SWEET-SOUR-SWEET

【あらすじと目次】

●あらすじ●

自意識が低いせいで他人が自分の事をどう思っているか、あまり気にならない遠藤陽己。
おかげで、あからさまに愛情表現している古川貴奈子の気持ちにも全く気付かない。
はたして、鈍感で無神経な善人と揶揄される遠藤は、貴奈子の気持ちにに応えることができるのか。
甘くて酸っぱい柑橘系ラブストーリー。
主人公は20代後半 販売店主任。1話2500字程度、31話約80000字、長編。
(2016年発表、2017年一部改稿)

 

●目次●

#1 それは伝説 / #2 必然的事故 / #3 自己管理の問題 / #4 療養中なんですけど /
#5 意味不明 / #6 さらに意味不明 / #7 水の泡 / #8 奸計をめぐらす /
#9 意外と気付かない/ #10 貴奈子の決心/ #11 長さに負けないために/ #12 それは一体誰のこと?/
#13 結婚観の相違 / #14 大きな誤解 / #15 飲めない二人 / #16 泥酔の思考回路 /
#17 背けたのは心 / #18 夢も希望も混乱中 / #19 記憶に無くとも感情は甦る / #20 責めた理由/
#21 推測は疑念を呼ぶ/ #22 押さずに引いてみる/ #23 瞳はどこを見ている?/ #24 もう届かない/
#25 サヨナラは突然 / #26 告白の跡 / #27 sweetな夜 / #28 sourな一日 /
#29 sweetな朝 / #30 君との時間 / #31 新たな日常


(同日 夜 9時過ぎ)

 閉店後、3人はぼんやりしている貴奈子を見つけた。
「おい、キナコ。まだ帰んねーの?」
 休憩室でオザが声をかけると、貴奈子は顔を上げて「帰るよ」と言って立ち上がった。
「遠藤さんのお見舞い、行く?」
 オザの問いに、貴奈子は驚いて動きを止めた。
 そして一瞬考えていたようだが、すぐに首を横に振る。
「行かない」
 彼女は休憩室を走って出て行ってしまった。

 3人はその様子を不思議そうに見ていた。
「諦めんのかな」
「つまんねえ」
 彼らは口々にぼやきながら、当たり前のように遠藤のマンションへと向かうのだった。


 チャイムが鳴ったので、遠藤はすぐにドアを開けた。この時間の訪問者は、間違いなく彼らだ。
「結構、元気ぽいっすね」
 3人が驚いた様子で彼を見ていた。もうヨレヨレのジャージではなくきちんと服を着ていたせいだろう。
「やっぱり来たんだな」
 遠藤は笑った。
「うぃーす」
「おまたせーぃ」
 3人はまた遠慮せずにズカズカと部屋に上がる。
 テーブルにおつまみやスナック菓子があったので彼らは一斉に遠藤の顔を見た。
「腹減ってるだろうから、鍋くらい作ってやりたかったんだけど、ほんと、全然料理できないんだよ」
 遠藤は申し訳ないのと恥ずかしいのとで少し顔を赤らめていた。
 計算外の状況に戸惑って立ち尽くす3人を、遠藤は促して座らせた。そして冷蔵庫を開け、
「小野くんはコーラな」
と言いながら、缶ビールとコーラを冷蔵庫から出し始めた。
「買いに行ったの?」
 コマチはコーラを受け取りながら訊いた。
「うん、散歩に行ったついでに。明日にでも出勤したいから……。あ、ピザでもとる?」
「いや、いいっす」
 オザが困惑した顔で言った。
 遠藤は不思議に思い、「腹減ってないの?」と訊いた。
 ボーダーは3人の傍に立つ遠藤に、ぐいとコンビニの袋を差し出した。
 遠藤はその中身を見て呆れたが、反応が見たいんだろうなと考え、とりあえず笑顔でありがとうと言った。
「受け取ったよー」
 オザが小声で呟いた。
「エロ本なんですけどー」
「意外だな」
 ボーダーもボソリと言った。

 コマチはなんとなく遠藤を見つめていた。
 その強い視線を感じた遠藤は、戸惑って顔を強張らせた。
「なんだよ、なんでそんなまじまじ見る?」
「いや、遠藤さんの私服姿って初めて見るから」
「ああ」
 コマチはまだじっと見つめている。遠藤は気にしないように横を向いたが、それでもまだコマチに見られているのがわかった。
「遠藤さんて、オレたちとトシあんまり変わんないように見えますよね」
「そうか」
「それに仕事ん時のカオとは違うし、なんか新鮮だな。マスク取って、マスク」
 コマチが遠藤のマスクに手を伸ばしたので、遠藤は逃げるように腰を浮かした。
「昨日までぼろぼろだったから、今日はまともに見えるっていうだけだろ?」
「いやー」
 遠藤とコマチとのやり取りに、オザとボーダーも自然と遠藤の様子を観察し始めた。
「身長、175くらいですかね」
「……そうだけど」
「近くで見ると、肌キレイですよね」
「最近は無理に灼いてないだけ……」
 結局、オザが遠藤の隣に移動し、無理やり彼のマスクを外した。
「へえ」
「ほお」
「なるほどお」
「おい、ちょっと待て!!」
 遠藤はたまらず声を上げた。
「なんなんだよ、気持ち悪いな!」
「今まで女目線で遠藤さん見たことなかったから、こうして近くで見ると、色っぽいなーって思って」
 コマチは言った。
「い、色っぽい??」
 遠藤は眉をひそめた。
「遠藤さんて、今まで何人と付き合ったの?」
「少ないよ」
「少ないって、50人くらい?」
 オザが茶化すように言った。
 遠藤は笑ってごまかそうとしたが、ボーダーとコマチがコソコソと話し出したので、ヘンな想像をされても困ると思い、
「3人だよ、な、少ないだろ?」
と、白状した。
「26歳で3人は確かに少ないな」
 コマチは不思議そうに首を傾げていたが、思い当たったように言った。
「じゃあ、告られた数は?」
「え……?」
 遠藤は一瞬思い出そうとしたが、すぐに諦めた。
「5人くらいじゃないかな」
「それ、完全にウソ」
 コマチが両手でバツを作った。
「正直に答えてください。あなた、モテますよね?」
 コマチの声に、ほかの2人もジロリと強い視線を遠藤に投げかける。
「いや、そんなことは……。普通だよ、フツー。あ、なんか熱出て来たかも。寝ようかな」
 3人は静まり、またじっと遠藤を見ている。
 遠藤は再びマスクをして俯いた。
 ……いいから、もう、早く帰れよ! と心で叫んでいた。

 遠藤は耐えられず立ち上がり、3人に背を向けてペットボトルのお茶を飲んでいた。その時、棚の上に置いていた彼の携帯電話が光を放った。
 画面には番号が表示されていた。携帯電話からだ。誰だろうと一瞬ためらったが電話に出ることにした。
「はい」
『もしもし、遠藤さんですか?』
 女性の声だった。
「はい」
『あの、今から行ってもいいですか?』
「はい?」
 遠藤は驚きのあまりペットボトルを落としそうになった。
「ど、どなたですか?」
『……登録してくれてないんですか?』
 遠藤は意味が分からず一瞬黙った。しかし、なんとなく聞き覚えのある声だった。
「すみませんが、お名前をお願いします」
 遠藤が少し大きな声を出したので、男子3人も困惑した表情の彼に気付いて話をやめた。彼らがそのままじっと見つめていても気づかないくらい、遠藤は電話に集中している。
 電話の相手は何も言わなかった。
「あの、聞こえてる?」
 遠藤はイタズラ電話なのか、と思いながら訊くと、ようやく相手が答えた。
『古川です』
 電話の相手は小さな声でそう言った。



 
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「フルカワ……え? 古川さん?」
 遠藤は、相手の名前を聞いてやっと彼女の言葉の意味に思い当たり、声の調子を和らげた。
「ああ、登録って、そういうことか。……ごめん」
 遠藤は貴奈子の番号を電話帳に登録していなかった。部署も違うし、する必要はないと思っていたが、なによりすっかり忘れていた、というのが一番の理由だ。
 遠藤が言葉を探して視線をさまよわせていると、3人組が彼を凝視していることに気付いた。その視線がまた驚くほど強い。
 オザとコマチが口を開いた。
「遠藤さん、今、古川って言った?」
「キナコですか?」
 遠藤は黙ってウンウンと頷いて見せた。その時、遠藤の耳元で貴奈子が再び言った。
『今から行ってもいいですか?』
「え、あー……いいけど……」
 遠藤は何やら異様な殺気を漂わせている3人を見ながら、「今、小沢くんとか……いつもの3人が来てるんだ」と伝えた。
『やっぱり、いるんだ』
 貴奈子は何か考えている風だった。
 遠藤は3人の男子たちが互いに目くばせしていることには気付かず、その苦い表情だけが気になっていた。

 一応、彼らにも訊いてみるべきかなと思い、声を掛けた。
「古川さんが来てくれるって言ってるけどいいよな?」
 確認されて、3人は渋々うなずいた。それを見てから遠藤は再び貴奈子に訊いた。
「古川さん、今どこ?。迎えに行かなくても来れる?」
『大丈夫です。でも、ちょっと道を間違えたかも』
「あー、じゃあ、今いる場所は?」
『はい。でも迎えはいいです。道順だけ教えてください』
 特徴のある、呼吸を呑み込むような幼い話し方は憎めず、遠藤は苦笑した。
<だ、か、ら、どこにいるのか言ってくれないと道順の説明もできないんだよな>
 心ではそう言い返してみるものの、貴奈子の無垢で大きな瞳を思い出すと、そんな言葉も消える。
「えーと。……で、どこにいるの?」


 貴奈子が来ると聞いて3人は全員「迎えに行く」と言い出した。
「仲いいんだな」
と、遠藤はあきれ顔になっていた。
「だって、あいつハタチとは思えないくらいガキだし、バカだし、イミフだし。世話焼かなきゃどうしようもないっていうだけっすよ」
 オザが語気を強めて言うので、遠藤は「何もそこまで言わなくても」となだめる方に回った。
「3人で行くのもなんだし、遠藤さんが寂しいだろうから一人でいいだろ」
 ボーダーがオザに言う。
「じゃ、オレ行ってくるわ」
 オザはさっとジャケットに袖を通して、あっという間に部屋から出て行った。

 当然ながら、彼には貴奈子に忠告する役目があった。

 オザが貴奈子を見つけた時、あからさまにがっかりした顔をされた。
「オザだったら来なくていいのに」
「病人の遠藤さんに来てほしかったのかよ。迎えいらないって言ったのおまえだろーが」
「一応ね、そうは言うけどさ」
 ふふふ、と笑う貴奈子を見てオザは暗い気持ちになった。
 二人は遠藤のマンションへの道を歩きだした。貴奈子は意外と近くから電話してきたので、短い時間で彼女に伝えるべきことを伝えておかねばならない。
 貴奈子の前を歩きながら、オザは低い声で言った。
「あのな、遠藤さんのことなんだけどな」
「うん」
「会いに来たってことは、おまえ、諦めないつもりなのか?」
「え? 今さらな言い方だね。応援してくれるんじゃなかったっけ」
 至極真っ当な反応だった。
 誰も“絶対諦めるな!”とは一言も言ってない。しかし、頑張るつもりなら全員で応援するぞ的なニュアンスを十分伝えていた。さすがの貴奈子もそれは感じ取っていたのだ。
「応援はするけど……別に付き合わなくてもよくね? ……ほら、仕事仲間とか、知人、友人……」
「ん? それなら応援なくてもなれるけど」
 それも当然の反応だった。
「だって、遠藤さん彼女いるわけだろ」
「うん」
「あの人実は、そうは見えねえけど、モテんじゃねーかと」
「モテるよ。トーゼンだよ」
「え、そ、そうか。やっぱり女子から見ると、そーなのか」
「すっごいイケメンとかじゃないけど平均点が高いんだよね。見た目も性格も能力も、どこ見ても悪いトコが無いから」
 貴奈子は淡々と言葉を返す。
「じゃあ、おまえ……そんなライバル多そうな男を勝ち取る自信あんのかよ」
 オザは貴奈子の言葉を恐る恐る待った。もしかしたら、万が一にも考え直してくれるかもしれない。その僅かな可能性に賭けた。

 貴奈子はふうと溜息をついた後、きっぱりと言った。
「ヨメになる」
「はあ!?」
 オザは驚いて振り返った。
 貴奈子は不自然なほどに落ち着いていた。
「遠藤さんと結婚するんだよ。今は遠藤さんに彼女がいても構わない。邪魔もしない。でもいつかきっと遠藤さんに気付いてもらう。私が一番遠藤さんの事を好きなんだよって」
 オザは眉をひそめた。
「なんかその考え怖くない? ストーカーの臭いしかしねえけど」
「うるさい! 迷惑はかけない! だいたい片想いなんて、考えてることはストーカーとおんなじなの。要は相手に迷惑かけなきゃいいんだよっ」
「マジでかあ……」
 オザは完全に立ち止まった。オレたちはそれを応援してもいいんだろうか、という疑問が脳裏をよぎる。
「なによ、『いつか結婚する』っていうフレーズがそんなに悪い? じゃあ、遠藤さんが独りになるまで待つって言ったらいいの?」
「いやいや、そっちの方が言い回し的には執念深そうで怖いわ」

 貴奈子はふうんと言って、視線を落とした。
「オザは、私には1%も可能性が無いって言いたいの?」
「そうは言ってないけど……」
 オザは貴奈子の寂しそうな表情を見て戸惑った。
 貴奈子は静かに呟いた。
「好きなら、その人の傍にいられる日を期待するもんでしょ。たとえ1%の可能性でも、さ」
 圧倒的な正論に、オザは黙り込むしかなかった。
 どうやら貴奈子は、3人が煽ったせいで決心してしまったようだ。しかも今の段階では『いつか東大合格!』ばりに無謀な決心だ。恋人がいる男を相手に、プロポーズしてもらうまでひたすら待つなんて。

 オザは溜息をついてうなだれた。
 面白いからと煽った自分たちが、このまま彼女を放置するのは無責任だと思えたからだ。




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 数分後、オザが貴奈子を連れて、遠藤の部屋のドアを開けると「いらっしゃい」と遠藤が笑顔で二人を迎えた。その笑顔を見るなり、貴奈子の表情は崩れ、もう隠しようがないほどの照れと喜びが溢れてしまっていた。
 彼女の危機感の無い様子を見てとったボーダーとコマチが苦い顔をしてオザを睨む。オザはすぐに2人の傍に寄って、弁解を始めていた。

 何が起こっているのか、遠藤にはさっぱりわからなかった。
 男子3人の様子に気を取られていた彼の傍で、貴奈子が口を開いた。
「いつ店に戻ってこれるんですか?」
 遠藤は思い出したように声のする方を振り返った。
「うん、今日医者に行ったら肺の方はキレイになってるって言われてね。あ、そういえば捻挫してたとこも腫れがひいて治ったな……」
 手首を見ながら話していると、貴奈子は居たたまれないという表情で俯いた。
「あ、あの、それ、ごめんなさい……」
「ん? いや、これは、古川さんのせいじゃないんだよ」
「え?」
 戸惑う貴奈子に、遠藤は笑いながら説明した。
「あの日、もう結構熱があったんだ。普通の風邪だと思ってたから薬飲んで仕事してたんだけど、ずっとフラフラしてて。だから、脚立の上でバランス崩した。で、棚に手をついても握力なくて、しっかりつかまっていられなかったんだ。棚につかまってるのに落下するってよっぽどだよ。マジで恥ずかしかった」
 それを聴いて貴奈子はほんの少し救われたような笑顔を見せた。

 しかし、続く遠藤の言葉に、貴奈子は再び表情を凍らせることになる。
「でさ、それでいうと、その前日に台車で飛ばされた時も俺が悪いんだ。もう頭痛が酷くてボケッとしてたから、古川さんの猛突進を止められなくてさー」
 遠藤は貴奈子の傷口に塩を塗っていることにも気付かずに指折り数えだした。
「27、28、29、1、2で今日が3日だから、結構長引いてるよね。熱が引かなかった時点で医者に行ってればよかったな。とりあえず、明日は出社するから」
 そうですか、と貴奈子は顔をひきつらせた。

 そんな貴奈子の様子に気付くことなく、遠藤は顔を寄せ合って何やら熱心に相談している男子たちを見ていた。
「あの3人に風邪をうつさないか冷や冷やしてたけど、大丈夫みたいだな。あいつらいつも一緒にいるから、1人風邪ひいたら、みんな風邪ひくんだろうな……」
 貴奈子が「オザたち、ずっと来てるんですか? いつからですか?」と眉間に皺を寄せた。
「今日で3日目。見かけによらず優しいよね」
 遠藤はふと、近くの棚に置いていた新しいマスクを手に取った。
「古川さんマスクした方がいいよ。ここはウィルスだらけだと思うし」
「ううん、大丈夫です」
 貴奈子はなぜか嬉しそうに遠藤を見上げていた。

「あのぉ」
 貴奈子がふふっと笑う。
「遠藤さん彼女いるんですよね」
 その問いに、部屋の奥の3人が敏感に反応した。必然的に押し黙り、彼らは貴奈子をじっと見つめる。
「……うん。聞いたの?」
 遠藤は意外な質問に戸惑っていた。
「はい。やっぱり彼女さんは毎日お見舞いに来てるんですか?」
 貴奈子は無邪気な様子で訊いてくる。
「いや、来ないよ」
 その答えに、貴奈子は目を見開いて飛びつかんばかりに訊き返す。
「なんでですか?」
「え?」
「なんで来ないんですか? 彼女だったら看病に来ませんか?」
「あー、そうかな……」
 遠藤は苦笑いした。
 あまり込み入った説明はしたくない。
「もう5年付き合ってるし、そういう義務的な感じは無いから」


 3人はその遠藤の言葉に、いち早く反応した。
 ボソボソと声をひそめて話した。
「5年だってよ。だから、遠藤さん3人しか付き合ってねーんだよ」
「一人一人が長いってことか」
「26歳で5年ということは、付き合い始めたのは21。で、ほかの2人は3年くらいずつ付き合っていたと仮定すると、その前は18、そしてさらにその前は15……」
「まあ遠藤さんの性格なら、わからないでもないな」
 3人は顔を見合わせた。
「女子のペースに流されてそうだもんな」

 彼らがヒソヒソ話し合っている時、貴奈子はというと、5年という数字に愕然としていた。
 彼女は何も言えず、寂しそうに視線を落とした。


(3月4日 金曜日 午後4時半)

 翌日、遠藤がマスク姿で出社しているのを、男子バイト3人組はしっかりと確認した。そして、休憩室で貴奈子の出勤を待っていた。
 しばらくして「おはよーございまーす」という軽い口調で、貴奈子が休憩室に入って来た。
 彼女のその明るい態度が、昨日の衝撃に負けないという意志の表れなのか、それとも何も考えていないのか3人にはわからない。しかして若干イラッとする。

「あれ……? 早いね。30分も前なのに」
 貴奈子は3人の前を素通りし自分のロッカーへ直行した。テーブルにやって来た時、ようやく重い空気が漂っていることに気付いた。
「どーしたの?」
 貴奈子が言うと、3人はようやく口を開いた。
「まあ、座ろうや」
 オザがバンバンと椅子の座面を叩いた。貴奈子は仕方なく、黙ってオザの隣に座った。また、何か怒られるのかと警戒しつつ。
「では」
 ボーダーが低い声で言った。
「緊急作戦会議だ」

 貴奈子は「んん?」と首を傾げた。
 それには構わずにボーダーは続ける。
「議長はオレ、書記はコマチ。じゃ、まず現状確認からいこうか」
 コマチが紙とペンを出して、皆の顔を伺っている。

「わかってるのは」
 ボーダーが口を開いた。
「遠藤さんには彼女がいること」
「え、ちょっと待って」
 貴奈子が慌てて手を伸ばして、皆を止めようとした。
 しかし、コマチはボーダーの言ったことを几帳面に書き綴っている。
「そして、その彼女とは5年付き合っている」
 オザが言う。
「な、なにこれ……ちょっと! 大きな声でやめようよ!」
 貴奈子が困惑していると、3人にじろりと睨まれた。
 議長ボーダーが言う。
「オレたちは応援すると言っただろう」
 貴奈子は唖然としてボーダーの顔を、そしてオザとコマチの顔を見た。
「そうだ。決めたんだ」
 オザがビシリと言った。
 ペンを走らせつつ、コマチが、
「まぁ、応援するって言った限りは、責任とってキナコの願いをかなえたいわけよ」
と説明する。
「オレら3人が全力でサポートする」
 ボーダーに強く言われ、貴奈子は面食らった様子で「……あ、ありがとう」と言った。

 そうして、会議は粛々と続いたのだった。


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 貴奈子の前で男子アルバイト3人は神妙な顔のまま、活発な意見を出し合っていた。
「遠藤さんと彼女との関係は自然体に移行しており、ラブラブな時期は過ぎている」
 コマチが自分で言って、そのまま書いている。
「そうなの? 自然体かもしれないけど、ラブラブじゃないとは言い切れなくない?」
 貴奈子が訊くと、コマチは取り合わないという感じで顔も上げずに、
「5年も付き合ってラブラブなわけない」
と言い切った。
「そういうものか? 個人差あると思うが」
「オレは5年も付き合ったことねーし、わかんねー」
「いや」
 2人の反論に、コマチは鋭く目を光らせて言う。
「遠藤さんの、彼女のことを語る目を見ればわかる」
 ……そうなのか、と2人はよくわからないまま頷いた。
 そして今度はボーダーが口を開いた。
「今のところ、遠藤さんには結婚の意志がない」
 重要な一項の追加に、コマチはウンウンと頷いていた。
「そう、今のところな」
 オザが強調するように言った。
「遠藤さんは意外にモテるし」
「告られ慣れていて、恋愛に対してガツガツ感が無い」
 ボーダーが言って、コマチに筆記するよう促した。

 貴奈子は、皆の目つきを見てその熱の入り方に若干ひいていた。
「ふざけてるワケじゃないんだね」
 皆を伺いながら彼女が言うと、ボーダーが厳かな声で言い放った。
「今回ばかりは真剣勝負だ。絶対勝ちに行く」
「ふーん。張り切ってるなー」
 貴奈子はそう他人事のように言った。


(同日 午後7時頃)

 片岡佑輔は商品返品のためタブレットを持って在庫置場にやって来た。そこで台車を押す貴奈子を見かけ、思わず声をかけた。
「キナコ、ぶつけんなよ。それワレモノだからな」
「はーい」
 間延びした返事が、片岡の不安を煽った。
「ほんっとに、気を付けてくれよ? 壊したら弁償だぞ」
「はーい」
 答えた矢先に貴奈子は台車を壁にコツンとぶつけた。
「ほらあー!」
 片岡は飛んできて彼女から台車を奪うと、自分で所定の位置まで押していった。貴奈子は後からついてきた。イライラするのだが、貴奈子がすまなそうに下から見上げるので、彼は怒るに怒れなかった。
「なんでおまえ、ここの店選んだの?」
 片岡は本当に知りたかった。
「向いてないよ、絶対向いてない。接客もできないし、台車コントロールする力もないんだから」
「じゃあ片岡さん、私に向いてる仕事、教えてください」
 悪びれもせず言う貴奈子に、片岡はうんざりした。
「んなこと、自分で考えろ」
 そう言うと、さすがに傷ついたのか貴奈子は背を向けて戻っていった。

 ちょっと言い過ぎたかなと思った片岡は、貴奈子の後について行き、その背中に声をかけた。
「ほら、おまえ……なんていうか、正直で不器用だから人に何か買わせるような仕事は向いてないと思うし、あと事務仕事は正確さが必要だから向いてないし、幼稚園みたいな子どもと一緒だといいかもしれないけどそれも結構神経使うらしいし……介護も……」
「向いてないことばっかりってコトですか」
 貴奈子は振り向いて唇を尖らせた。
「消去法だから。ちょっと待て。今考える」

「主婦とかどうだと思います?」
 彼女は片岡にくりっとした目を向けて訊いた。

 その表情を例えるなら仔猫だな、と片岡は思った。結構可愛いと思うし、エプロンつけてニコニコして旦那を待つっていうのは、この子に向いている。
「いい。それいいよ。早々に就職して来い」
「だって、相手いないし」
 貴奈子は視線を横にそらし、寂しそうな顔をした。そしてそのまま片岡を見ずに言った。
「片岡さんて、彼女いるんですか?」
「へ?」

 何を突然訊いてくるんだ。
 片岡は面食らって一瞬のうちにいろんなことが頭によぎった。

 ちょっと待て、この流れでいうとコイツ、オレに告白しようとしてるんじゃないだろうな。もしオレに彼女がいないと知ったら、キナコのことだから、
『私、片岡さんと付き合ってあげてもいいですよ』
なんて、上から目線で言ったりするんじゃないか?

 片岡はかあーっと顔から首から頭の表皮まで赤らめた。
 恥ずかしさと戸惑いとまんざらでもない感で、どう答えるべきかわからなくなった。
 可愛いのは可愛いと思うし、スタイルもまあまあ。失敗ばかりするところが放っておけない気がする。でも、27のオレがまだハタチの子と結婚するなんて。親はどんな顔をする? ただキナコは大抵の人に好かれるヤツだから、結構親ともうまくやっていけるかもしれないぞ。いや待て、その前に、現職社員が現職バイトと付き合って大丈夫か? 社の雰囲気がどうとか、店長に言われたりしないか?

「片岡さん」
 声をかけられ、片岡はハッとして視線を貴奈子に戻した。俯いてまで神経に考えていた自分に驚く。
「彼女いるんでしょ? 片岡さんイケメンだし」
「え、イケメン?」
「うん。ウチの店ならコマチの次にカッコいいと思います」
「そ、そう?」
 片岡はさらに顔を赤くした。もう黒いに近い。
「ふふ。片岡さん、顔赤くして。かわいーな」

 いや、そういうキナコの方がよっぽど可愛いんだけど。いやいやいや、これは罠じゃないか、ドッキリだろ。からかって面白がってんじゃないのか。でも、もしマジで言ってたら……。

 片岡が必死になればなるほど、表情や言葉に不自然さがにじみ出た。
「お、おまえはどんなタイプが好きなんだよ」
「んー。優しくて、仕事ができて、カッコよくて、癒し系で……」
 片岡は、全部自分に当てはまるじゃないか、と脳と心臓にパニックを起こしかけていた。
「そ、そんな男、な、なか……なかいないだろー……ははは」
「そうかなぁ。すぐそばにいるような気がする。その人のお嫁さんになりたいんだー」

 片岡はギョッとした。
 貴奈子はまたふふっと笑って、彼に背を向けて仕事に戻っていった。
 もうこうなると、沸点に達した片岡に、彼女を追いかける術はなかった。




第13話に続く≫
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