SWEET-SOUR-SWEET

【あらすじと目次】

●あらすじ●

自意識が低いせいで他人が自分の事をどう思っているか、あまり気にならない遠藤陽己。
おかげで、あからさまに愛情表現している古川貴奈子の気持ちにも全く気付かない。
はたして、鈍感で無神経な善人と揶揄される遠藤は、貴奈子の気持ちにに応えることができるのか。
甘くて酸っぱい柑橘系ラブストーリー。
主人公は20代後半 販売店主任。1話2500字程度、31話約80000字、長編。
(2016年発表、2017年一部改稿)

 

●目次●

#1 それは伝説 / #2 必然的事故 / #3 自己管理の問題 / #4 療養中なんですけど /
#5 意味不明 / #6 さらに意味不明 / #7 水の泡 / #8 奸計をめぐらす /
#9 意外と気付かない/ #10 貴奈子の決心/ #11 長さに負けないために/ #12 それは一体誰のこと?/
#13 結婚観の相違 / #14 大きな誤解 / #15 飲めない二人 / #16 泥酔の思考回路 /
#17 背けたのは心 / #18 夢も希望も混乱中 / #19 記憶に無くとも感情は甦る / #20 責めた理由/
#21 推測は疑念を呼ぶ/ #22 押さずに引いてみる/ #23 瞳はどこを見ている?/ #24 もう届かない/
#25 サヨナラは突然 / #26 告白の跡 / #27 sweetな夜 / #28 sourな一日 /
#29 sweetな朝 / #30 君との時間 / #31 新たな日常


(同日 夜9時過ぎ)

 タイムカードを押した男子アルバイト3人は、急いで休憩室にやってきた。着替えさえもどかしく思い、エプロン姿のままでオザの話をいた。
「声は聞こえなかったんだけど」
 と、前置きしてオザは状況を説明した。

 二人は向き合って立っていて女性がずっと遠藤の顔をにらんで何か言っていた。
 そして遠藤が何か言ったかと思うと、女性が急に平手打ちをして、よろける彼を見向きもせず立ち去った。

 それがオザの見ていた状況。結構ざっくりした報告だが、彼女の方はかなり怒っていた様子だと伝えた。
 コマチとボーダーは顔を見合わせた。
「あの優しい遠藤さんがぶっ叩かれるなんて、想像つかねえ」
 しかし、その3人が顔を寄せている所に、仕事を終えてやってきた王子がニヤニヤしながら近づいて来たのだ。

「なあなあ、知ってる?」
「ん、王子。またゲスネタ持ってきたの?」
「そう、あの奥手そうな遠藤さんの! 聞きたくない?」
 19歳のくせに、ワイドショー並みにゲスいなとその場の誰もが思った。
「遠藤さんの話なら、知ってるよ。オレ見てたもん」
 オザが言うと、王子は驚いていた。
「へえ、そうなんだ。だからみんなして集まってたんだ。驚くよね、遠藤さんがキナコを好きだったなんて」
「は? ちょっと待て」
 オザが怪訝そうな顔で言葉を挟む。ボーダーもそれに続く。
「王子、おまえ、何を見た?」
「遠藤さんがキナコにキスしたとこ。ようやくキナコの想いが通じたのかねえ。でもまさか、遠藤さんからキスするなんて、しかも仕事中に……」
「おいおいおいおい……」
 3人は思わず王子の肩を掴んで、テーブルの椅子に座らせた。王子は周りを囲まれ、その圧力に困惑しながら、彼が見たことを話した。

 自販機でジュースを買うため倉庫を出ようとした時のこと。すでに自販機の所にいた遠藤とキナコを見かけた。これは何かあるかもと彼は身を潜めて様子を窺うことにした。
 最初は自販機の前で和やかに話をしていた。しかし、途中から様子がおかしくなり、キナコが遠藤に何か訴え、遠藤は困惑気味にキナコを引き留めた。そして、体を屈めてキナコにキスしたという。

 そんなこと絶対にありえない、と3人組は思った。
 でももしそれが本当だとしたら、遠藤の彼女が激怒したのも頷ける。
 王子の情報は実績からいってガセネタとは思えない。

 3人は王子がいなくなった後、沈黙のまま考え込んでいた。
 ただ、彼らは、王子が貴奈子の後方から見ていたために見間違えたのだとは知る由もなかった。
 そこへ突如、当事者である貴奈子が現れた。
「あれえ、まだいたの?」
 彼女は自分のロッカーへ行って、嬉しそうにココアの缶を持って戻ってきた。
「ココアの缶なんてなんで取りに来たの?」
 コマチが訊いた。
「だって、遠藤さんにおごってもらったんだよー」
 貴奈子は飲まずに冷たくなった缶を愛おしそうに抱いていた。
 3人はその光景を不思議そうに見ていた。
「貴奈子、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
 ボーダーが眉間に皺を寄せ怖い顔で貴奈子を睨むので、彼女は「またなのー?」と泣きそうな顔をした。


 3人の男子アルバイトたちは、古川貴奈子の話を繰り返し聞いたが、とてもイチャついている状況には思えなかった。
 前の晩に、酔った勢いで彼女の男ぐせの悪さに言及してしまった遠藤が、誤解だと責められてタジタジとなっている姿しか目に浮かばなかった。
 たとえ貴奈子が『好きな人がいるんです』と言ったところで、絶対に自分のことだとは気づかないのが遠藤だ。すぐ自分に置き換えて考える片岡とは全く正反対。その自意識の低さが良いかどうかは別として。
 キスされたくだりはどこにもない。
「ほんっとうにキスされてないんだな?」
「そんなのあるわけないよ! そんなことあったら、みんなに自慢するよ!!」
「それもどうかと思うが」
 難しい顔をする3人に、貴奈子はしみじみと言った。
「キスまで望んでないよ。私の気持ちはまだ、伝わってさえいないんだよ?」

 どこをどう切り取れば、遠藤の彼女の激怒に繋がるのだろう。貴奈子が遠藤にじゃれていたわけでもないらしいし、全く見当がつかない。激怒したのは別の理由か?
 これは、直接遠藤に働きかけて反応を見る方が早そうだ。
 3人は翌日の日曜、また4時に集まって作戦会議を開くことに決めて解散した。


(同日 夜10時半)

 事務所にいた社員たちはもう殆ど仕事を終え帰宅していた。店長も事務所の鍵を遠藤に預けて早々に退社した。ついに隣の片岡も立ち上がり、コートを着はじめた。
「遠藤、まだ帰んないのか?」
 片岡に言われ、「いや、もう帰るけど」と遠藤はパソコンを終了させた。
「大丈夫? おまえ、まだ体調万全じゃないだろうし、あんまり無理すんなよ。もう咳は収まったんじゃないのか、マスクして……」
「あ、うん、まあ」
 遠藤は、力なく笑った。
「片岡」
 遠藤は、パソコンのキーボードをぼんやりと見ながら、
「訊きたいことがあるんだけどさ」
と声をかけた。

 片岡は動きを止め、持っていたカバンをゆっくりデスクの上に置いた。そして、立ったまま遠藤の方を向き、「なんだよ」と言った。
 遠藤が視線を移ろわせる様子を見て、片岡は少し不安になったのか、もう一度椅子に座りなおした。
「遠藤?」
「ん?」
「オレに訊きたいことって?」
「あ、ああ……」
 遠藤はまたぼんやりと視線を落とした。
「ごめん、なんでもない」
「なんだよ、気になるわー」
 片岡は遠藤の背中をポンと叩いた。
 遠藤は困ったような笑顔を浮かべた。
「ああ。……野口とうまくいきそう?」
 聞かれて片岡は、照れたように、
「まあ、昨日帰ってから電話したんだけど、多分、気に入られ……たかな?」
と、へへっと笑った。
「そか」
 遠藤は力ない笑顔で頷いた。
 片岡は、そんな遠藤を見て思わず彼の額に手を当てた。
「熱は、無いな」
「大丈夫だよ、片岡」
 遠藤が片岡の手を払いのけた。
「じゃあ、どうしたんだよ」
「いや……ちょっと気になって」
「何が」
「昨日の……」
 遠藤は言いかけて止まった。
「な、な、何だよ」
 片岡は思い当たることがあるのか、視線を逸らした。

「昨日、片岡が言ってた、古川さんとの結婚のことなんだけど」



 
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 遠藤の言葉が終わらぬうちに、片岡は慌てて謝った。
「あ、あ、ああ。ごめんな、ごめん。キナコって、思わせぶりだからさー。ほんと恥ずかしい」
 慌てて片岡は言い訳のように説明した。
「ただの勘違いだから、悪く思わないでくれよな。おまえのこと知らなかったし」
「え、……俺?」
 遠藤は自分を指さし、戸惑いながら片岡の顔を見た。しかし、片岡は弁解に必死で遠藤の質問には答えなかった。
「うん、ほんと、ゴメンな。おまえは気にしなくていいから。誤解なんだよ」
「誤解? そう……。そうなんだ……」
 遠藤はなんとなく引っかかりを感じたが、とりあえず貴奈子が必死で片岡とのことを否定した裏付けは取れた。片岡の昨日の態度に納得が行かず、どうしても確認したかった。
「あいつは浮気ができるような器用なヤツじゃないよ。まっすぐっていうか、一筋だろ」
「そう……なのか?」
 そう言いながら遠藤は浮気というワードから、貴奈子は好きな相手ともう既に付き合っているんだなと推測した。
 片岡はその男が誰なのか、知っているんだろうか。
 遠藤は片岡の顔を見て、尋ねようかと口を開いたが、
「引き留めてごめん」
という言葉しか出てこなかった。
「あ、ああ」
 片岡はぎこちなく頷いた。


(3月6日 日曜日 午後4時)

 男子3人プラス貴奈子は、仕事が始まる1時間も前に休憩室のテーブルに座っていた。ほかのアルバイトたちは、いつも不思議そうに彼らを見ている。
「何を言えば遠藤さんの心の中がわかるか、だな」
「うーん」
 知りたいのは、彼女との派手なケンカの理由と、その後どうなったのかということ。
 そして王子が見たキスシーンは一体何だったんだろう。それらを知るためには遠藤側からの視点で状況を聞きたい。
 そういうことを訊き出す、あるいは顔に出させるためには、どういう言葉をかければ有効か。

「キスなんてしてないよ」
 貴奈子は一貫して否定する。
「彼女さんに嫉妬されるようなこと、全くしてないもん」
 そう言う貴奈子だったが、やはりしょんぼりして、
「でも、私のせいで遠藤さんと彼女さんがケンカしちゃったんだよね?」
とオザに訊く。
「まだちょっと確かとは言えないけど。王子が見たのを彼女も見ていたとしたら、ケンカの原因はキナコだし。でもほかの原因もあり得るしな。遠藤さんが彼女に何を言ったか、だよ」
 オザはそう答えた。
 すると、コマチが言った。
「オレらが、キナコの話をわざとらしく遠藤さんに聞かせるっていうのは、どう?」
「どんな内容?」
「んー、たとえばー」
 コマチが考えだすと、ボーダーとオザも一緒に考え始めた。
「キナコって好きなヤツいるみたいだけど、誰なんだろうなあーとか」
「誰かがキナコに告ったみたいだよ。キナコって結構モテんだなーとか。」
 彼らは一応真剣に意見を出し合っていた。
 しかし貴奈子は、それについていけなかった。
 一生懸命考えてくれるのは嬉しい。でも遠藤をみんなで罠にはめるかのような、まるでからかっているかのような、そんな作戦は嫌だった。
「あのね、みんな」

 3人は一斉に貴奈子の顔を見た。
 貴奈子は言った。
「しばらく、なんにもしないっていうのは、どうかな」
「何にもしない?」
「うん。遠藤さんの近くに寄り付かないの。私が原因で遠藤さんが嫌な思いしたなら、しつこくすると余計遠藤さんに嫌われるし。だからあえて、遠藤さんの視界から消えるんだよ。遠藤さんどんな反応するかなあ、気にかけてくれるかな……って思ってさ」
「遠藤さんの態度を見るのかあ……」
「ずっとキナコの姿が見えないと、普通は気になる」
 ふと気づいたオザが、
「じゃあ、キナコはバイト休むってこと?」
と訊いた。
「あー。そうなるよね」
 貴奈子は考えていた。
 コマチが訊いた。
「何日くらい休んだら効果あるだろ?」
「二日も続けて休めば気付くはずだが。1週間なら確実だろう」
「そんなに遠藤さんに会わずに、……我慢できんの?」
 貴奈子はうなだれていた。
「でも、私も遠藤さんの考えてる事知りたいから。私のことウザいって思ってるなら、そう思われないような自分にならなきゃいけないし」
「おまえって……」
 ボーダーが眉間に皺を寄せて言った。
「たとえウザがられても、諦めるという選択肢はないんだな」
 オザもコマチも同様に感心した目で貴奈子を見つめていた。
 貴奈子は当たり前のように呟いた。
「ステップがあるでしょ。いきなり好かれるのは難しいから。嫌われないことが第一段階なんだもん」
 3人はうーんと貴奈子の言葉に唸っていたが、
「いや、それくらいは多分クリアしてると思うんだけどなー」
と、首を捻った。
「だって、彼女さんとのことがあって、私にムカついてるかもしれない」
「なるほど」
「そういう考え方もあるかー」
 男子たちは頷いた。
「どうせすぐ遠藤さんは何か言ってくるよ。キナコのことが好きでも嫌いでも、社員なんだから少しは気にするだろ。その時の口ぶりでどう思ってるかはわかるはず」
「でも片岡氏に訊くかもしれない。長期休暇を取ってると聞けば、普通に納得するんじゃないか?」
「じゃあさ」
 コマチが提案した。
「就活ってことにして、片岡氏にもよくわかんないような状況にしとけば?」
「就活……?」
 貴奈子は唇に指をあて、考えていた。
「キナコが就活中って聞いたら、詳細聞きたくならない? だってキナコが就職するんだよ?? 笑うじゃん。絶対オレたちに話しかけてくるよー」
「なんか引っかかる言い方だなー」
 貴奈子は不満げだったが、とりあえずそういう理由の方が休みやすいかもという結論になった。




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(同日 午後6時)

 その日、貴奈子は片岡にアルバイトを休ませてほしいと申し出た。
「え、1週間も? どうして」
 片岡は驚いて訊いた。
「あの……ダメかもしれないんですけど、就職しようかなと思って」
「え、就職って……まさか主婦か? 結婚するのか? え、ぇん……どぅ……と」
「違いますよー。主婦じゃないです」
 貴奈子は片岡の最後の方の言葉を聞かずに、苦笑いをした。
「私、得意な事があるから、それやってみようかなと思って」
「おーマジでかー」
 片岡は感心して、笑顔になった。
「そうか。ま、何にしても前向きに仕事しようとするのはいいことだ。で、何の仕事だよ」
 貴奈子は言葉を詰まらせた。
「就職できたら、いいます」
「いやいや、それじゃ店長に説明できないし、休みもらえないだろ」
 片岡は言ったが、貴奈子はどうしても言わなかった。
「困ったな」
「お願いします。就活してるとか誰にも言わないで、適当に理由作っといてください。だって、うまくいかなかったら恥ずかしいし」
「いや、それはなあ……」
 片岡は貴奈子の気持ちがわからないでもないので、1週間休める理由が無いか探す事にした。


 片岡は事務所に戻ってきて、店長のいるデスクに直行した。
「すみません、古川さんが明日から1週間休ませてほしいと言ってまして、許可の方いただけますでしょうか」
 とりあえず理由無しで店長に申請してみた。
「あー、そう。人手は足りるの?」
「はあ……。他店へ出庫する日だけ、アルバイト一人回していただければ十分ですが」
「じゃあ、遠藤んとこのスタッフ回してもらえよ。彼と相談して決めて」
「は、はい」
 片岡は、あまりにもあっさりと認められたので拍子抜けした。彼はいそいそと自分の席に戻り、隣の遠藤に声をかけた。
「あー遠藤。ちょっとお願いがあるんだけど」
「うん、いいよ。シフト調整するよ」
「聞こえてた?」
「うん」
「ていうかー」
 片岡は笑いながら、声を落として言った。
「説明なんかされなくても、おまえはちゃんとキナコから聞いてるよなー」
 片岡は満面の笑みだった。
 遠藤は真顔で「なんで?」と訊き返した。
「なんでって、キナコはまず誰よりも先におまえに話すだろ」
「部署が違うオレに? 片岡より先に? ないよ。普通ないでしょ」
 遠藤は微妙に困惑の表情を浮かべた。片岡はニヤニヤするのを抑えられなかった。遠藤は片岡の表情を見るなりスッと立ち上がり彼の腕を取った。
「ちょっと来て」
 片岡は遠藤に強引に引っ張られて事務所の外へと連れ出された。
 遠藤は普段アルバイトたちが使っている休憩室に誰もいないのを確認してから中に入り、片岡から手を離した。
「どした?」
 片岡はその遠藤の態度に驚きながら訊いた。遠藤の顔だけ見ていると、別に怒っているという様子ではない。
「片岡の言ってることが、よくわからない時がある」
 そう言われても片岡は思い当たらず、難しい顔で遠藤を見つめるだけだった。そんな片岡を見て遠藤は苦い顔をした。
「なんか誤解してないかな」
「誤解?」
「うん……古川さんのことで」
「え?」
 片岡は遠藤の顔を見つめたまま、
「おまえの彼女だろ?」
と訊いた。
 遠藤は、ピクリと眉を動かして目を細めた。
「やっぱり、そう思ってたんだ。なんか態度も言動もヘンだなと思ってたんだ」
「違うのか?!」
 片岡は驚いて大きな声を出した。
 遠藤は溜息をついた。
「違うから」
 静かにそう言って、驚く片岡の目をじっと見た。
「なんでそういう誤解が生まれたのかな。片岡は誰からそう言われたの?」
「別に誰からも言われてない。キナコを見てたら、そうなのかなって思っただけだ」
 片岡が言うので、遠藤はさらに目をひそめた。
「いや、意味わかんないよ。古川さんを見てなんでそういう結論になるのかな。憶測で話す前に、俺に訊けばいいのに」
 遠藤の口調は静かだったが、明らかに怒りを秘めていた。
 片岡はたじろいで目を逸らした。
「ごめん、また俺の勘違いだったんだな」
 片岡が弱弱しい声をだしたので、遠藤は呆れたような困ったような顔をした。
「ほかの誰かに言ってないよな? ちゃんと好きな人がいるから誤解しないでくれって、古川さんに釘刺されたばっかなんだよ」
「誤解? 何の、どういう誤解だ?」
 片岡はボソリと言った。遠藤を少し責めるような目で見た。
「おまえたちが付き合ってたっていうのはオレの勘違いだったかもしれないけどな。ただ、キナコの言う“好きな人”の意味は、オレでもわかるよ」
 遠藤は、じっと片岡を見つめた。
「その男が誰か、知ってんの?」
「わかんないのか? 本当にわかんなかったのか? 目の前で言われたんだろ?」
 片岡が驚いた顔で言う。
「確かに俺も注意力は足りない。全然気づいていなかった。でもおまえだって見てなさすぎだよ。一緒に反省しろ」
 片岡が言うと遠藤はムッとして言い返した。
「なんで俺が、おまえんとこのバイトをじっくり見なきゃいけない」
 言葉に棘がある。
「キナコが販売部出る時、寂しそうだったろ」
 片岡は言った。
「……なんでいまそういう話がでてくるんだよ」
「キナコ、おまえに懐いてたから、販売部離れてもずっとおまえに会いに行ってたじゃないか」
 遠藤は下を向いてイライラした口調になった。
「だから、なんなんだよ」
 彼が表情を隠そうとしていることに片岡は気づいた。それでも、俯いた遠藤の顔を覗くようにして言った。
「キナコの気持ち、気付いてやれよ」
 遠藤はそのままの姿勢で動かなかった。
「キナコが好きなのは、おまえなんだよ」
「だから憶測で話すなよ」
 そう言う遠藤の声は、言葉とは裏腹に戸惑うように弱くなった。
 片岡はかぶりを振った。
「小沢たちに聞いてみれば、わかるんじゃない?」
 遠藤の表情は曇るばかりだった。




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(3月14日 月曜日 午後5時前)

 貴奈子が休み始めて1週間が過ぎた。
 その日は遠藤の公休日だった。
 ホワイトデーなどまるで縁のない大学生2人と、逆に相手が多すぎてメンドクサイとこぼす高校生は、貴奈子のいない静かな職場に退屈していた。
 3人は勤務の10分前に出社し、一応着替えてテーブルについた。
「キナコいつ戻ってくんのー?」
 コマチが頭の後ろに手を組んで、椅子からずり落ちそうな姿勢で言った。
「遠藤さんに何か反応があるまで、来れねーだろ」
「んー、何日かかるかねー」
 2人はマンガや携帯電話を見たまま返事をする。
「このままじゃ、キナコ辞めさせられるかもよー」
 コマチの絶叫が空しく休憩室に響いた。
 オザは携帯電話から手を離し、そのコマチの様子をぼんやりと見つめた。

 3人はこの1週間、遠藤の様子をじっと見つめて来た。
 しかし、遠藤は黙々と仕事をしており、古川のフの字も口にしなかった。あえて遠藤に雑談をふってみても、普通に雑談で終わってしまい、彼から「そういえば、古川さん、いつまで休むのかな」というような類の言葉は全く出てこなかった。
 貴奈子の話をあえて遠藤の前でしてみたが、そのたびに彼はスッとその場から立ち去った。3人の傍から離れ、店の奥の棚の整理を始めたりする。
 数回同じようなことがあり、これは偶然ではなく意図的に聞こえないように移動しているとわかった。話題をふられるのを嫌がって避けているようだ。
 その不自然な様子は、貴奈子の気持ちを知っている、店のバイトスタッフ全員が疑問に思っていた。
 ただ、一つだけ分かったことがあった。
 数日前コマチが遠藤に話しかけた時のことだ。
「遠藤さん、オレ今10歳上のOLと付き合ってるんですけど、誕生日近くて。何をプレゼントしたらいいですかねー。遠藤さんの彼女とか、何もらったら喜ぶのかなと思って」
 そんな風に、遠藤から彼女情報を得るために訊いてみた。
 遠藤はにこっと笑って、
「27の女の子かあ。予算は?」
と普通に相談に乗る感じで訊いて来た。
「ま、まあ、3万くらいでー」
「んー」
 遠藤が真剣に考えだしたので、コマチは慌てて言った。
「ほら、遠藤さんだったら今年、彼女にどんなプレゼント計画してます?」
 コマチが食い下がると、遠藤はまた笑った。
「今年はあげないな」
「え、マジで?」
「うん。いないから」
「いな……い……って、え、彼女いるって言ってませんでした?」
 遠藤は「あー」と思い出したように小さく言って、また笑った。
「そう言えばこの前訊かれたね。でも、最近別れたんだ」
「ど、どうして……って、聞いちゃマズい、すか……?」
 しかし、遠藤は緊張するコマチに小さく首を振り、少し俯いた。
「嫌われたんだよ。それだけ」
 そう答えた。
 コマチはその遠藤の答えに驚きながら、
「す、すいません、ヘンなこと訊いて!」
とその場を逃げ出した。遠藤には悪いと思いながらも、彼に今彼女がいないことは貴奈子にとっては喜ばしいことだ。
 オザたちはコマチからその話を聞き、障害がなくなったことを貴奈子にも知らせた。
 しかし貴奈子はあまり喜んだ様子はなく、それどころか自分のせいで別れたんじゃないかと落ち込んでしまった。
 もし貴奈子が原因で別れたのだとしたら、最近の遠藤の態度は納得がいく。
 彼が貴奈子に対して怒っているかもしれないという最悪の予想に辿り着いた3人は、もう浮かれていられなくなった。


(同日 午後6時半)

 片岡は事務所にいた。
 今日は隣の席の遠藤は公休で休んでいる。その空席を眺めながら、深い溜息をついた。
 あの日、遠藤に貴奈子の気持ちに気付いてやれと言ってからというもの、遠藤は片岡とほとんど口を利かなくなった。必要最小限の業務的な話以外は、さっと席を外される。
 なんなんだろう、あの、全身に張り巡らされた強いシールドは。自身を外部から遮断している。その『話しかけるな』という強いオーラに戸惑う。表情は変わらず、仕事もいつも通りこなす。しかし、この1週間職場の空気は重い。
「おい、片岡」
 片岡は呼ばれ、急いで店長席に向かった。
「古川さんはどうなってる?」

 片岡は自分の席に戻った。貴奈子に電話すると、
『今日ぐらい分かるので、もう少し待っててください』
と言う答えが返って来た。
「そうか。わかった」
 なんだかんだ言っても片岡は、存在するだけで人を楽しませてくれる貴奈子にはずっとスタッフでいてほしいと思っていた。しかし彼女の人生を考えてみれば、天職が見つかるかもしれないチャンスだ。縁あって一緒に仕事をした仲間だから応援したい。頑張ってほしいと思った。
 遠藤が彼女をどう思っているのかわからない今、主婦という職業に就くのは難しいかもしれないし。


 その頃、店内ではオザの携帯電話が鳴っていた。
 仕事中だったので携帯の画面をチラと見ると、メッセージアプリが起動していた。見ると貴奈子からだった。これは、オザだけでなく、ボーダー、コマチにも、メッセージが投げかけられていることになる。
<やったー!>
 そんな一言を送って来るなんて、皆、何事かと顔を見合わせ、代表してオザが職場を離れてメッセージを送信することになった。
 店の外の、例の自販機の傍に立って、彼は携帯電話にメッセ―ジを入力する。
<どうした?>
 オザの問いに、貴奈子は
<あのね、就職決まった!>

「なにー!?」
 思わず叫んだオザは、驚く間も惜しんで、問いただした。
<おまえ、マジで就職活動してたの?>
<それ店休む言い訳じゃなかったの??>
<だいたい、最初は1週間休んだらすぐ復帰するはずだったぞ>
<辞めるつもりなんてなかっただろーが>

<うん、そうだけど>
 貴奈子は一体何を考えているのか、淡々と返事をよこす。
<就職っていうかさ、家でピアノ教えることにした>
<募集したら、結構集まってくれちゃって。好きなピアノ弾いてるだけで、今までと同じ金額ぐらいは稼げるっぽいー>
<私なんでもっと早くそうしなかったのかなー?>
 オザは愕然としながら、入力する。
<そりゃ、ラクかもしれないけど……遠藤さんに会えなくなっていいのかよ>
<……それは、さ>
 貴奈子がふうと溜息をつく様子が、オザの脳裏に浮かんだ。
<第一段階が、クリアできなかったから……>

 第一段階。それは遠藤に嫌われないということ。最低限の、社交辞令のような言葉でいいから、かけてもらうということ。
 そんなこと、社会人ならたとえ嫌いな相手でも、すべき付き合いなのに。
 オザは貴奈子の文字を見ながら、眉間に皺をよせアプリを終了させた。
 遠藤に対する失望が、彼の心を占めていた。





第25話に続く≫
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