SWEET-SOUR-SWEET

【あらすじと目次】

●あらすじ●

自意識が低いせいで他人が自分の事をどう思っているか、あまり気にならない遠藤陽己。
おかげで、あからさまに愛情表現している古川貴奈子の気持ちにも全く気付かない。
はたして、鈍感で無神経な善人と揶揄される遠藤は、貴奈子の気持ちにに応えることができるのか。
甘くて酸っぱい柑橘系ラブストーリー。
主人公は20代後半 販売店主任。1話2500字程度、31話約80000字、長編。
(2016年発表、2017年一部改稿)

 

●目次●

#1 それは伝説 / #2 必然的事故 / #3 自己管理の問題 / #4 療養中なんですけど /
#5 意味不明 / #6 さらに意味不明 / #7 水の泡 / #8 奸計をめぐらす /
#9 意外と気付かない/ #10 貴奈子の決心/ #11 長さに負けないために/ #12 それは一体誰のこと?/
#13 結婚観の相違 / #14 大きな誤解 / #15 飲めない二人 / #16 泥酔の思考回路 /
#17 背けたのは心 / #18 夢も希望も混乱中 / #19 記憶に無くとも感情は甦る / #20 責めた理由/
#21 推測は疑念を呼ぶ/ #22 押さずに引いてみる/ #23 瞳はどこを見ている?/ #24 もう届かない/
#25 サヨナラは突然 / #26 告白の跡 / #27 sweetな夜 / #28 sourな一日 /
#29 sweetな朝 / #30 君との時間 / #31 新たな日常


 遠藤陽己は時計を見てから、3人に訊いた。
「仕事帰り?」
「そうだけど。あ、遠藤さんは寝てて。オレらは9時からの特番見たら帰るから」
「……あ、うん」
 遠藤は苦笑しながら、テレビのリモコンをテーブルの上に置いた。ゴホゴホと咳が止まらない。おもわず体を曲げ、マスクの上から口に手を当てる。
 しかし3人は遠藤のことなどお構いなしで、ザッピングしながら口々に話している
「最初の30分見逃したな」
「やっぱ店から一番近い遠藤さんちでも、この時間になっちゃったなー」
「あー、録画しときゃよかった!」
 彼らの目当ての番組があったらしく、皆テレビに集中して、やっと静かになった。
 遠藤は彼らがくれた重い袋の中を覗き込んだ。ゼリー飲料やレトルトのおかゆなどが大量に入っていた。絶対こんなに食べきれないと思った。
「食うなら作ってやるよ」
 ボーダーが立ち上がり、遠藤の手の中の袋からおかゆを取り出した。
「いや、大丈夫。自分で……ゴホッ」
「いーから、寝てろって」
 ボーダーは勝手にキッチンに立つと、水を入れた鍋をコンロにかけた。
 遠藤は安堵したせいか、少しめまいを感じてそろそろとベッドに戻った。咳をするたび力が入り、腹筋を使うので体力を消耗する。
 横になった途端あっという間に眠りに落ちた。誰かがいるという雑音が心地よかったからかもしれない。

 ボーダーは温め終わったおかゆを持ってベッドにやってきたが、、咳をして苦しそうに顔を歪めて眠る遠藤を見て少し心配そうな顔をした。
「寝たか。マジで大丈夫かな」
 ほかの2人もそろそろと立ち上がり、咳の合間に喘ぐような呼吸をしている男を、上から覗き込んだ。
「こりゃ、しばらく仕事に来ねえな」
「遠藤さんとキナコが揃わねーとつまんねー職場なのに」
 そして、コマチが紙と鉛筆を出して何やら書き始めた。
 3人はテレビを消すと、ニヤリと笑い合って遠藤のマンションを後にした。


(3月2日 水曜日 午前11時)


 朝、目覚めた遠藤陽己は、なんとも言えないだるさでしばらく動けなかった。熱は幾分下がったみたいが、咳止めを飲んでいるにもかかわらず止まらない。そのうち喉から血が出るんじゃないかと想像する。
 テーブルの上にはラップで覆われた冷えたおかゆがあった。そう言えば昨夜はバイト3人組が来てくれたなあとぼんやり思い出す。部屋を掻き回した跡もなく、ゴミすら落ちておらず、おかゆ以外はまるで彼らの痕跡がない。もしかすると遠藤が眠ってすぐ帰ったのかもしれない。テレビが観たかったなんて、やっぱりただの口実か。
 ふと、おかゆのお椀の下に紙が敷かれてあるのに気づいた。ベッドから降りて、テーブルの脇に座りお椀をよけてその紙を手に取った。
 遠藤はその紙に書かれているメッセージを見て目を細めた。
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 遠藤主任殿
 はやく復帰してもらわないと、オレら仕事サボれなくて困ってます。
 ずっと店長が見張ってます。
 明日も仕事終わったら来るから、なんか欲しいもんあったら
 小野宛に電話かメールを。
 柏井 小沢 小野

 小野 xxx-xxxx-xxxx     xxxxxxxxxx@xxxxxx.ne.jp
 キナコ xxx-xxxx-xxxx
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 遠藤は瞬きして最後の一行をじっと見つめた。
 古川貴奈子の電話番号が書かれてある。

 回らない頭でしばらく考えていたが、浮かぶのは疑問符ばかりだ。
 遠藤は、短く息をして携帯を手に取った。
 まずは小野くんに連絡しておこう。今はまだ授業中かもしれないな、と考えながら遠藤はメールを送った。
≪昨夜はありがとう。嬉しかったけど、風邪うつしちゃマズイし、今日のお見舞いは遠慮するよ。それから、メモに古川さんの連絡先が書いてあったけど、どうして?≫
 すると、休み時間なのか定かではないが、すぐに返事が返って来た。
≪キナコに電話してやってよ≫
 遠藤はその一行をベッドに這いあがりながら見ていたが、
「何の電話を?」
と呟いた。
 台車や脚立の件を気にしてヘコんでいるとかいう理由だろうか。遠藤は額に手を当てて考えていた。
 すると、またメールが来た。
≪キナコ、昨日バイト早退して、今日も休んでるって。電話してやると喜ぶよ≫
 遠藤は嘆息した。
 あー、自分の風邪がうつってしまったのか。
 咳のせいで喉がやられ、あまりうまく声が出ないが仕方ない。彼はベッドの上に座って携帯電話を手に取り、番号を押した。

 数回呼び出し音が鳴っていたが、一向に出ないので遠藤が切ろうとした時だった、小さな声が聞こえてきた。
『はい』
 遠藤は慌てて携帯電話を握りなおした。
「古川さん?」
『はい……』
 完全に怪しんでいるような声だった。
「遠藤です。古川さんが病気だって聞いたから」
『えっ!!』
 急に大きな声で反応があった。案外元気そうだな、と遠藤は安心した。
 しかし、相手はなぜか怒りだした。
『えー、遠藤さんの声じゃないし。ホントに、リサイクルショップ-MAOH-の販売部主任の遠藤さん?』
「うん」
『ウソウソ。遠藤さんが私に電話してくるわけない。誰よ! どうせイタズラでしょ、ヘンな声だして。コマチ? オザ? それとも……』
「いや、あの、遠藤だよ。ちょっと喉やられて、声ヘンなんだけど」
 電話の向こうで貴奈子が沈黙した。

「昨日僕んとこに小野くんたちがお見舞いに来てくれてね。それでさっきメールしたら古川さんが休んでるって聞いて……。風邪うつしちゃったかな……」
 そう伝えると、貴奈子が電話口で大きく息を吸い込むのがわかった。遠藤は大声を出されるのかと思い、咄嗟に携帯電話を耳から離した。
 しかし、貴奈子は息を吸ったまま、吐き出さずに呑み込んだようだ。

『ホントに遠藤さんですか?』
 貴奈子の声は静かだった。




 
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 遠藤は全く話が進まないなと思いながら、答えた。
「うん、遠藤だよ」
『高熱出して倒れてるって聞きましたけど……』
「今は大丈夫だよ、だるいけどもう起きられるから。それより、古川さん風邪は?」
『あの、じゃあこれ遠藤さんのケータイですか?』
「あ、うん……」
 やっぱり話は曲げられる。
『どうして私の番号知ってるんですか?』
 なんとなくまずいな、と遠藤は目を伏せた。突然社内の人間から電話があったら嫌だよな。いやそれ以前の問題で、番号を教えていない相手からかかってきたら怖いよな。
「小野くんたちに番号教えてもらって……」
 とにかく、本題に戻って早く電話を切ろう。なんか疲れて来た。
「古川さん今日バイト休んでるんだよね?」
 遠藤が訊くと、貴奈子は明るい声を返してきた。
『はい! アツシが“Big-Japan-Soul”の番組のスタジオ観覧チケットもらったって言うんで、一緒に観に行くんです! せっかくいい天気だし、ちょっと遊園地もよろうかなって思っててぇー、今はちょうどアツシと早めのごはん食べてるとこです。……あ、休みは片岡さんの許可もらってますよ。今日は仕事少ないから、別にいいって! ふふっ』
「……」
 遠藤は呆然としてしばし言葉を失くしていた。
「昨日、早退したって聞いたけど……」
『あ、一応片岡さんが帰れっていうから帰ったんですけど、でもぜーんぜん病気っぽくなくて平気でしたー』
「じゃあ、元気……なんだね」
『はい! あのぉ、遠藤さんのケータイ番号、登録しちゃってもいいですか?』
「……あぁ……どうぞ」
『嬉しい!! 私の番号も、登録しといてくださいね!』
「…………うん」

 電話を切った後、遠藤はベッドに力なく横たわった。古川さんの元気な声は嬉しかったが、若干毒気に当てられた気もする。
 とりあえず、仕事に復帰したらあの3人組の意図するところを聞かなければならない。何を思って彼女に電話させたのか白状させよう。風邪だと勘違いしてたのかイタズラなのかをはっきりさせたい。


(同日 夜 9時半)

 また遠藤の部屋のチャイムが鳴り響いた。
 まさかと思いながらも、こんなに連打でチャイムの鳴らすのは彼らしかいないと観念した。マスクをつけてドアを開けると、寒さに震えるニット帽姿のデカい男たちが立っていた。
 遠藤は顔を引き攣らせて迎え入れるしかなかった。
「もう来なくていいよ。風邪うつったらどうするんだよ」
 黒い集団は無言でドカドカと部屋に押し入り、各々床に座ってくつろぎ始めた。
「これ」
 ボーダーがまたコンビニの袋を突き出した。
「あ、ありがと」

 遠藤は困って立っていたが、3人は気にすることもなくまたテレビをつけた。
「遠藤さん、AVとかないの?」
 高校生のコマチが可愛い顔で無邪気に訊く。
「無いよ無い無い」
「どこに隠してんの?」
 オザがベッドの下に手を伸ばし始めた。
「だから、無いって!」

 ボーダーが普通にクローゼットを開け始めたので、遠藤は驚いて彼の手を取った。
「な、なにしてんの?」
「ん、ボードゲーム探してる」
 柏井がボーダーと呼ばれる所以は、決してスノーボード好きでも、ボーダー柄好きでもなく、ボードゲームの達人だからであった。
「無い。カードならあるけど」
「カードはボードゲームじゃないな。でもま、いいか。カード出して」
「ええ? 今からここでやる?」
 遠藤は驚いて持っていた袋を落とした。

 落としたコンビニの袋から、ミカンが見えた。昨日と同じくやけに重いと思っていたら、ミカンのぎっしり詰まった袋が二つも入っていた。やはりこんなの、食べきれない。
「みかんはビタミンCが豊富で、咳や痰を鎮めるのに効果的で、漢方薬にも使われてまーす、ってネットに書いてあったよ」
 そう言ったのはコマチだった。
「そうなんだ、ありがとう……」
 遠藤は袋を拾い上げた。病気の時に優しくされると、どんな悪ふざけも許してしまいそうだ。
「さあ、やるか」
 ボーダーが言った。ほかの2人はテーブルの上にあったものを全部床に置いた。
「ここはやっぱりポーカーだな」
「フツーにババ抜きがいいなー」
「えー、オレはページワンがいい」
 カードを切りながら、ボーダーが遠藤を見た。
「遠藤さん、何がいい?」
 遠藤は、自分も参加するのかと驚きながら、テーブルの回りの男たちに近づいた。

「その前に、聞きたいんだけど」
「なに?」
 コマチがキョトンと無垢な表情を見せる。
「小野くんさ、古川さんの電話番号の件なんだけど、あれ、彼女に無断で……」
 遠藤が言いかけるのを、ボーダーが珍しく大きな声で遮った。
「遠藤さん、キナコに電話したのか?」
「ああ、したよ。だって、小野くんが……」
 するとオザが声を上げた。
「そーかあ。喜んでたろ、キナコ」
「あ? そういう話じゃ……」
「そーだよ、オレたち、いいことしたなー」
 コマチが満足気に頷いていた。
「いや、ちょっと待って」
 遠藤はそう言ってから、咳込んだ。3人は律儀にその様子をじっと見て待っていた。
「意味わかんないんだけど」
 遠藤はさすがに3人をじっと睨みつけた。

「早退とか欠勤とか言うから、てっきり病気だと思うだろ? オレのせいかなって思ったんだよ。だけど彼女元気だったよ。なんの目的で電話させたの?」
 彼が3人の顔をぐるりと見渡すと、3人はそれぞれ目をそらして口をもごもごさせた。
「イタズラかー?」
 遠藤の目が細くなっている。
「いや、オレらも、知らなくて」
「風邪ひいたって、誰か言ってなかったっけ?」
 ボソボソと言う3人に、遠藤は呆れ気味の声をだした。
「そういう不確かな話で電話させるなよ。古川さんだって知らない番号から急に電話かかってきたら驚くだろ?」
 言われて3人は顔を見合わせた。
「どっちかっていうと、サプライズ的な」
「まさか、みたいな」
「ラッキー! みたいな」
 遠藤は3人が言うのをじっと聞いていたが、
「何言ってんだよ。電話したせいで、彼女のデートの邪魔しちゃったよ」
と、溜息をついた。




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 遠藤の言葉に、3人は顔を見合わせた。
「なんすか、それ」
「ウソでしょ、間違いでしょ」
「いや、たしかアツシって人と一緒に何かの番組を見に行くとか遊園地いくとか、嬉しそうに言ってたから」
 それを聞いてオザは頭を抱え、小さく呟いた。
「あの、バカ。自分がやった事わかってんのか」
 ボーダーが溜息をついた。
「オレたちの苦労が……」
 コマチはというと、呆れた顔をしていた。
「あーあ、もう、無理」
 3人のテンションが急激に下がったのを見て、遠藤は言った。
「さ、そろそろ白状しようか」
 真相を追求しようとする遠藤を見て、オザは急に開き直ったように質問した。
「遠藤さん、カノジョいるんですか」

「え?」
 遠藤は急に訊かれて動揺した。
「いるんですか?」
「いるってことでいいですね?」
 3人に詰め寄られ、遠藤は戸惑いながらも仕方なくうなずいた。
「なんで、突然そんなこと訊くんだよ……」
 遠藤がドギマギしながら言うのを、3人は冷たい目で見ている。
「別れる予定はないんですか? 新しい彼女つくりませんか?」
 オザの言葉に遠藤は目を丸くした。コマチもブッとふきだした。
「オザ、すごいこと言うー」
「だってそれくら言わねえと……」
 この人わかってねーよ、とオザは遠藤を見た。
 コマチはそんなうらめしげな顔のオザに、説明するように言った。
「別れる予定なんて、フツー立てないっしょ。それ訊くくらいなら、結婚の予定を訊いたほうがよくない?」
「確かにな」
 ボーダーもコマチの意見に賛成のようだった。
 ブツブツと話し合っている3人の姿に、遠藤は眉を顰めた。
「なんでそんなことが気になるんだよ?」
 オザは逆に遠藤に向かって首を傾げた。
「さっきの流れでこの話、って……わかりませんー?」
「んん? なにが」
 遠藤は目を瞑り、話の流れをさかのぼろうと考え込んだ。
 ついにボーダーはかぶりを振った。
「ダメだ。この人攻略する方法が思いつかねえ」
 言われて遠藤は、また眉間に皺を寄せる。
「なんだよ、はっきり言えよ。さっきからなんなんだよ」
「いやーべつにー」
「遠藤さんの幸せを壊したいわけじゃないんですけどね」
「ただ、近々結婚する気があるのかだけでも、聞かせてもらっていいすかね」
 すると遠藤は迷うことなく、即答で答えた。
「全然考えてない」

「そうですか!」
「そうですかー」
 3人は満足げに笑い、立ち上がった。
「じゃ、オレたち帰りまーす。明日も来まーす」
「ええ??」
 3人は、今回はテーブルを片付けることもなく、何か達成感のようなものを背負って部屋から出て行った。
 残された遠藤は、ただただ意味が分からず呆然としていた。結局、貴奈子への電話はなんのためだったんだろう。
 そして彼らの、明日も来るという捨て台詞に悪寒が走った。


(3月3日 木曜日 午後5時前)

 携帯電話を握りしめてニヤニヤしている貴奈子を見つけたボーダーは、彼女の頭を丸めた紙でパシッと叩いた。
「いたっ。何すんの!」
 貴奈子は大きくて無愛想な男を睨みつけた。
「おまえは遠藤さんを好きじゃなかったのか」
「えっ……す、好きだよ……。やだな、何言わせんのよー」
 照れまくる貴奈子を見て、ボーダーは冷たい視線を残し無言で去っていった。
 貴奈子は叩かれた頭を撫でながら携帯電話の画面をまた見つめる。遠藤陽己の名前と電話番号が表示されている。そして彼の携帯電話にも彼女の番号が登録されていると想像して喜んでいた。
 彼女にとっては、遠藤が特に用事もないのに電話をかけてきてくれたという事実と、わざわざ男子バイトらから番号を訊き出したという事実が感動を呼んでいた。
 そんな風に貴奈子は自分に都合のいい解釈をしてニヤついていた。

 休憩室のいつものテーブルにいた貴奈子のもとに、今度はオザがやってきた。
「おい、バカ」
 いきなりの暴言に貴奈子は唖然として彼の顔を見つめた。
「おまえ、一回熱だして脳みそ煮沸消毒して来い」
「は?」
 貴奈子が言い返す間もなく、オザは通り過ぎて奥のロッカーに消えていった。
「なんなんだよお、あいつら」
 せっかくいい気分でいるところを邪魔されて、貴奈子はふくれっ面でぼんやり携帯電話を見つめた。

 するとしばらくして今度はコマチが入って来た。
 彼は横目で貴奈子を見て何も言わずにロッカーへ向かった。どうも3人の様子がおかしい。
 3人が戻ってきてドカッと椅子に座ると、貴奈子は警戒して離れた席に座り彼らの様子を見つめた。
 オザが言った。
「アツシって、確かおまえの元カレだよな」
 貴奈子は質問の意図が分からなかったが、とりあえず、うなずいた。
 すると、コマチが薄ら笑いを浮かべて言った。
「ほらー、やっぱ無理っしょ」
「何が?」
 貴奈子は訊き返さずにはいられなかった。
 ボーダーが咳払いをして、オザとコマチが姿勢を正す。
 貴奈子は一抹の不安を感じた。……なんだ、なんの会議がはじまるんだ。

「自分の好きな人が高熱で苦しんでる時に、なんで元カレとデートしてる」
 ボーダーの静かな声には完全に軽蔑の色がのっかっている。
「デートじゃないってば! Big-Japan-Soulの番組観覧だったんだよ。行くかって訊かれたら、行くでしょそりゃー」
 そう言いながら、貴奈子はどうして昨日の事がバレてるのかなと首を傾げた。
「アイドルと元カレと遠藤さん、どれが本命なのさー」
 コマチが冷めた目で言った。
「なんでそーゆー……」
「遠藤さんには彼女がいるんだぞ」
 突然オザが言った。

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 貴奈子はその言葉に心臓を掴まれたかのように、目を見開いて動きを止めた。
「おまえが遠藤さんのことどこまで本気なのかしらねーけど、彼女がいる男振り向かせるのに、チャラチャラしてる余裕なんてないんじゃねーの?」
 そうオザが言う。

 普段は口数の少ないボーダーですら、
「これでも結構おまえと遠藤さんのコンビは好きだった。だから、付き合ったりしたらおもしれえなって思う。でもこのままじゃ無理だ」
と苦い顔をして言った。

 貴奈子はゆっくりと視線を落とし、テーブルの一点を見つめた。
「マジ説教なの?」
 ポツリと言う彼女に、3人は何も答えなかった。それはつまり、肯定しているということだ。
「ごめん……」
 貴奈子はしゅんとして俯いた。
「アツシは私が凹んでたから心配して気を遣ってくれたっていうか……。そりゃ付き合ってた時期もあるけど、今はアツシに友達以上の感情は無いんだよ……それでもダメなんだよね」
 問いかけてもやはり、誰も答えてくれない。ただ睨みつけられているだけだ。
「遠藤さんに彼女いるんなら、やっぱり……諦めるべきだよね」
「人に訊くな」
 オザが言った。
「だよね、じゃなくて、諦めるか、諦めないか自分で決めろ」
 いつになく厳しい口調に、貴奈子は半ベソをかいていたが、ここで泣いたら何を言われるかわからない。
 貴奈子が俯いたまま黙っていると、ボーダーが立ち上がった。
「5分前だ」
 3人は貴奈子を残し、休憩室から出て行った。


(同日 午後7時頃)

 夕方のアルバイトは、5時から9時の4時間の間でヒマな時間に15分の休みがもらえる。
 貴奈子は休憩室のテーブルでチョコレートをつまみながら携帯電話を触っていた。
 するとコマチが休憩室に入って来た。
 彼は貴奈子の近くに座ったが、携帯電話にイヤホンを差し込み動画を見始めた。
 貴奈子より3つも年下だがいつも彼女をばかにする。可愛い顔で背が高く、筋肉質。サッカー部にいたこともあるらしい。貴奈子がなんとなくコマチを見ていると、彼は急にイヤホンを外して彼女の方を向いた。
「なあ、キナコ」
「え、なに?」
 コマチは意外にも笑顔だった。
「オレ今彼女いないけど、遠藤さん諦めてオレと付き合う?」
「え?」
 貴奈子は目を丸くしてコマチを見つめた。
「こんなチャンスなかなか無いよ? 行列のできる店に待ち時間なしで入れるくらいラッキー」
「そう、なんだ……」
 行列ができるほど彼女候補がいても、まあ、おかしくはない。

「遠慮しとく」
「なんで? オレ、これでも彼女には優しいのに。浮気しても怒んねーし。ただ、そんときはオレもするけどね」
「それって優しさって言わないんじゃないの?」
 貴奈子は思わず笑った。そして、
「でも、やっぱりコマチと付き合うなんて、考えられないなー」
と、ぼんやりと答えた。
「じゃあ、誰となら考えられるんだよ」
「誰と……?」
 貴奈子が黙って俯くと、コマチが口を開いた。
「キナコがちゃんと決心してくれないとオレら応援できない。オレらの助けなんかいらないんだろうけど、まあ……オレらがキナコをほっとけないんだよな。だから遠藤さんのこと、諦めるにしろ諦めないにしろ、早く決めろよ」
 コマチはそれだけ言って、またイヤホンをして動画を見始めた。
 貴奈子はその時初めて3人の気持ちに気付いた。
「あ、……ありがとう」
 小さな声で貴奈子は言った。


(同日 夜9時前)

 店の売り場は8時半をピークに、閉店9時に向けて客数が減ってゆく。8時ごろには品出しも終わっており、販売スタッフは閉店時間まで主に接客や整頓に追われる。
 閉店時間が近づいて、手が空いているスタッフは客のいないコーナーの清掃を始めた。
 例の3人は、売れない輸入CDコーナーで顔を合わせた。
「で、どうよ、キナコのかんじは」
 オザが棚を拭きながら、隣のコマチに訊いた。
 コマチはCDをワゴンに積んでいた。
「もうひと押しってトコかなー」
 そう答えるコマチに背を向けて、CDの値段を張り替えていたボーダーは、フフと笑っていた。
 オザは思わず手を止めて言う。
「あの二人が一緒にいると、絶対何か事件起こすだろ。まあ大抵被害受けんのは遠藤さんだけど。それをさー、できることなら、毎日見てたい」
「キナコが販売部にいた時は壮絶だったからな。すげー腹筋ついた」
 ボーダーが懐かしそうに言った。
 コマチは笑っていたが、
「それって遠藤さんにしたら結構メーワクな話だよねー」
と呟いた。
 3人は少しの間沈黙した。確かに貴奈子と遠藤が付き合ったら面白いに違いないが、遠藤を困らせたいわけではない。
「……でもさ……」
 オザが2人の顔を窺いながら言った。
「遠藤さんもまんざらじゃないと思うんだよなあ。普通ならキレるのに、あの人がキナコ見る目、優しいもん」
 言われて2人もうなずいた。
「あんな目でみられるから、キナコも惚れるんだよな……」
「じゃあ、悪いのは遠藤さんだ」
 3人は顔を見合わせた。
「そうだよな」

 彼らは思った。
 あの遠藤のことだから、特に意識なく貴奈子をその気にさせてしまったのだろうが、その罪は償わねばならない。ただ、貴奈子の気持ちに気付けと言ってもすぐには無理そうだ。時間をかけて周りから固めていくしかない。
 遠藤と貴奈子が同じ空間にいるだけで化学反応が起きる。
 その化学反応でみんな幸せな気持ちになる。
 それは貴奈子だけでなく、遠藤だって同じ。まさしくウィンウィン、悪いことなし。

 3人の中で、自分達の密かな悪巧みを正当化する言い訳が構築されていった。





第9話に続く≫
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