短編集

【構成】
1話完結、前後編、3話完結など。各話3000〜5000字程度。

 

●目次●

コメディ系
  ● 残念なキューピッド 前・ / ● 七夕の夜はブラック 前・ / ● 大阪はるの陣(関西限定) /
青春・学園モノ系
  ● カケオチ’17 / ● ストーブ 前・ / ● 麗しのへそ曲がり /
恋愛・甘々系
  ● それは今だよ / ● いちごショートの願い 前・後 /
不思議・シュール系
  
● 怖い夢 / ● 家族のもめごと /
現実・社会系
  
● 幸せに向かわない直線 /
 
カケオチ’17 (1話完結)

(※下ネタ注意)
 引っ越しの都合で転入することになった私立三境梨高校。初めて登校するという今日、俺は腹が痛くてベッドで蹲(うずくま)っていた。
 子どもの頃からそうだ。恥ずかしいから同級生には言えないが、遅刻ギリギリの時間までトイレにこもっていることもある。小学校の頃など学校に着く前に……。いや、思い出したくもない。
 16の男子が、今日もヘロヘロで立てない状態。例え立つことができたとしても、漏らさないで歩けるか自信がない。それでも母の非情な声が飛ぶ。
「パンツの替えを2、3枚持っていきゃいいのよ!」
 なんてことを。大事故になったら、着替えがパンツだけで済むと思ってるのか。
 大体もう今日は完全に遅刻。転校初日に遅刻なんていう大注目を浴びるような、……そんなおもいきり変な先入観を持たれるようなことはしたくない。欠席でいいだろ、欠席で。
「お母さんは初日から欠席の電話なんてしたくないからね!」
 母はそれだけ言い残し、パートへ出かけてしまった。……多分、電話なんてしなくても大丈夫だろう。体調悪いんだから。
 しかし、どうも小心者の俺は、時間が経つにつれ、ズル休みだ、ズル休みだと皆にバレている、ズルい人間だ、これから先ちゃんと生きていけるのか、などと考え出した。
 こうなると、もうことごとく深みにはまってゆく。たかが転校初日の欠席。……普通転校初日に欠席なんてするかな……。ヤバい奴に目ぇつけられるんじゃないの?

 30分後、俺は制服を着て家を出ていた。

 腹の調子が落ち着かないのに、今日はこの冬一番の寒さだと言う。中途半端に田舎なこの町は、交通の便が悪いためバスが来るまで30分も待つ羽目になる。こっちの便のことも考えろ。
 バスを待っていると、目の前を女子高生らしき女がスキップして通り過ぎる。目を疑った。コートを着てマフラーをして、帽子を目深にかぶっているが、絶対に高校生だ。あの元気さ、サボっている以外に考えられない。
 スマホで時間を確認した。11時半。試験期間でもない。
 羨ましい。あそこまで堂々とサボっても罪悪感に苛まれないとは、きっと神経性の下痢なんて一度たりとも経験したことがないに違いない。
 スキップして通り過ぎたはずのその女が、何を考えたのか戻ってきた。
「よう、今からガッコー?」
 なんだか明るい声を出してこっちを見ている。思わず後ろを振り返った。背後にはバス停の時刻表があるだけで、人影は見当たらない。その向こうは車道だ。
 キョロキョロしていると、女は笑いながらスキップして通り過ぎては戻って来る。
「よーぅ。そのバス待ってるってことは、ナシ高っしょー?」
 やっぱり俺に話しかけているのか。
 なんだこいつは。ありすいんわんだーらんどのウサギか。俺はアリスか。これは悪夢か。
 無視していると、そいつは俺の目の前に立ち止まった。
「もうサボっちゃいなよ」
「うるさい。俺は具合が悪かっただけ。おまえみたいなサボりじゃねー」
 するとその女はケラケラと笑い出した。
「今、あたしカケオチ中なんだー」
「……ナニ?」
 面食らってその女を凝視した。すると、明るかったその女は少し寂しそうな顔をした。
「あいつ……、抜け出せなかったのかな……」
 なんだか妙にしんみりした空気になった。黙り込む女を前に、なんとなく気まずくなって言葉を探した。
「相手から連絡は? メールとか」
 俯いていた女はチラと俺を見上げた。
「知らないの? ナシ高はケータイ持ち込み禁止だよ。最近持ち物検査キビシーんだよ」
「ナ……ナシ高って……相手は三境梨高の生徒かよ」
「そーだよ。あたしも。あ、あたし、2年3組宇佐美リカ」
「に……」
 それ以上何も言えなかった。隣のクラスじゃないか。ウサギは黙り込んだ俺のことを、何か胡散臭いものでも見るような目で睨む。
「フツーさ、名乗られたら名乗り返すもんでしょ」
 ……こいつは武士なのか?
 そうは思ったが、黙っているのは少し悪いような気がした。
「4組……佐竹……蓮太郎」
「レンタロー!」
 ウサギは、さもおかしそうに俺の名を叫んだ。確かに、多少、人に呼び捨てにされやすい名前だとは自覚しているが、叫ぶか? こんな閑散とした歩道の真ん中で。誰もいないから空の向こうまで声が響いている気がする。
「ねー、レンタロー。カケオチしたことある? どう? 明日あたしと、カケオチする?」
「な、な、……」
 俺は自分でも顔が赤くなっていることに気付いた。
「え……んりょする……」
「ええー」
 ウサギは不満げに俺の顔を見る。
「じゃあさー。志村が来ないから、今から一緒にトショカン行こうよ」
「トショカン?」
「うん。試験勉強しようよ」
 ウサギの言葉を疑った。駆け落ちなんて大胆なことをする奴が、なぜ平然と図書館で勉強しようとしてるんだ。駆け落ち相手にフラれたからか?
「嫌なの?」
 ウサギに上目遣いで訊かれ戸惑う。これを断るのはなんとなく勿体なくないか?
「……嫌っていうか……」
 湧き上がる期待で言い淀んでいる自分にハッとする。待て待て! 何を考えてる。単に図書館に誘われてるだけだぞ。ていうか、逢ったばかりだぞ。いや、それより俺は今、腹が緩いんだぞ!
「行こうよ!」
 唐突で馴れ馴れしい奴だが、……ちょっと可愛い。
「うん……」
 ウサギと並んでピョンピョンスキップしたい気分だ、漏れる心配が無ければ。

 俺はウサギに引っ張られ、パン屋、コンビニ、文房具屋、本屋、古着屋、ケータイショップ、そして閉演しかけの遊園地に来ていた。
 これは……。俺が思うに、デートというやつではないのか。
 図書館に行く様子は全くない。でも、訊くのもためらう。空気読めよと言われそうだ。
「もう閉まっちゃうねー。次どこいく? カラオケとか?」
 彼女は元気が衰えない。俺は寒い中無理したせいで、また腹が痛くなってきた。
「ん……と。でも、そろそろ……」
「わかった」
 案外あっさりとウサギが頷いた。ちょっと残念な、複雑な気持ちになる。
 すると、そんな俺の気持ちに気付いたのか、ウサギは微笑んだ。
「ね、レンタロー。やっぱり明日カケオチしようよ。明日が無理なら、試験が終わってからでもいいよ?」
 ウサギにギュッと腕を掴まれて、動揺しながらも、……頷いた。

「そう言えば……」
 帰り道、彼女はふと何かに思い当たったのか、唇に指を当てて呟いた。
「この前、結城と河野と松村と柳村とカケオチした時ね、校門で高橋に見つかっちゃってさ……」
 ちょっと検問厳しくってヤバいんだよね……などと言い出すウサギに、俺はフリーズしていた。
「え、何それ」
「え? 何って、カケオチ未遂の話……」
「カケオチって……?」
「一緒にサボること」

 でも……。
 俺とウサギは手を繋いで歩いていた。
 これは、やっぱりデートだと思うんだけど……。
 『カケオチ』は一緒にサボるって意味で、『トショカン』は、一緒に遊ぶってトコかな……?

「レンタロー?」
「何?」
 隣を歩くウサギは嬉しそうに、顔を傾けて俺を見ていた。
「あのさ、もし高橋がいてカケオチが無理そうだったら、その時はケッコンしない?」
「ケッ……」


 ……ナシ高の隠語、恐るべし。



<END>
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ストーブ (前後編)

(前編)
 冬の間、教室ではガスストーブの燃焼する低い音がBGMになっていた。
 田舎の古い公立高校なので空調などない。暖房器具と言えば、生徒が頻繁に出入りする広い教室に、ストーブが一台きり。しかも音は大きいが、その性能では生徒全員を暖めることはできない代物。
 静かな授業中に、ガスストーブの孤独なうなり声が響き続ける。

 佐久間孝祐(サクマ・コウスケ)の隣の席に座る北尾有弓(キタオ・アユミ)は、試験が近いとあって必死で先生の配るプリントに見入っていた。
 彼女はとにかく夢中でプリントに線を引きまくっていた。要領が悪く、一つのことに集中するとほかのことに気を配れない性質なので、プリントに集中している今は何をしても気づかないと思われた。佐久間は北尾の頭に紙屑を放り投げた。
 何かを感じて明後日の方向をキョロキョロと見ている北尾の姿を見て、佐久間は笑いをかみ殺した。
 バタバタと無駄な動きをする北尾を見ていると、良い暇つぶしになった。
 佐久間は、不思議そうにポカンと口を開けている北尾の顔を見ながら、ついふざけた妄想をするのを止められなかった。

「あんなにがんばったのに、なんで2点なのよー!」
 屋上で絶叫する北尾。
「バカみたいにプリント丸覚えしようとするから2点なんだよ。10枚もあんのに」
 佐久間が腹を抱えて笑う。

 そんな未来は、1週間後確実にやってくるだろう。

 その日はテスト前ということで短縮授業になっており、午後の授業は無く、クラブ活動も禁止になっていた。
「ねえ、佐久間くん」
 屋上で絶叫する予定、いや確定の北尾が、意外にも佐久間に話しかけてきた。
「水曜から試験だよね? もうカンペキって感じ?」
 佐久間は返事をせず、意味が分からないという顔で苦笑した。ちょうど「おい、サク」と呼ばれたので、そちらへ顔を向けた。
「今、行く」
 佐久間が立ちあがろうとすると、やけに小さな手が彼の袖口を引っ張って離さない。
 北尾が彼を恨めしそうに見て「まだ話し中なんだけど!」と、膨れ面をした。
 自分の行動を遮られ、佐久間はムッとした。
「テスト勉強なんてやってねーよ。必要なことと、気になったことだけ覚えてれば、生きてけんだし」
 そう佐久間は言い、仲間の席へと移動した。
 北尾というヤツは、この教室にあるデカくて無意味なストーブのようだと佐久間は思った。必死で働いても大した効果が無いのに、それでも無駄に足掻いている。

 佐久間は試験のための勉強はしなかったが、勉強を全くせずに常に上位の成績をとっている、というわけでもなかった。
 一応問題集には目を通す。覚えておくべき事の重要性を、順序立てて解説してあるからだ。
 時々雑談が混じり、話が前になったり後ろになったりする教師の授業を聞くより、余程確実に大事なことだけを覚えられる。
 大体、試験範囲の内容を改めて10ページのプリントにして配布する教師は、生徒を混乱させているとしか思えない。教科書とプリント、どっちを覚えればいいのかわからない生徒だっているのだ。北尾のように。

 明日は試験初日、という日、佐久間の隣の席が空いていた。
 北尾のくせに試験前に休んで大丈夫なのか、と佐久間は横目でその机を眺めた。
 すると担任が困った顔をしながら言った。
「えー、北尾さんはインフルエンザらしいです」
 “インフルエンザ”という言葉に、クラス中がどよめいた。自分に感染していないだろうかという、迷惑ムードが充満している。
 佐久間はぼうっとした顔で立ちあがった。
「オレ、病院行ってきます。なんか昨日から気分が悪いんで、うつってるかもしんない」
 クラスの皆が、一瞬、静まり返った。
 試験直前にクラス内で二人もインフルエンザにかかった生徒がいるという事実に恐怖していた。
「わかった。家には電話しておく」
 担任の言葉に、佐久間は軽いカバンを背負って教室を出ていった。


 もちろん、気分が悪いというのは嘘だった。
 ただ面白くないから帰ろうと思っただけだ。
 しかし、目の前に広がる情景を見て、佐久間は一抹の不安を感じた。
「これってマジやべーんじゃない?」
 電車や道路で見かける人が皆マスクをしている。さっさと帰らなければ本当にインフルエンザに感染しそうだ。地元の内科の前を通りかかると、何人ものマスクをした患者が出たり入ったりしている。
 佐久間は、黒ずんだインフルエンザ菌が内科の自動ドアから漏れ出しているような気がして、怖くなって足早にその場を去った。いや、去ろうとした。
「サク?」
 そう、近くで呼ばれて、驚いて振り返った。
 顔半分マスクで覆った、インフルエンザ菌そのものがそこに立っていた。北尾だった。
「き、北……。なんでここにいるんだよ。家で寝てろよ」
「退屈すぎて漫画買いに来たんだ。ちょっと熱あるくらいだし、平気だよ」
 佐久間が思っていたよりも、北尾は元気そうだった。
「おまえ、このあたりに住んでんの?」
「え? 同じ中学じゃん」
「……そうだっけ?」
 佐久間は眉間にしわを寄せ、記憶を手繰ったが、北尾のことは思い出せなかった。
「あ、そうか、オレ、中学の記憶末梢してるから、覚えてねーや。ごめんごめん」
「テキトーなこと言って逃げるなよー」
 北尾は笑った。
 目だけ見ていると、少し熱でうるんでいて、顔も赤く、小さな子どものようだ。
「おまえ、オレにぜってーうつすなよ、離れろよ」
 しかし、佐久間の言葉は完全に無視された。
「サクは、サボり?」
「まあ、そうだけど。ってか、さっきから、なんでサクって呼ぶわけ?」
「中学んとき、ずっとそう呼んでたから」
 ますます、佐久間は焦って額を手で何度もこすった。こんなやついたっけ? やっぱり思い出せない。
 そんな困り果てた彼の様子を見て、北尾は言った。
「ふふ。実は声には出してない。心の中で呼んでたー」
「え?」
「ホントはこーやって堂々と呼びたかったんだよ」



<後編に続く>
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(後編)
 北尾は、中学時代の佐久間のことを、まっすぐ空に飛んでいき消えてしまう野球のホームランのボールのようだと言った。
「サクは周りなんか気にせず独りで直進してた。スゴいなって思ったけど、それについてくことはできなかった。だって私なんて誰が見ても、いろんなとこにぶつかって、曲がってヘコんで最後には誰かに踏まれるそんなテニスボールみたいなヤツだったし」
 佐久間は、北尾の無駄な動きを思い出すと同時に、部室に転がっている凹んだ黄色いボールを思い浮かべた。確かに似ている気がする。

 北尾は中学時代、イジメのあるクラスでずっと息を殺して気配を消していたと言った。よくある話だから、本当だろうと佐久間は思った。
「あのときは、サクのこと、まともに口もきけない相手だと思ってたけど、今はこうして話ができてる」
 北尾はまた嬉しそうに笑った。
 サク、と呼ぶ事を許可した覚えは無いが、きっと何度言っても、彼女は自分のことをサクと呼び続けるに違いなかった。
 佐久間は、この、人に合わせて人に紛れてなんとか中学生活を乗り越えてきたヤツと、短距離走のように中学生活終わらせた自分が、話などしても全く噛みあわないと思っていた。
 佐久間は他人を気にせずマイペースな性格だった。関わりたくないことには関わらなかったし、自分の主張は崩さなかった。彼は周囲から強い人間だと思われていたようだ。
 でもそんなに強気でいられたのは、一緒に思い出を共有したいと思える友人がいなかったからかもしれない。周りを大切にする方が、無視する事よりずっと大変だとわかっていた。
 北尾というヤツは周囲のことに惑わされ過ぎていて、いつもキョロキョロしている小動物並のヤツだと思っていた。でも、それが『弱い』かというと、少し違うような気がしてきた。


「学校でも、サクって呼んじゃおうかな」
 北尾はなぜかはしゃいでいた。
「返事しねーぞ」
 佐久間は寒気を感じて、体を震わせた。
「わ、サク、インフルかかったかも!」
「ぜってー、ちがう」
「じゃーうつしちゃおうかなー」
 北尾が佐久間の目の前に立ち、彼に顔を近づけるフリをした。しかし、その距離がまだ1メートル以上も開いている状況で、佐久間はくるりと背中を向けくしゃみをした。
 北尾は、「あ、マジでうつってる」とぼそりと呟いた。「いつうつったのかな?……」
 佐久間は、振り返って苦い顔で言った。
「昨日までおまえの横で授業受けてたんだから、うつされ放題だわ」
 接近してないのに。そんなに話もしてないのに。そんなに仲良くも無いのに。
 佐久間は納得がいかなかった。
 ただ、彼は昨日、暇すぎてずっとこの女を観察して楽しんでいた。顔は完全に、北尾の方を向いていたことを思い出した。頭が重い。
「ああ、テスト直前なのに……。追試かよ……」
 佐久間はため息をついた。初体験だ。
「じゃ、追試一緒に受けよ! 私追試、得意……」
 北尾の声が途中で消えたと同時に、ほわんと温かいものが佐久間の胸の中に飛び込んできた。
「うわ」
 佐久間は倒れ掛かってきた北尾の体をしっかりと抱きとめたものの、重さに困ってしゃがみこんだ。
「大丈夫かよ。熱があるのに、いつまでも外で話してるからだよ。もう、どうすんだよ」
「平気。お母さん、そこで待たせてるから」
「お、親いんのかよ!」
 佐久間は悪いことでもしたかのようにドキドキしながら辺りを見回した。
「なんてね」
「おまえ……」
 ピースする北尾を、佐久間は顔を引きつらせて見ていた。


「ねー、病人なんだし、送ってくれよー」
「そんなことする義務はない」
 佐久間は北尾にそう冷たく言い放ったが、体を支えた手を離すタイミングが無くて困っていた。
「ほら、早く自力で歩けよ。おまえ、重いんだから寄りかかるなよ」
「そんなことないと思うけどなあー」
 北尾は一歩進む度、無意識に佐久間の手をギュッと握る。
 発熱のせいで温かいその手を、無理やり振りほどけない自分に彼自身驚いていた。
「あれ、サク顔赤いよ。熱かな」
「多分な」
 インフルエンザで発熱してんじゃなくて、おまえの熱がやたら伝わってくるんだよ、と佐久間は思った。
「しょうがないな。頑張って歩く……」
 北尾は佐久間が支えていた手から、なんとか体を離して直立した。
「大丈夫かよ……」
 彼女は一人で歩かせると、フラフラ、フワフワと揺れている。
「へへへ、もっと心配して! ホントは優しいのに照れちゃうサクが大好きだから!」
「はぁぁ?!」
 佐久間は顔を真っ赤にして、北尾のヒザの裏あたりを蹴ってやろうと本気で思ったが、彼女がよろよろと逃げたので未遂に終わった。
「追試、がんばろーねー、サク」
 北尾が少しずつ歩いて離れてゆきながら、佐久間に手を振った。
「学校で、ぜってー、サクって呼ぶなっ!!」
「私のことはアユって呼んでいいんだよー」
 佐久間は地団太踏んで悔しがった。インフルエンザにも腹が立ち、追試にも腹が立った。
 しかし、何よりも、今日佐久間が一番悔しかった事は、北尾をもうバカにできないことだった。
 意味が無かったはずのストーブが、ここにいますと主張してきたのだ。それが結構あったかくて、居心地がいいなんて思っている自分がいるという。
 これ以上の屈辱は無い。



<END>
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麗しのへそ曲がり (1話完結)

 暫く離れていたが、やはりこの与野川という町は田舎臭い。十年も経てば何かしら変化が有って然るべきだが、変わったのは文具店の廂(ひさし)が日光で色褪せた程度である。人も町も、何ら変わっている様子は無い。
 田臥雪将(たぶせゆきまさ)は濃紺のネクタイと白のセーターの上にチャコールグレーのブレザーを羽織り、鏡の前に立ち、想う。
 上品なその制服は、雪将の美貌を更に引き立てている。
 如何ほど素晴らしい着物を羽織っても、下品な輩は下品な儘である。雪将の様な、そこに居るだけで人を魅了する男子でなければ、その物の価値を正確に伝え得ない。
 美しい瞳、美しい肌、美しい唇、美しい眉、美しい鼻筋、美しい額、そして……。数え上げれば切りが無い程の、英知と気品を漂わせる雪将の立ち居は、まるで何処かの国の貴人と見紛う。
 背の高い痩身の美少年、否、愛する者を守る勇猛な志士、或いは独り静寂を楽しむ才人、若しくは……。
「ユッキー! 早く学校に行きなさい!」
 雪将は母の大声に仰天し自室を出た。

 通学の為にバスを待つ。
 無知を絵に描いた様な騒々しい兄弟が列の最後尾で何やら喚いているが、あんな品性の欠片も無い者と同じ学校とは情けない。名門三境梨高校も地に落ちたものだ。
 十年前雪将が七つの時に父の仕事に因り兵庫県芦屋市に転居するまで、彼はこの辺鄙な町に居住していた。
 芦屋市には在原業平ゆかりの地が有るが、雪将は業平に負けず劣らずの美男であると自負している。故に周囲の期待を裏切る様な有り様ではならぬ。心情に振り回される等、以ての外だ。例え周囲が許容したとしても、己が許さぬ。
 思わず侮蔑に満ちた視線を騒がしい者達へと投げ掛ける。なかなか見栄えの良い兄弟だが、かの行為は品格を下げるのみ。係り合うのは御免蒙(こうむ)る。
「あいつらあほやな」
 雪将は独り言ちた。
 何故か雪将の前に並んでいた男子が、彼を振り返り怪訝な顔をする。いかんいかん、例え低能な輩共であっても陰口など叩けば自身の値打ちが下がると言うもの。

「田伏くん」
 転校した初日から、雪将は幾度女子に声を掛けられたか憶えてはいない。この様な有り様を予測し得たとは言え、如何ともし難いのが実情。
「バス通なんでしょ? 一緒に帰りたいな。与野川のいろんな場所、教えてあげるよ」
 その見苦しい女は礼節も弁(わきま)えず、天晴な程に畏れ多い事を吐(ぬ)かす。
「ブサイクのクセに、話し掛けんなよ」
 その不埒な女子は驚愕の面持ちで雪将を見詰めていた。大凡(おおよそ)、面と向かって言われた事など無いのであろう。甚だ動揺している様子だが、事実なのだから仕方無い。自覚を促すためにも雪将が教示してやらねばならない。二度とこの田臥雪将に無礼な態度を取らぬ為にも。
 とは言うものの、この学校には真面な品性を持つ者が居ない。雪将が周囲の興味を集めてしまうのも頷ける。目立てば面倒なだけなのだが致し方無い。
 同じクラスに唯一許容できる容貌の女子が居るが、如何せん粗暴な態度が鼻につく。
「田伏」
 ぞんざいで非礼な口を効く辺り、育ちが分かるわ。
「なんだ、女堂」
「ブサイクにブサイクと言うのはどうかと思う」
「気付いてないヤツには言ってやらないと」
 雪将がそう言い放つと、女堂龍子(めどうりょうこ)は彼を睨みつけ、負けを認めたのか鞄を持ち教室を出て行った。
「あ、ブサイク」
 廊下から女堂の声がする。
「あ、またブサイク」
 廊下から再び女堂の声が聞える。
「救いようのないブサ男」
 廊下で女堂の大声が響き渡る。雪将は鞄を抱え廊下に出て、その様子を見物する。
 そうやって一々大声を上げていたのでは際限が無いのに、雪将に言い負かされた事が余程悔しかったのだろう。容姿しか取柄の無い女が何を向きになっているのか、恥ずかしい振る舞いだ。
「女堂、そんなに怒んなよ。特に悪気の無い奴に言いまくってもしょうかないだろ。オレたちと違ってかわいそうなやつらなんだから」
 すると、女堂が不敵な笑みを浮かべるではないか。
「……ねえ田伏、今日一緒に帰らない?」
 成程、そう来るか。良かろう。その傍若無人な申し出、甘んじて受けてやろうではないか。
「いいよ、一緒に帰ろう」
 女堂め。どの様な謀略を以てしても、この雪将の相手とは成り得んわ。

 歩いて往くのか。
 雪将の家宅とは反対方向ではあるが、この情景もなかなか風情がある。良いだろう、何処までも付き合うてやる。
「ここでいい」
 眼前に聳えるマンションの前で女堂が言った。
「まだ5分も歩いてないけど」
「ここが私の家だし」
 何と。最終目的地にまで送らせるとは、良い度胸だ。
「女堂さん、日曜ヒマ? 一緒にどっか行かない?」
「うん、いいよ。ヒマしてるし」
「じゃあ、これ、携帯の番号な」
「わかった。登録しとく」
 そんな折、雪将と女堂の居る処に、物見とばかり人が集って来た。又、世を騒がしてしまったか。しかし、女堂も責を負うべきだ。
「女堂さん、君を見てるみたいだけど。追い払おうか?」
「田伏君が、見られてるんじゃない? 煽らない方がいいよ」
「たぶん女堂さんが可愛すぎるからだよ」
「イケメンと一緒にいるからだと思う」
 女堂はそう言い残しマンションに消えていった。その後姿に見惚れる輩の気が知れない。下衆な親爺ばかりか。それとも、女堂の事を、男を惑わす悪女と言うべきか。きゃつが過剰に色香を漂わせぬよう、雪将が傍らに居てやる要が有りそうだ。

 雪将が帰宅すると、テーブルの上に夕餉(ゆうげ)のカップラーメンが置いてあった。母は又、良からぬ近隣の婦女と共に遊興に耽っているに違い無い。嘆息する。良家の子女である母には釣り合わぬ、無分別な付き合いをすること等、赦されるものではない。
 そんな折、雪将の携帯電話が着信を告げた。正に今、思いを巡らせていた母からであった。
『ユッキー、ママもパパも遅くなるけど独りでお風呂入れる? それと冷蔵庫のハム食べたでしょ。ウチは余分なものは買ってないんだから、欲しかったら前もって言ってよ』
「そんなん知らんて」
 陸(ろく)な食事も作らないで出掛けておきながら、どの口が言うのか。憤りを覚える。
「ママ、はよ帰って来てな」
『しょうがないわね』 
 母の、愛しい我が子への放言に呆れつつ、雪将は電話を切った。
 そう言えば今日は金曜だ。テレビの番組では非情に低俗な物を放送するらしい。雑誌で艶めかしい姿態を晒す女達が無節操な喋りを繰り広げる。その、物を知らぬ幼稚で無様な様子を観てやろうではないか。

 夜、雪将はテレビを観終え、父の帰りを待っていた。時が余っていた所に、女堂から電話が有った。
『田臥君、下の名前なんていうの?』
「雪将だけど」
『じゃあ、ユキマサ君って呼んでいい?』
 畏れを知らぬ女だ。良かろう、その横暴な要求を呑んでやる。
「オレもリョウコちゃんって呼んでいい?」
『いいよ。日曜が楽しみ』
「マジで待ち遠しい」
 この胸糞の悪い女の声を聴く羽目になるとは最悪な夜だ。美貌しか人に勝る所の無い、無能な人間の相手をするのは疲弊の極みである。日曜が思い遣られると言うものだ。
 丁度、父が帰ってきた。父の、息子へ面目を保つため、共に風呂に入ってやるとしよう。



<END> 
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