〜10000字程度、長編。 

●目次●

Part 1 ; Look at me !
  第1話 私の彼は   /  第2話 俺の彼女は  /  第3話 彼のセリフ  /  第4話 彼女の妄想
Part 2 ; I miss you ...
  第1話 彼の行方は  /  第2話 私の彼女は  /  第3話 彼女の彼は  /  第4話 俺の周りの人間は
Part 3 ; I need you !!
  第1話 四月は始まった / 第2話 遊園地へGO! /  第3話 六人の思惑  /  第4話 痛み止めのキス
Part 4 ; I'll hold you !!
  第1話 ホンモノは誰だ   /  第2話 君を想うゆゑに  /  第3話 恋   /  第4話 彼の気持ち

スピンオフ企画
  バレンタイン・トラップ   /

 

(1)
『ねえ、鏡さん、鏡さん、紘一に別れようって言われたの。その理由がわからないの。教えて?』
 私、夏原夏(かはら・なつ)は夢の中で大きな鏡に問いかけてみた。
『可愛い可愛い君。それはね、本当はこういう意味なんだよ』
 鏡さんは紘一の顔を鏡に映し出し、紘一の声で優しく語り出す。
『……ごめんな、夏。ホントに好きだった。付き合えて幸せだった。でも、俺は夏の事をちゃんと幸せにできるようになるまで、もっともっと頑張るべきだと思うんだ。努力して、最高の男にならなくちゃ、夏には釣り合わないだろ? 俺、誰よりも夏に相応しい男になりたいんだ……。それまで待ってて、なんて言えないから、今は、ただ、サ・ヨ・ナ・ラ……』
 目が覚めてホロリと涙する。名曲でも聴いた気分。
 そうなのね、ありがとう。でも私は今のままの上野紘一(うえの・こういち)で十分なの。別れたくないの。
 だから……。


 月曜の朝、なんとなく出勤前に紘一の会社に寄ってしまった。
 普通、別れ話の後にこういうことをすると、相手にドン引きされると思うんだけど、紘一の場合は気にも留めないような気がした。というのも、私は以前、あるコトを目撃しているから。
 その、あるコトとは、こんなコト……。

 あれは忘れもしない去年の9月5日、紘一の会社が入っているビルの傍を、たまたま私が歩いていた時だ。紘一と彼の同僚らしき人達が、話しながらそのビルから出てきた。
 彼らは建物の陰に私がいることに気付かぬまま、停められている社用車からいくつかの重そうな荷物を運び出そうとしていた。
 十人近い白シャツ男子の中にあっても、紘一の姿はひときわ光り輝いている。
 どこが違うって、まず体のラインが違う。動けばてぷてぷ揺れるようなだぶついた輪郭はしていない。細い体躯でも力強く、袖を捲った腕は重い荷物を軽々と持ち上げる。素敵……やっぱり男の子っ。周りのボテボテとした男子は腕を捲っても、オジサンがため息をつきながら仕事をしているかのように動きが緩慢。比べ物にならない。
 紘一の作業する手つきは、しなやかで繊細で丁寧。清潔感に溢れた皺ひとつないシャツ、落ち着いた色のネクタイ、おとなしい印象の黒髪。でもキビキビした動きのせいで、暗いイメージは湧いてこない。ビジネスマンとしても男子としても、超カッコイイ。メンズノンノを連想させる紘一に対し、彼の周りの男子たちはビバリウムガイドしか思い浮かばない。それくらい違う。私の目にはそう映る。
 紘一の細い切れ長の目元は憂いを含み、相手を見つめる冷たい瞳の色にぞくっとするけど、綺麗すぎて目が離せない。触れたら赤く染まりそうな頬。すっと通った細い鼻筋、果実を想わせる柔らかそうな唇、キスしてみたい小さなみみたぶ、首……そしてワイシャツのボタンを外し胸元に頬を寄せて…………うぁああああっ!!
 やっば!! もうちょっとで紘一に吸い寄せられる所だったぁ!! 何歩か、足が出かかってたよ!!

「上野君、最近付き合い始めた人がいるんだって?」
 紘一の隣にいた人が、反応を窺うような目で彼を見ながら尋ねる。
「HRSの紺野君から聞いたんだけど、冗談だろう? 君があの、カハラ……」
「夏原さんと付き合ってるよ」
 紘一はあっさりと答える。あまりに事も無げに言うので、周囲の男子たちが戸惑っていた。
「あ……言った。隠さないんだね。隠すでしょう、普通、君の立場なら隠すと思うんだけど……」
「隠す気は無い……社内恋愛じゃないんだから」
「でも、HRSの人間がランキング女王はマズイんじゃないのかな? みんなの注目度が……」
「注目? 願ってもないな。夏原さんは、上野紘一と付き合ってるって、ちゃんと拡散しておいてくれ。彼女に遊び半分で絡もうとするやつがいると困るからな」
 紘一は淡々と言った。その後、彼らはビルの中へと帰っていった。

 私はただ硬直し、彼らの後姿を見送っていた。
 ちょっと、待って……。
 紘一は、紘一の心の中は……。

 俺の女に手を出すな!! 夏は誰にも渡さない!! (’’▼Д▼’’)/シ

 ……ってこと!!? 

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(2)
 だよね、だよね、もーーっ、私には冷たい態度しか取らないくせに!! 一体どこまでシャイなの! 
 可愛い過ぎるぅーーーっ!!!


 っていうような事があった。
 それってつまり、紘一は、私と付き合っていることを社内で公言しているという事。
 だから、こういうことになってしまった今、会社の人に紘一の様子を尋ねるくらい許されると思うんだよね。だって別れの原因がサッパリ分からないんだから、彼の周囲に訊いてみるしかないでしょう? 例えば『オレタチは別れたよ』って社内の人に言ってる可能性だってあるし、別れた理由だって口にしているかもしれないし。
 ……ん……。
 二人の間の事を、全部会社の人に話してるとしたら……それはそれでちょっと嫌だけど……。

 意を決して聞き込みをしてみたが、その月曜日は、残念ながら大した情報は得られなかった。それどころか、
『え、上野君と別れるの?』
と訊かれたくらいだった。
 そして火曜、水曜は、会社の用事で他支社で仕事をしていたので、聞き込み調査はできなかった。


 会社の窓からぼーっと向かいのビルを見ていた。
 今日は木曜。紘一に別れると言われてから、はや6日目。当然だけど、彼から連絡はない。
 こちらからも、電話やメールは一日一度と決めている。それ以上やったって逆効果なのはわかっているから。

 スマホを鞄から取り出し、メールをチェックする。紅茶を飲んで仕事をして、メールをチェックする。電話をかけたい気持ちを必死でこらえつつ、トイレで化粧を直して、席に戻り、メールをチェックする。
 デスクの上に誰かのお土産のせんべいがあったのでボリボリ食べながら、自社製品のカタログを見てはため息をつき、メールをチェックする。受信すればピンク色に発光するからチェックしなくてもわかるんだけど、気になってまたチェックする。

 午後5時。
 紘一の会社の終業時刻を、私は知らない。多分5時から6時の間くらいじゃないだろうか。そわそわして窓の近くに立つ。いや、ここからじゃ彼が出て来た時に追いかけても間に合わない。いっそ、ビルの外で待ち伏せ……
「おい、夏原」
「はいっ」
 コートを手にして部屋を出ようとしていた私を、課長がゴミでもつまむように襟を引っ張って、課長席へと連れて行く。
「な、なんでしょう」
「ン? 夏原サンはもうお帰りですか? まだ6時前ですがあ?」
 うちの勤務時間は6時までだった。
「いえいえ、ちょっと眠くなりそうだったので、外の空気を……」
「ほおー。この年度末の、社内中ひっくり返ってる時期に眠いとは……。羨ましい限りですなぁあー」
「私、すること無いんでー」
 にこにこ笑うと、課長の顔が鬼の形相に変わった。
「じゃあ、仕事をプレゼントしようかな!!」
「へぁあは?」
 私はその夜、8時まで他課の雑用を手伝わされたのだった。

 結局今日も紘一とは連絡を取れずじまいだった。
 今更だけど、もしかして、本当に別れちゃうの? 悪いところは全部直すって言ってるのに、それでももう修復不可能なの?
 私はだんだん泣きたくなってきた。こんな夜は、あの子に、話を聞いてもらおう……。

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(3)
「こんなのパワハラだよー! 強制残業なんてさー。労働なんとか局に訴えてやるー」
 私は電話口で唸った。
『それはパワハラの前に見捨てられなくてヨカッタネ、だと思うけど。ちなみに労働基準監督署じゃ、単発2時間の残業の事案を申告しても、絶対、聞いてもらえないよ』
 相手は笑いながら言う。
「もー、れんは、私の苦しみをちっともわかってくれないーー!」
『確かに、わかりづらい……かなあ……』
 大学時代に知り合って、それ以降は何かあるたび連絡する、大親友と言って良いはずの久芳恋(くぼう・れん)だが、彼女はなかなか私の味方にはなってくれない。
「ちゃんと聴いて、れん、悲しいのよ、もう酒も涙も男も女も全部呑んじゃいたいくらい悲しいのよ……」
『……夏、オヤジとカラオケに行きすぎ。そっちのパワハラの方が深刻だよ』
「れんはさー、なんでそうクールなのかなー。失恋したこと無いんじゃないのかなあああー」
『あるある。山ほどあるよ。……ただ、ねえ。夏も夏だから、相手の……誰だっけ、コウイチ? そいつのことも、どこまで非難できるものかわかんないって……かんじかなー?』
「わかってるの。悪いのは私なの、私なのよおおーーー」
 ぐじゅぐじゅと泣き出すと、慌てて恋が言葉を続けた。
『わかった、じゃあさ、明日飲みにいこーか!』
 恋はそう言うと、時間と待ち合わせ場所を告げて電話を切った。

 ん、もしかすると、めんどくさいから電話を切り上げられたのかな。
 私はティシューペーパーを探しながら考えていた。



 翌、金曜日。3月も今日で終わりだ。
 朝8時半。駅から職場へ向かう道で、もう既に私は焦っていた。
 平日を逃すとなかなか紘一を捕まえづらい。最悪、週末に彼の実家へ押し掛けるなんてことになるかもしれない。いや、まさか。そんなことしたら、紘一の怒りを買う。でも家族を味方につけるっていうのも手だし。そうだ、私は彼の家族には好かれてるんだから、美羽ちゃんとか、ご両親とかに泣きついちゃえば良くない?

『もう、夏には負けたよ……』
 紘一は苦笑しながら部屋から出て来て、私に笑いかける。
『うちの家族が、夏以外の嫁は認めないってさ……。嫁扱いされてるぞ? この家でいいのか?』
『いいよ。私、紘一の傍にいられるなら、砂漠の真ん中だって、刑務所の中だって構わないもん』
『いや、俺んち、そんなにひどくないから』
 紘一は爆笑した後で、いきなり背中から、ギュッと私を抱きしめる。
『ただ、俺は、この家より、夏と二人っきりで暮らしたいな……』
『紘一……』
 耳元に紘一の息を感じて、心臓が止まりそうになった。思わず隣の紘一の顔を見つめる。彼の唇が物欲しげに緩く開いて……ゴチ。
「!!!イッターァッ……!!!」
 私は電柱にぶつかって跳ね返り、ドテンと尻もちをついた。
「大丈夫?」
 電柱が私を心配する。

 ん?
 電柱じゃなかった。
 それは薄いグレーのコートを着て立つ、背の高い男性だった。
 優しそうな、落ち着いた空気をまとった男性は、そっと私に手を伸ばした。
 彼は微笑んで言う。
「夏原夏サンでしょ? 上野君の彼女だった」
 私はポカンと口を開け相手を見つめていたが、すぐに口を閉じ、ごくりと唾を呑み込んだ。
「だ……った……?」
 過去形で私たちの事を話す、あなたは、誰?

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(4)
「最近、こんなトコで飲んでるの?」
 恋が不思議そうに言う。
「うん、コスパ重視なの」
 私は立ち飲み屋のカウンターにベタッと頭を置き、氷の入った焼酎のタンブラーを横から眺める。
「ほら、ケツ突き出してたら、変態にナデられるよ? まだそこまでだるッだるになるほど飲んで無いでしょ?」
 隣で恋は苦い顔をしている。

 モデルのようにスタイルが良くて背が高く超可愛い彼女だけど、傍にいると意外に頼もしい。というのも、恋のおかげでゲスなオヤジたちはまず、彼女をターゲットにする。私は安全圏だ。
 ただ、それはそれで、私だって自分は結構可愛い方だと思っているので、地味に傷ついている。
「おねえさーん」
 ほら、また酔っ払いがニヤァーっとした顔で、恋の肩に手を置く。恋はその綺麗な顔でため息をつくと、芸能人のように大きなメガネで顔を隠して横を向いて呟いた。
「兄貴があの仕事してなかったら、ぶっ殺すのになっ!」

 恋のお兄さんは警察官だ。当然、恋が暴れるわけにはいかない。
 そして彼女も小さい頃から柔道と剣道を習っているから、ケンカになったら例え相手が男でも勝っちゃうかもしれない。
 ……それにしても、セキュリティ会社に勤めているんだし、お兄さん云々以前に『ぶっ殺す』発言はどうかと思う。


 あんまりスケベオヤジが多かったので、立ち飲み屋から移動。
 そう、ここは私の部屋。
「そんなに嫌がられてるわけでもない、と」
「うん、多分」
「でも受け入れてもらえそうにない、と」
「うん、どうやら」
「部屋に泊めたのに、手をつないだだけ、と」
「う、う、う、うん……」
「でも、そこで相手より先に寝ちゃったら、普通何も起こらないよね」
「……ぁぁぁ」
「てか、最初にキス回避したのが最大のミスだよね」
 私は言葉なく絨毯の海に頽(くずお)れた。

 明日は休みだから恋には泊まっていってもらおう。一晩中グチを聞いてもらうのは、失恋するたびよくあること。こういう面倒見の良い姉御肌な所が、恋のいいところ。
 深夜になる頃には、グチと酒で疲れ、気持ち悪くなってきた。おとなしくベッドで恋と一緒に寝ていると、彼女が言った。
「なつー、傍で見てるとやっぱり可愛い、ほっぺにチュウしていい?」
 布団の中でべったり寄り添われると、酔いも醒める。思わず同じ布団の中にいながらも、彼女に向き合って牽制する。
「また始まった、やめてよ。私はチガウって知ってるでしょ?」
 反論すると恋は「だって、男でも女でも、泊めるってことはそういうことを覚悟した方が良くない〜」と明るく笑った。かと思うと、急に私の体を真上から押さえつけて、
「もう、なつって手間かかるなー……」
 と、あっさりと唇にキスをした。

 うーーん。
 いつもなのだ。これは避けて通れない儀式だ。
 彼女に相談をすると、結局こういうことがオマケでついてくる。わかってる。わかってるけど、ちょっとエッチな気持ちになりそうなくらい上手なキスが、さほど嫌でもなかったりするのだよ……。アブナイ私。
 私に覆いかぶさっていた恋は、キスをやめるとそっと私の上から顔を覗き込んでいた。
「なつ……」
 あ、あ、舌がそこまで……え、手がそんなことも、そんなっえっあっああっ……。
 女の子も……ケッコウイイ……よね……。
 ね、恋……。
 私の視線を受け止めて、恋はにっこりと笑う。
「体中、真っ赤だよ。かわいー」
 そして恋は、私のパジャマの胸のボタンをきちんと留めて、あらためて私に向き直る。
「紘一はともかくさ、夏が激突した ” 電柱 ” の話、聴きたいな」

 急に、彼女の口調が変わり、忘れていた話題を振られて、我に返る。
 ……ていうか、もうオシマイなのか……。
 ドキドキが止まらない私は、もしか……しなくても欲求不満ぽい。

 それにしても、電柱って……。
 ああ、あの人!
 私のことを助け起こしてくれた優しい人、三島光一(みしま・こういち)さんね……。

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(5)
 体が大きくてクマさんみたい。その人はそんな印象だった。

『ケガは無いですか?』
『え? あ、はぁぃ……』
『自分は上野君の後任で、4月から、こっち勤務なんです。これからどうぞよろしく』

「……ってニコニコしながら助け起こしてくれたよ」
 私が恋のご要望に応えて説明したのに、彼女はどこか遠くを見ていた。
 ちゃんと人の話を聴いてるのか? と思い、恋の手を掴んで引っ張り、話を続けた。
「でね、でね、社交辞令だと思うけど、『……夏原さんの写真見せてもらいましたが、実物は、こんなに可愛いんですねえ』とか言ってくれたのよーん。なんかカンジ良かったな、クマさん……。同じコウイチっていう名前でも、全然人当たりが違……」
「いや、ちょっと待て、ナ、ツ!」
 元々目の大きな彼女が、不意に睨むと凄みがある。私は思わずベッドから飛び下りて床に正座した。
「はいっ、はい、なんでしょうか!」
「自分の元カノの写真を人に見せるってオカシくない? 今カノならわからんでもないけども。さらに、後任のクマの『これからどうぞよろしく』発言、ヤバくない? ヤバイでしょー」
「え? 公認?」
「違う、そっちのコウニンじゃない、後を任された人ってこと。つまり、コウイチは職場が変わるタイミングで、夏のことも後任のクマに押し付けた……って考えられない?」

 ええ?

 …………。

 ええええ???!!


 ちょっと待って、何もかも、よくわかってないんだけど。
 まず、……まず、紘一は職場が変わるの? あのビルからいなくなるの?
 確かに三島さんは『上野君の後任』って言ってた……。言ってたよ……。それは紘一の転勤を意味するの? まさか退職? 違うよね、ほら、同じフロアの隣の部署に変わっただけ、ってことも考えられるし……。

「電話貸して。代わりに文句言ってやる」
 恋が私に向かって掌を突き出す。スマホを貸せと言っている。
「でも、だめだよ……もう、夜中だし……どうせ出てくれないし……」
「いや逆に、夜中なら出るはず」
「どうして?」
 恋は答えないで何か考えている。
 私はスマホを取り出してから「せめてメールにしない?」と恋に訊いたが、首をブンブンと横に振られ却下された。しかたなくスマホを彼女に差し出す。
 すると恋はその通話開始画面に表示された氏名をじっと見ていた。
「上野紘一め……」
 恋はそう呟いてから画面をタップし、耳に当てた。

 数秒後、恋が言った。
「着拒とかされてないの?」
「……そりゃまあ……それなりに節度は守ってますから……」
 紘一は元々、電話に出る確率が10%くらいの人だったけど、別れ話以降は完全に0%。そんな紘一が相手の場合、納得がいかないからってシツコク連絡を取ろうとするのはマズい。いつスパッと着信拒否されるか読めない。現時点で、紘一と私との間の距離は微妙なのだ! だから呼び出しだって7回以上は絶対にしないと決めて6.8くらいで切るように…………
「あ、もしもし?」
 突然、目の前で恋が電話の相手と話し始めた。
 早ッ!! 3コールくらい? なにそれ、開いた口が塞がらないってこの事だよ。
「夏から電話借りてかけてるんだけど。……何、もしかして夏じゃ無かったことがショックとか?……」
 恋はそう言いつつ、私を見て笑う。

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(6)
 そしてその後、彼女は一方的に話し始めた。
「確かに、夜中に突然この子から電話があったら驚くよね、何かあったんじゃないかってさ。でも別れたんなら、そう簡単に電話に出たらダメ。少なくとも3コールで出ちゃダメ。『私を心配してくれてる!』って期待させちゃうと、ずるずる行くよ? それから、後任のクマに、夏の写真見せるって、サイテーだよ。紹介したってことでしょ? そもそも別れる理由がヌルすぎ。説得力ゼロ。おかげで夏は諦めようにも上手く諦められないじゃん。もっと相手の為に割り切った態度を取らないと!」

 ……文句って言うより、ほぼほぼ紘一へのアドバイスに聞えるんだけど、違うかな。
 とは言っても、紘一にしてみれば、赤の他人にそこまで言われる筋合いがない。彼がどんな事を考えながらその言葉を聴いているのか、想像しただけでゾッとする。
「じゃ、今から代わるから、ちゃんと夏に対して言うべきことを言うんだよ」
 恋はそう言った後、スマホを私にサッと突き出した。

 ぎょえええっ!!!

 言うべきことを言えって、それ、
 キッチリ別れろ、って言ってるのと同じじゃないかあーー。

 思わず、目の前のスマホに身構える。
 でも、……どんな状況でも、紘一を待たせるわけにはいかない……。迅速かつ丁寧に対処しなければ。
 緊張で機械を落としそうになりながら、震える手でそれを耳に当てた。
「あの、も……しも……し」
 私が言うと、無音だった状態から、紘一の声が耳に伝わってきた。
『……どういう事なんだ』
 当然ながら彼は不機嫌そのものだった。もー最悪だよ、恋、どうしてくれんのよおお。
「こ、紘一、急に夜中に電話して……ごめん、寝てた……?」
『ああ、2時だからな。……世間は休日でも、俺は明日出勤なんだよ。……ていうより……夏。こんな時間にどこで誰と何してるんだ』
「別に、遊び歩いてるわけじゃなくて、部屋で友達とお酒飲んで寝てただけなんだけど……」
『…………酒飲んで寝てた?……』
 ププッ。

 あ?
 急に電話が切れ、私は思わずスマホを見つめた。故障?……では無いみたいだけど、話の途中だったし間違って切れたのかな?
 かけなおそうかと戸惑っていると、恋が近寄って来て、私の手からスマホを取り上げようとした。
「もういいんじゃないの?」
 恋はおかしそうに笑う。
「よくないよ、よくないよーー。かなり変なカンジだったよ。完全に怒ってるよ」
「いーのいーの。わかんないヤツは怒らせとけば。それよりさ、夏、さっきのキスの続き、してみない?」
「えっっ!!!」
 恋に、そっと覆うように両肩を抱きしめられた。
「紘一は分かってくれなくて寂しいでしょ? キスだけじゃなくて、もっと深い関係になろ」
 耳元で囁かれ、思わずゾクゾクっとした。

 だめだよ、いや、マジだめ。この世界を知っちゃったら、もうノーマルな世界に戻れない気がするし、それに、ああ……、ちょっとまって、首筋にキス、くすぐったいし、あ、ダメ……。

 恋に、絨毯へ押し倒された。 
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(1)
 私の上に被さる恋を見上げた。ウソみたいに真剣な顔で「しよ」とか言ってくる。
 そんな……ナニをスルのよ。これが、これが紘一だったら喜んで……。
 でも、恋は見透かすように言う。
「その気のない男の事なんてさっさと忘れようよ」
「そんなあ、れん……」
「嫌い? 俺のこと」
「嫌いじゃないよ、す…………」
 私は思わず迫って来る恋の胸を両手で押し返す。
 女性なら当然あるべき柔らかな弾力が、そこに無い。
「…………ぉ、ぉれ?」
 硬い。
 筋肉で覆われた胸板。

 恋、痩せててガリガリだから、貧乳かー。
 かー……。
 か ぁ…… 。

「……い、今、『俺』って言った???」


 時間が止まったかと思った。ううん、多分止まった。絶対止まった。でもタイムリープはしなかった。
 目の前の恋はにこにこしながら、ゆっくりと顔を寄せ私の唇を塞ぐ。
 地響きが鳴るかのごとく、ドンドンドン……ドン……ドンドンドン……ドドドドドドドド!!!! と心臓が鼓動を打ち始めた。
 ウソだ。
 深く舌を絡ませて、うっとりするようなこのキスは、今に始まったことじゃない。そう出会ってから、えっと……いやいやいや、もう何回とか計算できない、頭の中整理できない。外国の屋台で言葉の通じないオバチャンが大鍋で何か煮込んでるみたいに、ぐつぐつと記憶を混ぜ込んでぐちゃぐちゃにして、もう何の料理か、食べて大丈夫なのかすらわかんなくなってきてる。
 
 だめだ、このまま目を閉じたら、私、恋と……恋と……。


 その時、私のスマホが震えた。
 恋の体と私の胸の間にあったそれは、握っていた私だけでなく恋にも伝わり、キスが止まった。恋がゆっくりと体を起こす。
 震え続ける電話の画面に、紘一の名前があるのを見て、顔が強張った。
「も、も、も、も、もし、もし……」
 さっきまで恋の舌に抑え込まれていた私の舌は、罪悪感の錘(おもり)で紘一相手にうまく動かない。
 恐る恐る紘一の言葉を待つと、私の状況など推察する気も無いような、冷たく低い声が聞えた。
『男といる時に電話して申し訳ないな』

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(2)
 ちがう、そーいう相手じゃないよ! でも、助かった! 電話かけてきてくれてありがとう。 
 って!! 紘一はさっきの電話で、恋が男だって気付いたの!!? 私は……私は……恋が目の前にいても、5年間気付かなかったよ……。
 心ではありとあらゆる事を思って泣き叫んでいても、この口は尚も、もつれた状態で声を出さず半開きのままだ。
『夏のことだから、俺と離れたらさっさと次の男を探すだろうと予想はしてた。予想というより、そうなってほしいと期待してた。でも実際この状況になると、どうも理解できないな。夏の切り替えの早さに……ちょっと驚いてる』
 お、驚いてる。
 こっちも色んなことに驚いてる。恋のことを、どう……どう説明すればいいのだろう。
『というより、ムカついてる。……睡眠の邪魔するだけじゃなくて、男に電話かけさせるとはな。ソッコー部屋に入れて酒飲んで一緒に寝てる? その一連の行動の報告は、俺への厭味か何かか?』
 いやみ!! 違う違う違う、恋は女の子で……あ、女の子だと思ってたってことで……。
『言いたいことがあるなら、ハッキリ言え。今なら聴いてやる』

 何か言い訳すると、余計に気分を悪くさせそうだった。寝てる所を起こされた上にそんなこと……冷静な紘一でもさすがにキレるだろうな。
「ご……ごめん……」

 紘一はいつも、私が謝るたび呆れていたけれど、今は何も言ってくれない。

 何か言わなくちゃ。でも、何をどう言うのが正解?私が困って黙り込んでいると、恋に電話を取り上げられた。彼女は……あ、違った、彼は、電話口で楽しそうに言う。
「はーい、時間切れ。元カレはもう、電話して来ないでね!」
「あっ……」
 私の手が制止する前に、彼はさっさと画面をタップして通話を終了させた。
「れん……」
 泣きそうな顔で彼を見上げる。そんな私を恋はじっと静かな笑顔で見つめていた。
「その恨めし気な表情は、俺のせい?」
「……ほかに誰がいるの」
「だね」
 恋はきゅっと口角を上げてエクボを作ると、いたずらっ子のように笑った。どう見ても反省はしていなさそうだが、やはり憎めない。可愛らしすぎる。
「ウソつき」
「別に、騙したつもりはないよ。逢った時に『はじめまして、男です』って言うヤツいないじゃん」
 それはそうだけど。
「勘違いしてるんだなと思ったけど、ちょっと面白かったし、ま、いっかーって思ってたら、マジで全然気付いてくれないの。どうしようか、このまま女で通そうかとも思ったけど、ネタバラシしないとキスより先に進めないからね」
 よくもまあ、平然と言ってくれるよ……。

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(3)
 確かに学校とか会社に属してたら男女ははっきりと区別される。でも恋の場合、大学関係ではなく誰かの紹介でもなく、たまたま出逢った人だから、その名前と見た目で勝手に女性だと思い込んでいた。


 あれは5年前、秋の日の夕方。人通りの多い駅前だった。
 駐輪禁止の場所で自転車を支えて立っていた恋が、いかつい警察官に強く注意されていたのを見た(実はそれが恋のお兄さんだったと知ったのは随分後のこと)。
 自転車のカゴにはテニスラケット。細身で背の高いポニーテールの子が目を閉じて深く項垂れてる。
 反省してるんだし、そこまで強く叱責しなくても……。そう思って見ていたら、警察官が去った後、その子と目が合った。
 小顔で、一つ一つのパーツはちょっと大きく日本人離れしている。微かにエキゾチックな香りのするハーフの子、という雰囲気。幼い、可愛い、綺麗、純粋、甘いが絶妙のバランスで配合されている。その顔立ちには化粧なんて全く必要ない、すっぴんで十分。褐色に灼けた肌が健康的。その大きな目でパチパチッと瞬きして見つめられると、思わず吸い寄せられ、黙っていることができなかった。
「……あの、平気? ほかに自転車の停めやすい場所があるから、教えてあげよっか?」
「え? マジ? ありがとう! 待ち合わせに、この場所よく使うから教えてくれると嬉しい!」
「じゃあ、連れてってあげるね。……あ、今も誰かと待ち合わせ中とか?」
「うーん……まぁ。でも、どうかなあ、来ないかも。ネットで知り合った人と会おうってことになって、こっちは目印にブルーのシャツ姿でラケットを持ってるからって言ったんだけど……」
「ちょっと待って!!! そういうのアブナイよ!! 騙されて、強引にホッ、ホッ……テル……とかに連れ込まれちゃったらどうするの!!」
「あ、え、あー……そう?」
 恋は笑っていた。


 そりゃ、笑うよ。
 今思えば恋は、連れ込まれるより、連れ込む方だったんだから。


 共通の知人もいなくて、久芳恋(くぼう・れん)の事を『彼』とか『彼女』とかいう代名詞で呼ぶ人がいなかったから……っていうのは、やっぱり言い訳だよねえ。自分の注意力の無さに言葉を失う。
 ……私、安易に人と仲良くなって、安易に付き合ってるってことになるのかな。隙だらけなのかな。ガード緩いのかな。いやまさか、そんなことないと思うんだけど。

 恋と出逢って5年、何度一緒の部屋で眠っただろう。
 キス以上は無かった……というわけじゃないけど、ちょっとくらいのモソモソとか……多少ナデナデ……があったのと、あと、フワッと、サワッとされて、ヤワヤワッと、スルスルッと……。
 ……あぁ、マズイ、また外国の屋台のオバチャンが出てきた……。
 恋はのそのそと動いて、私の前であぐらをかいて座った。
「あのさー。知り合ってから今まで、夏のこと観察した結果、思うんだけどー」

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(4)
 リラックスした態度も、いつも通りのスタイルだ。恋には悪気が無いのかもしれないが、パジャマ姿で殆ど自分の部屋のようにくつろいでいるのは、今の状況で許されることかと問いたい。

 私の部屋には恋専用のメンズのパジャマがお泊りセットとして置いてある。恋は背が高いから、メンズを持参して来た時も全く疑わなかった。もう既に取り返しはつかないが、ちょうど一週間前、上野紘一(うえの・こういち)がここに泊まった時に貸した、あのパジャマだ。
 恋が着替えるのは入浴前に浴室で。その体をじっと見るなんてことがなかったけど、よくよく考えてみると可愛い顔には不釣り合いの大きな手足。ああ、まさか、中身までメンズだったとは。恋にキスされたりさわさわされてる時に、こっちからも触ってやれば良かったと悔やむ。いやいや、積極的になってどうするの、それ、彼の思うツボだし。
 私は恋を警戒して、向かい合って距離を取り、体育座りをしていた。

「夏は、何してても、あぶなっかしくて見てらんないんだよね」
 彼はしみじみとした調子で言う。
「あぶなっかしくなんかないよ……。大丈夫だよ……」
 いろんなことが情けなくて強く言い返す事ができない。俯いてしまっていた私に対し、恋はポジティブに、違うステージへ行こうと誘ってきた。
「実は偶然今彼女がいないんだよ。ちょうど夏も紘一と別れたし、付き合わない?」
「?……つき……?」
「うん付き合お」
「なッ……なんでそういう話になるのかな!?」
「なんで? 付き合った方がいいでしょ? エッチだけの関係より」

 恋が言うと、それが当然のような気がしてくるから怖い。なんで私と恋がエッチする仮定で話が進んでいるのか意味不明。できないできない。さっきまで友達だった子と、一瞬クラッと来ることはあってもソレはソレ。夢のような、雰囲気に酔っちゃっただけであって、軽い衝突事故です。生命を脅かす様な全損事故を起こす気はありません。
 ただ、私も悪いのは確かだ。
 もし紘一の存在がなければ、流されそうだったから。

「考えられない」
 だいたい、誰かと付き合うという以前に、心はまだ『紘一とこのまま別れてしまうのか問題』で立ち止まってるんだよ。
 それでも、恋は強くアピールしてくる。
「そう? 勿体なくない? 華奢に見えるだろうけどケンカ強いし。いつでも100%守ってあげるよ、夏のこと」

 守ってあげる……かあ。

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(5)
 守ってあげると言われれば、……やっぱり嬉しい。つい、心も動く。でも、ちょっと待って。
 感情はどこ?
 私は……。

 相手にされてなくても、紘一が好き。
 マイナスな事しか言わなくても、偉そうな態度や喋り方がイチイチ冷たくても、それでも……。
 それでも、紘一が好き。
 だって、欠点が目立つのは、見た目が良すぎるからなんだよ。
 静かで聡明な表情と、落ち着いた響きの良い声が悪いんだよ。そのせいで、何か言う度に、強く欠点を引き立たせてしまう。その顔その声その仕草そのスタイルで、そんなヒドイ事言うの?って周りがガッカリする。
 紘一はソンしてる。
 そんなふうに周りから見られる事に慣れ過ぎて、彼自身気付かないうちに、周りの期待通りに振るまってしまってる。
 でも私は、紘一の見た目も好きだし、中身も好きだよ。ちゃんと彼の全部が好き。
 人を見下すような事を言ったとしても、自分が偉いとは思ってないよね。王様でも天狗でも無い。
 本当はいつも人のことばかり気にしてる。だからめんどくさそうなんだよね。おかげで結局、自分の評判なんてどうでもよくなって放置しちゃってさ。
 私はそんな、見せない優しさを持ってる紘一が大好き。
 多分、私のこの『好き』が、ちゃんと紘一に届いてないのが、悪かったんだと思う。


「ごめん、れん、無理」
 私はすっくと立ちあがった。
「ええー。あっさりフるんだなー」
 座ったままの恋は、渋い顔で下から私を見上げる。
「もう少し考えてからでいいのにー」

 大きく息を吸って、座っている恋に手を差し伸べた。
「私、紘一が何考えてるのか分からなくて遠慮しすぎてた。諦める時は、ちゃんと言いたいこと言ってからでいいと思う。だから、……突撃してみる」
「へえっ? 突撃?」
 恋はよくわからないという顔のまま、私に手を引っ張られて立ちあがる。
「さ、恋、男と分かったからには、彼氏でもないのに泊まったりしないで」
「この時間から帰れと?」
 私は頷いた。そして玄関へと恋の背中を押して行った。ボケッと玄関に立つ恋に服と荷物を渡す。
「じゃあ気を付けて」
「冗談キツイよー」
 恋は玄関先で着替えながら「春の真夜中なんて痴漢や変態がうじゃうじゃいるっつーのに」とブツブツ言っていた。
 彼は、私の目の前で初めて豪快にパジャマを脱いだ。確かにオトコそのもの。細くて薄っぺらな体つきだが、今までよく押し倒されて無事でいられたもんだなと思う。
 なんだかんだ言っても、単にジャレてただけなんだな。だって5年もずっと、私の相談に乗ってくれていたんだし。

「そうだ、サブローに電話しとこー」
 突然恋が鞄の中を探し始めた。
「三郎?」
「うん。今、事情があって男と一緒に住んでるんだけど、あいつ、寝てるかな。車で迎えに来てって言ったら怒るかなー」
 恋が男と同棲……いや、ルームシェアしてるとは知らなかった。

 恋は着替えを終えると、私にニコッと笑ってから、窺うように呟いた。
「ごめんね。また、何かあったらいつでも相談に乗るから許してよ。もうこれからは絶対体に触れないし、キスもしない。今までのこと全部反省してる。……それでもダメ? 許せない……?」
「う……許……すよ……」
 なんでそんな仔犬のような従順な態度で、優しい物言いをするのかな。
「紘一とのこと、ちゃんと応援するからね」
 そう言って恋が、チョイチョイと手招きする。私たちは内緒話でもするように顔を寄せた。
 スッと温かな空気を、唇に感じた。
「これが最後ね」
 さっきよりもずっとずっと軽くてサラッとした、挨拶のようなキスだった。

 何か恋に言ってやろうとして、大きく息を吸うと、そのままぎゅうっと抱きすくめられた。

「これ、5年分の気持ち」

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(6)
 久芳恋(くぼう・れん)が帰った後、ベッドに横たわり、考えていた。
 彼の言う『5年分の気持ち』とはつまり、頼りない私に対する『5年分の心配』だと思う。
 それに関して自分の無防備さを反省はしてるけど、どうして恋はハグの前にキスをするのよ。まるで当たり前のように。
 もう女友達とは思えないと分かってるくせに、ずるい!! このドキドキ、どこへ持っていけばいいのだあ!

 私の気がかりは、当然、恋のことだけじゃない。
 上野紘一(うえの・こういち)の気持ちを、なんとかしてこっちに向かせたい。
 彼はあんな風に通話が切れた後、何を考えただろう。ムカついてると言っていた。勿論よくわかる。一つ一つ説明したいけど、説明すればするほど墓穴を掘りそう。

『許せると思うのか』
『違うの。恋は……友達だよ』
『そうか、ただの友達か。つまり、夏は彼氏じゃなくても、平気で部屋へ入れて、酒を呑んで寝るような女だった、ってことだな!!』
 珍しく激怒する紘一に、私はぎゅっと抱き着いた。
『恋と何かあったと疑うの? もしあったとしても、そんなに怒らなくてよくない? 紘一は私のこと振ったんでしょ?』
『…………バカ』
 苦しそうな声が聞え、思わず見上げると、紘一は苦悶の表情を浮かべていた。
『ねえ、別れるってことは、私のこと嫌いなんでしょ?』
『そんな事……一言も言ってないだろ』
『だって、だって……』
『例え好きでも、別れなくちゃならないことがある。俺と夏がどれほど愛し合っていても、未来はもう決まってる……』
 私は顔を必死で横に振る。
『違う。変えられない未来なんて存在しない。二人で頑張ればきっと上手くいくよ。紘一、私を信じて!』
『夏……』
 紘一が私の頬を両手で包み込むようにして引き寄せ、熱いキスをくれた。大好き、紘一……。


『……え? ……俺、紘一じゃないよ?』

 !!!
 ハッとして目を開けると、そこにいたのは恋だった。
『未来? そんなの、自分の手で強引に引き寄せるもんだよねー』
 彼はそんな事を言いながら、気にすることなく、濃厚なキスを続ける。
 れんっ!!
 心で叫ぶ。
 そんな、そんなっ……。

 ……………………なんでそんなにキスが上手いの?


 目が覚めると朝だった。
 なんだったんだ……。
 あれは夢? それとも不安? まさか、……が、願望???

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(7)
 土曜の朝10時。
 紘一は昨夜の電話で『明日は仕事』と言っていた。
 どこで仕事しているんだろう。なんで土曜に仕事なんだろう。全くわからない。今まで彼の個人的な話題には触れないで来た。タブーのような気がしていた。
 もしあれこれと質問していたら、紘一はそれに対してちゃんと答えてくれてたのかな。興味があることを示しても、不快にはならなかったのかな。
 考えてみると、私は彼が心を開いてくれるのを、ただ待っていただけかもしれない。

 私は期待しないまま、紘一にメールした。
<今朝は出勤って言ってたよね? どうして? 職場が変わったの?>
 すると奇跡的にすぐにメールが返って来た。
<会いたい以外の文が書けるようになったのか。進歩だな>

 紘一の返事をぼんやりと見ていた。
 確かに言われてみれば、いつ会える?とか、明日会わない?とか、そういうメールが今まで多かった……ううん、そういうメールばかり送りつけていたような気がする。ちょっと受け取る側の気持ちになると、怖いことかもしれない。
<土曜に仕事って大変だね。昨夜はごめんね>
 言葉を探す。もうそれ以上何を書いていいのか、思いつかない。ううん。思いつくんだけど。……思いつく言葉は書くわけにいかなかった。
 ……会いたいんだけど。

 それ以降、紘一からメールは返って来ず、しつこくもできないので、そこでメールが終わる。紘一の環境がどんな状況なのか分からないから電話はできない。普段からバイブレーションだけにしてるのは知ってるけど、
『こんなに見境なく電話してくるなら着拒』
と切り捨てられるリスクを考えると、恐ろしいから。

 このまま待っていても紘一から連絡は無さそうだ。どこで仕事をしているか彼に訊けないなら、紘一の妹である上野美羽(うえの・みわ)ちゃんに訊いてみよう。多分優しい美羽ちゃんのことだから、コッソリ教えてくれるに違いない。
 しかし、電話に出た美羽ちゃんの反応は、想定外のものだった。
『ごめんね、夏ちゃん、口止めされてるの。だって、夏ちゃんもう男がいるんでしょ?』
「お、オトコって……違うよ、違う。れんとはそういう関係じゃ無いの!!」
『レン……?』
 なぜか美羽ちゃんは数秒間押し黙った。
『ね、夏ちゃん、それまさか " クボウレン " のことじゃないよね?』
「えっえっ?」
 どうして美羽ちゃんが恋のフルネームを知っているんだろう、と一瞬疑問が頭に浮かんだけれど、それを訊く間もなく、彼女はケラケラと笑った。
『うっそだよぉー。お兄ちゃんと彼は一緒に住んでるんだよ? 仲良しなんだよー! 夏ちゃんは一体どっちが好きなの? ええええっ両方なのーー???っ 夏ちゃんたら、見た目通り猛獣なんだから〜』
「み……」
 見た目通り猛獣って……。
 美羽ちゃんは結局、紘一の勤務先について何も教えてくれなかった。いま実家には住んでないとだけ言われた。

 恋と紘一が同居……。

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(8)
 恋が昨夜、帰り際に言った『三郎に電話しとこー』という言葉が、頭の中に舞い戻ってきた。
 その『三郎』とは紘一のことだったのか……。どうして、わざと紘一の名を伏せたんだろ……? ていうかいつから紘一と知り合いだったの……?
 あああっ、ま、まさか、恋は……私を騙してたの? 紘一のことを教えてくれなかったってことは、私と別れさせるつもりだったとか!!? つまり、恋は紘一と付き合いたい……いや既に、紘一と付き合っている………………? 紘一が私に見向きもしてくれなかった理由は、恋愛対象がオンナじゃ無かったからだとすれば……。

 あ……
 ありえる!!

 なんか…………私より恋の方が、紘一とお似合いな気がしてきた……。
 いや、だって……美形同士が顔を寄せ合ってキスして、その細い指でシャツを脱がして肩を掴むと押し倒してそして……『女なんか見るなよ』……あの二人なら絡んでる姿想像すると綺麗すぎてうっとりする……『見るわけないだろ、おまえのことしか俺はっ……!』『うっ、俺』『いいから黙ってろ……』
 …………ス、ス、ストップッ!!!
 危ない!! これは、ダメ、絶対ダメ!!(中毒性があるっ……と思う)
 ノーマルな世界よ、カームバーーーック!!!!!


 スマホの電話帳に入力しておいた、恋の住所を調べた。
 5年間恋と付き合って来て、引っ越したという話は聞いたことが無いから、多分今ここに紘一と住んでいることになる。
 そして私はすごいことに気付いた。
 恋の住むマンションの近くには確か、紘一の会社の本社があった!
 もしかして、……紘一、実家を出てここに住んでるってことは、本社勤務になったんじゃ!



「まっ、待て、夏原!! もう一度、よく考えて話しなさい」
 オフィスのフロアに響き渡る声で、課長が叫んだ。
 私は課長のデスクの前で、憮然として言い返した。
「ですから、今日付けで辞めさせていただきます。確かめたいことがあって」
「たしかめ……? あのな、夏原、辞職願出してソク退社とか、……社会人のすることじゃないぞ? どうしても会社に来たくないっていうなら、カウンセラーもいるし……大体、休暇じゃだめなのか? 休職だってできなくはないぞ。最悪、嘘でも結婚退職とか言って、一ヵ月前に言ってくれれば……」
 課長は4月になって初めての出社日、朝礼前に私から『退職願』という銃口を突きつけられて泡を拭いていた。……ていうか、嘘でもってどういう意味ですか。私に結婚退職はそんなにありえないことですか。
「私、この仕事にさほどやりがい感じて無いですし、私が優秀な人材ってわけでもないですしー。なので、失礼します」
「こ、こら、夏原っ!……私に恨みでもあるのかっ!」
 涙目の中間管理職を無視して、私は自分の会社を後にした。
 駅のコインロッカーから、旅行用のスーツケースと大きなバッグを二つ取り出した。
 電車とタクシーで、ここから片道1時間弱。全て用意は整っている!

 駅で電車を待つ時間、メールを打つ。
 一昨日の土曜に美羽ちゃんと話した後から、紘一には同じ内容のメールを何度もしつこいくらいに送っている。こんなこと、普段なら絶対にしないけど……。
<紘一。会いに行くよ?>
<会いに行っていいよね?>
 すぐに『来るな』と返事があると思っていたのに、何度送っても何の返事も無い。相手をしないっていう態度なのかな。でも、嫌なら嫌とちゃんと言ってほしかったの。説明を聴きたかっただけなんだから。
 きっぱり断らずに無視したりするから、こーゆー突撃をされちゃうんだからね!

 恋ともあれから連絡が取れない。電話がつながらない。メールも戻って来る。ラインも無反応。
 どうなってるの? 怪しすぎじゃない?
 だから、だから、居ても立ってもいられない。

 二人の嘘と本当を、はっきり聴くまで、二人のマンションに住んでやる!!   


第3話に続く≫
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