SWEET-SOUR-SWEET

【あらすじと目次】

●あらすじ●

自意識が低いせいで他人が自分の事をどう思っているか、あまり気にならない遠藤陽己。
おかげで、あからさまに愛情表現している古川貴奈子の気持ちにも全く気付かない。
はたして、鈍感で無神経な善人と揶揄される遠藤は、貴奈子の気持ちにに応えることができるのか。
甘くて酸っぱい柑橘系ラブストーリー。
主人公は20代後半 販売店主任。1話2500字程度、31話約80000字、長編。
(2016年発表、2017年一部改稿)

 

●目次●

#1 それは伝説 / #2 必然的事故 / #3 自己管理の問題 / #4 療養中なんですけど /
#5 意味不明 / #6 さらに意味不明 / #7 水の泡 / #8 奸計をめぐらす /
#9 意外と気付かない/ #10 貴奈子の決心/ #11 長さに負けないために/ #12 それは一体誰のこと?/
#13 結婚観の相違 / #14 大きな誤解 / #15 飲めない二人 / #16 泥酔の思考回路 /
#17 背けたのは心 / #18 夢も希望も混乱中 / #19 記憶に無くとも感情は甦る / #20 責めた理由/
#21 推測は疑念を呼ぶ/ #22 押さずに引いてみる/ #23 瞳はどこを見ている?/ #24 もう届かない/
#25 サヨナラは突然 / #26 告白の跡 / #27 sweetな夜 / #28 sourな一日 /
#29 sweetな朝 / #30 君との時間 / #31 新たな日常


 あるリサイクルショップに、悪意はないけれど人を巻き込むおバカなフリーターと、人は良いけれど運の悪い社員がおりました。
 ある時、社員はフラフラ歩いているフリーターに注意しました。
「古川さん、それ、触ると崩れるから気を付けてね」
 しかしフリーターはあっという間にダンボールの山に埋もれてしまいました。
「遠藤さんもっと早く言ってくださーい」
 彼女はいたずら盛りの子狐のように、その山からちょこんと顔を出して言いました。
 社員は溜息をつきます。
「でも、先週も崩したよね」
「そうでしたっけ?」
「全く同じ場所だよ」
「忘れてました!」
 フリーターの満面の笑みに、社員は仕方なく、何も見なかったことにしておきました。
 そして数分後のことです。
「遠藤さーん」
 社員を呼ぶフリーターの声がしました。
「ん?」
 振り向いた社員の脚に、荷を載せた重い台車で突っ込むフリーター。
「わー、ごめんなさい!」
 社員は前に転倒し、さっきフリーターが崩したダンボールの山の中へ沈みました。
 彼は台車の突進をまともに食らって、しばらく起きあがれません。
「あの、急いで停まろうと思ったんですけど、ブレーキなくてー。なんでかなー」
 必死に弁解するフリーターに、社員は脚や腰に手を当てて体を支えながら立ちあがりました。
「えっと……ここにある台車、全部ブレーキついてないけど?」
 驚愕の表情で固まるフリーター。
 社員は顔を引きつらせながらも、優しく尋ねました。
「古川さんて、ほぼ1年、台車で作業してるよね?」


(2月28日 日曜日 午後5時前)

 一同は休憩室で腹を抱えながら、それでも必死で声を抑えてクックックと笑っていた。
 笑っていないのは古川貴奈子(フルカワ・キナコ/20歳アルバイト)だけだった。貴奈子は顔を真っ赤にして俯いている。
 ボーダーと呼ばれている語り部の男子アルバイトが、話の最後を締めくくった。
「この世にも恐ろしい話、信じる信じないは……」
「信じるフツーに」
 話を聴いていた二人の男子アルバイトは、笑い疲れて一息つくと、顔を寄せて話し始めた。
「それって昨日の話だろ。そういや遠藤さん、店長に呼び出しくらってたわ」
「またあの人、他部署のバイトのやったことで絞られるんだ……」
「オレならブチキレる」
「それも1回や2回じゃねーしな」
「キナコのバカは修正しようがないから、傍にいた遠藤さんが怒られたんだろうけど、だまって怒られてる遠藤さんて、どうなのよ」
「どっちかっつーとキナコの上司の片岡氏の責任なのにな」
「二人とも違う意味で上司に向いてねえな」
「遠藤さん、器がデカイのか、天然なのか。ま、天然だろうな」

 男子アルバイトたちが小声ながら盛り上がるのに対し、貴奈子は一人、必死で反論する。
「別に遠藤さんは天然とかじゃないと思うけど! ただ、優しいだけで……」
 すると、コマチと呼ばれている高校生アルバイトは、
「いや、天然っしょ、天然。国宝級の伝説の天然記念物的天然」
と言い切った。
 貴奈子は頬を膨らませ、目の前の男子バイト3人を睨みつけ不服そうに呟く。
「どうしてそんなこと言うかなー」
「だって」
 オザと呼ばれるアルバイトが言った。
「こんだけわかりやすいキナコの気持ちにも、あの人全く気付いてねーし」

「ええっ!」
 言われて貴奈子はガタンと大きな音を立てて、その場で立ち上がった。
 休憩室のテーブルを囲んでいたアルバイトたちは、彼女の顔を見上げた。
「ん? なに驚いてんの?」
「わ、私の気持ちって、一体なんのことかなっ……て」
「好きなんだろ? 見てたらわかるわ」

 貴奈子は口を開けたまま、両手でテーブルを押さえつけてはいるものの、それ以上動けなかった。
「な、な、な……」
「あれ、バレてないと思ってたのかよ」
「多分、店でおまえの気持ちに気付いてないの、遠藤さんと片岡氏くらいだろ」
「遠藤さんはオレら販売部の主任。おまえ単なる荷受けのバイト。無理やり用事作って会いに行くんだから、あからさまだわ」
 3人は笑いながら証言する。
「在庫置場によくピンク色のショボショボしたハートが落ちてるよな」
「そうそう。それにおまえが遠藤さんと話してる時、たまに頭からブワーっと湯気が出てる」
「でも遠藤さんがいなくなったあとは……」
「ほぼ残骸」
「まるで抜け殻」
「それでも遠藤さんは、キナコの気持ちに全く気付かない」

「もう、何それ!!」
 貴奈子がテーブルをバンと叩くと、3人は危険を感じて一斉に身を引いた。
「待って待って、あのな、キナコ」
  「あの、みんな……」
「コーフンすんなよー」
「酷すぎない? 私のコトはともかく、遠藤さんはそんな無神経じゃないしっ!!」
  「おーい……」

 ふと、バイトたちは口を閉じた。
 休憩室の入口に人影が見え、そこから誰かが声をかけている。

 遠藤陽己(エンドウ・ハルミ/26歳正社員)が、入口付近で背伸びしながら、部屋の中のバイトたちに手を振っている。
 一瞬の静けさが漂った。
 その場にいたアルバイトたちは、全員が背筋を伸ばして半笑いになった。

「もう、仕事の時間だぞ?」
 しかし、その気さくな声かけに応じる者は誰一人いない。

「いってきまーす」
 3人の男子バイトたちは低い声で周囲の同僚たちに告げ、中腰のまま席を立った。
 誰も目を合わさず、それぞれにゴミを捨てたりエプロンを付け直したり、ドリンクを飲み干したりして俯いたまま部屋を出て行った。
 貴奈子だけは、立ち位置のせいでしっかりと遠藤と目が合っていて動くことができなかった。
「古川さんも、急いでね」
「は、は、はい」
 遠藤は緊張した貴奈子の顔を見て苦笑いしながら、男子3人の後について店に戻った。


 そうか、無神経かぁ。そんな風に見られてるんだなあ……。
 遠藤はうーんと首をひねりながら溜息をついた。


 
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 その貴奈子の台車激突事件が話題になっていたこの日に、また店で事故は起こってしまった。
 それは、遠藤が店頭でお客様に尋ねられた商品を探しに商品置場である倉庫へやってきた時のことだ。
 棚の一番上の箱に入っているようなので、脚立を持って来て上ったところ……。

 やばい、フラフラする。
 しかも箱がデカいし重い。

 ちょうど頭の高さなので、もう一段上がって、箱を引っ張り出さずに中を覗き込もうかと思っていた。
 すると急に足の下から元気な声がした。
「遠藤さん、大丈夫ですか?」
 そこには古川貴奈子が台車を端に寄せて、遠藤を見上げている姿があった。

 若干嫌な予感はしたが、今彼女は台車から離れているし、激突される心配はなさそうだ。
「うん。あ、そうだ、商品取り出すから、受け取ってくれる?」
「いいですよ」
「ちょっと重いんだけど」
「力だけは自信があります」
 自信満々に答える彼女は、くるくると回る愛らしい目でじっと遠藤を見ている。
 本当に大丈夫? と訊きたいところだが、そこはぐっと我慢して言葉を呑み込んだ。

 遠藤はダンボールの箱に手を伸ばして引き寄せフタを開いた。
 その時またふらつきを感じ、よろっとバランスを崩して棚にもたれかかってしまった。こうなると両手を棚につき、落ちないように体を支えるしかない。
「うーん……」
 元の姿勢に戻ろうとしたが、踏ん張る足元の面積が狭すぎて、無理だと気付く。
「大丈夫ですか?」
 貴奈子は心配しているのだろう、落ち着きない様子で、遠藤の真下をぐるぐる回っている。
「ご、ごめん、怖いからじっとしてて」
「はいっ」
 貴奈子はパタと足を止めた。
 離れてほしいという遠藤の願いも空しく、彼女は脚立の真下にいた。

「頑張ってください! 私が支えますから!」
 貴奈子両方の手を伸ばし、遠藤の足首を持とうとしていた。
「いやいや、いい、大丈夫」
 遠藤は棚と貴奈子の顔を見比べた。
「誰か背の高い男子を呼んできて……」
「大丈夫です、絶対私が支えます! 力だけは自信があるんです!」
 彼女の一生懸命な様子に、遠藤はそれ以上何も言えなかった。
 そして、まあ落ちたとしても打ち身程度だなと半ば観念していた。

「とりあえずさ、足持たれると動けないから、こっちに回って来てくれる?」
 遠藤は棚を手すりのように持ちながら、右足を一歩下の段に乗せ、貴奈子にその方向に来てくれるように片手を棚から離して示した。
「わかりました!!」
 直後、ガッシャッという大きな音がした。
 貴奈子自身が脚立に思い切りぶつかっていた。

 遠藤は大きく揺れた脚立から、重心をのせていた右側へと落ちていった。


(同日 午後9時過ぎ)

 閉店後、休憩室でメソメソと泣く貴奈子の前で帰り支度をする男子バイトたちが、憐れみの視線を彼女に向けた。
「もう泣き止んだら?」
「だってっ……」
 コマチが貴奈子の肩をポンと叩いた。
「わざとやったわけじゃないしさ、気にすることないんじゃないの?」
「だってっ……うぇ、え、えぇぇ」
 オザもまた貴奈子の背中をつついた。
「遠藤さん、酷いケガしたわけじゃないし。捻挫程度なんだろ? 大丈夫だよ」
「でもぉ……私がぶつかったから……あうっ、あうっ」
 ボーダーは貴奈子の前に立って、腕組みをして言った。
「もとはと言えば、誰も呼ばずに一人で荷物下してた遠藤さんが悪い」
 その言葉に貴奈子はまだしゃくりあげながら、ぼんやりと呟く。
「……私、誰か呼んきてって言われたような……」


 遠藤は、頭を庇って手から落ちたために手首を痛めた程度ですんでいた。しかし大騒動になったわけで、当然のように店長から叱責を受けた。
「仕事中にケガとかしてくれんなよ。おまえ自身はともかく、バイトまで巻き添えは絶対困るからな」
「申し訳ありません」
 遠藤はただ謝るしかない。
 そんな事務所でのやりとりを、貴奈子が聞いていたことに、彼は気付いていなかった。


 閉店後、社員はまだ仕事が残っているが、アルバイトはすぐにタイムカードを押して店を出ることになっている。
 手首に包帯を巻いたまま、遠藤がパソコンを叩いていると、販売部のアルバイトである男子3人組が事務所の入口で自分を手招きしているのに気付いた。
 遠藤は慌てて席を立ち、彼らのそばに走り寄ると何事かと問いかけて顔を見渡す。
 すると答えにくそうにしている男子バイトたちの中で、ボーダーが最初に口を開いた。
「実は、キナコが……」
「店の外で遠藤さんのこと、待ってます。行ってやってもらえませんか?」
「あのままだと、風邪ひいちゃうんで」

 遠藤は驚いて訳がわからないまま、薄いスーツ姿で建物の外へ飛び出した。
 そこは店の裏口。目の前が従業員用駐車場で、冷たい風が真正面からやってくる。
 2月の底冷えする外気で手足を縮ませ、白い息を吐いている古川貴奈子が、ただじっと立っていた。ベージュのコートのフードを被り、こちらに気付く様子はない。
 遠藤は躊躇うことなく声をかけた。
「古川さん」
 くるりと向きを変え、遠藤の顔を見上げた彼女はひどく驚いていた。なぜ今ここにいるのか、という顔だった。男子3人組が遠藤を呼びに来たということは知らなかったのだろう。
 ということは、貴奈子は遠藤が仕事を終えて裏口から出てくるまで、このまま待っているつもりだったのだろうか。そんなことを考えると、急に彼の中に罪悪感が生まれて来た。

 彼が貴奈子に近づくと、彼女は金魚のように口をパクパクとさせ、顔を赤くした。
 遠藤は彼女に頭を下げた。
「ごめん」
「えっ、えっ、違います、謝るのは……」
 貴奈子は戸惑っていたが、遠藤は顔を上げると申し訳ない気持ちで言った。
「迷惑かけてごめん。古川さんがケガしなくてよかった」
「そんな……私のせいでケガして、店長にも怒られて、全部私が悪いのに……」
 貴奈子の顔がどんどん赤くなる。
 遠藤は知らなかったが、彼女はさっきまで休憩室で泣いており、涙腺がバカになっていて、こらえきれずに涙が溢れ出してしまうのだ。
「ちがうちがう。気にしないで。ね、泣かないで」
 遠藤が貴奈子の両肩に手をかけ、少し揺すった。
 彼女はポロポロと涙を零しながら、顔を上げた。
 夜の月明りに照らされた貴奈子の光る頬を見た遠藤は、ただ困って言葉を探した。

「遠藤さん……顔、赤い」
「あ……だって、そんな可愛い顔で見つめられたら恥ずかしいよ……」
 遠藤は自分に熱があることがわかると余計に心配されると思い、そんな風に言い繕った。

 しかしその言葉は、貴奈子にしてみればただの殺し文句でしかないのだと、まだ気付けないでいる遠藤だった。


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 リサイクルショップ『MAOH』与野川駅前店は、1年前にオープンした。
 他店にいた遠藤も、この店に販売部主任として勤務し始めたのは1年前からということになる。
 オープニングスタッフとして多くのアルバイトやパートタイマーを雇用したが、その中でも販売部所属のアルバイトの男子3人組は、遠藤にとって可愛い後輩のような弟のような存在だった。
 現在、大学生で21歳の“ボーダー”こと柏井、20歳の“オザ”こと小沢、高校2年生17歳の“コマチ”こと小野の3人だ。
 実は当初は販売スタッフとして、そこに古川貴奈子も入っていたのだが、あまりの商品知識の無さと、接客の下手さが災いして、店長が倉庫の荷物運び専門に所属を変えてしまった。
 彼女はそういういきさつで販売部だった時期が少しあり、男子3人組と仲が良く、遠藤のことも慕っている。
 営業時間が午前10時から午後9時のこの店の、店頭の責任者である遠藤は、午前は中尾という社員に任せ、彼は夜の閉店作業のために昼から出勤となっている。


(2月29日 月曜日 午前11時)

 遠藤はこの日、月末ということで少し早めに出社した。
 風邪をひいたのだという自覚はあった。数日前から熱っぽかったしフラフラしていた。咳はどんどん酷くなるし、倦怠感が一向にひかない。
 風邪薬を飲みマスクをして店頭に立ったが、だんだん気分が悪くなり辛くなってきた。吐き気までもよおしてきたので、たまらず事務所に戻り事務仕事に切り替える。
 隣の席の片岡佑輔(カタオカ・ユウスケ)が苦い顔で遠藤を見ていた。
「おまえ、風邪が長引いてない? 大丈夫なの?」
「ちょっと苦しいかな……」
 ゴホッゴホッと咳き込む遠藤に、片岡はボソッと言った。
「病院行ったか?」
「いや……薬は飲んだけど」

 その後、遠藤は店長の一声で早退させられ、病院へ行くことを命令された。
 仕方なく病院へ行った彼は、夕方店に電話を入れた。
「すみません、やっぱりただの風邪だったんですが、こじらせて肺炎起こしかけてたみたいで……」
 電話の向こうでは店長がうーんと唸っていた。
『そうか。疲れがたまってたんだろ。ちゃんと治るまで休めよ』
「はい……」
 店長はスケジュール表を見ているらしく、カサカサと紙の音がする。
『遠藤は2日の水曜が公休か。ほかは有給で処理しとく。店はオレもいるし、中尾も片岡もいるから、心配するな。医者にOKもらったら出て来い』


 遠藤は、皆に勤務時間の変更や残業をさせることになってしまったことに落ち込んでいた。

 情けないなあ……。

 自宅のワンルームマンションのベッドの上にいた。病院で出してもらった薬を飲んで2時間、心なしか楽になったような気がする。
 でもまだ熱と咳と喉の痛みが止まらない。ただ、市販薬を飲んでいた時より、ずっと深い眠りにつくことができた。
 翌朝、水分を補給してまた薬を飲んで眠った。
 そしてその日は夕方まで眠り続けた。それが3月1日のことだ。


(3月1日 火曜日 午後5時前)

 夕方、男子アルバイト3人組と貴奈子は、シフトが同じだったので顔を合わせていた。
 昨日彼らは公休日だったため、遠藤が早退したという出来事を知らなかった。
「うぃー、キナコ、今日遠藤さん休みだって」
 言われて貴奈子は首を傾げた。
 シフト表にも記載されているが、遠藤の公休日は今日ではなく明日である。
「もしかして、手首が痛くなって、急に入院とか……」
 貴奈子が不安そうに口に手をやると、オザが貴奈子の頭を小突いた。
「安心しろ、おとといのケガとは関係ないから」
 振り返らずにそう言って、そのまま通り過ぎようとする。
「ねえ、オザ、休みの理由知ってるの?」
 貴奈子は引き留めるようにオザの後姿に声をかけた。
 オザはチラと貴奈子を顧みたが、何も言わずに前を向いた。
「待ってよ。今日の休みには何か意味があるから私に教えたんでしょ?」
「んー」
 休憩室に続く通路で、3人はようやく立ち止まった。一番年下の高校生、誰もが目を引く美少年のコマチが、溜息をついて振り返った。
「ほんとに聞きたい?」
「え……」
 貴奈子は不安そうに3人を見た。
 いつも落ち着いているリーダータイプのボーダーが、視線は合わさず口を開いた。
「知れば、キナコはいてもたってもいられないだろうな」
「そ、そんな……」
 貴奈子は3人の同情に溢れた、暗い視線を一身に浴び、オロオロした。
「ど、ど、ど、ど、どういうコト? なんで隠すのよ。何があったの? 教えてよぉ……」
「どうする? 教える?」
 3人は顔を見合わせて、何やらコソコソと話している。
「コマチ、おまえ教えてやれよ」
「え、オレ? やだよ、オザが言ったら? 最初に声かけたの、オザだし」
「オレかよ。マジでか」
 オザが渋々と言う顔で、貴奈子の方に一歩足を向け彼女の顔を見つめた。
「な、何なの……?」
 オザの真剣な表情に、彼女は思わず身構えていた。
「実は……」
 そう言いかけたが、オザは視線を逸らし口をつぐんだ。
 その仕草を見て、貴奈子は手で顔を覆った。
「いい、いいよ。聞きたくない、いやだー!」
 彼女はそのまま3人を押しのけて走って休憩室に飛び込んだ。

「あいつ、メンタル弱すぎ」
 ボーダーはボソッとそう呟いた。
「図太そうに見えるのに、遠藤さんのコトとなると、あーなんだよな」
「そんなんで告れんのか?」
「無理っしょ」
「で、ホントのコト、いつ言う?」
「言わなくていんじゃね? 聞きたくないらしいから」
「風邪をこじらせただけらしいんだけどねえ」
 3人はニヤリと笑った。

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(同日 夕方 6時)

 貴奈子がしょんぼりと店の在庫置場で台車の上に座っていると、前方から貴奈子の上司にあたる仕入・物流担当社員の片岡が歩いて来た。
「おまえはいつも、堂々とサボるよな」
 片岡は呆れた口調で言った。しかし、貴奈子がいつものようなハジケた反応を見せないため、少し不審そうに彼女に近づく。
 貴奈子は台車の上で膝を抱えて俯き、動かなかった。
「具合でも悪いのか?」
 貴奈子は黙ったまま首を横に振った。
「ならいいけど」
 片岡は落ち込んだ様子の彼女に背を向け、タブレットを片手に商品を調べ始めた。そして調べ終えてその場を去り際に、チラと貴奈子の様子を見た。彼女は相変わらず顔を伏せ蹲っている。
「おい、キナコ。働く気がないなら帰れ」
 貴奈子は少し顔を上げ、恨めしそうに片岡を見た。
「片岡さん、教えて欲しいことがあるんですけど」
「何だ。……っていうか、おまえ顔赤いな。熱測った方が良くないか?」
 片岡はそろそろと貴奈子の近くにやってきた。
 貴奈子の顔が赤いのは、単に俯いてひざで顔を圧迫していたせいだったが、そのことは本人もよくわかっていなかった。彼女は片岡の言葉を聞き流していた。
「あの、今日……遠藤さん休んでますよね」
「ああ」
「理由知ってますか?」
「ああ」
 片岡は貴奈子の顔を見て、何か気付いたようだった。
「あ、だから……! やっぱりそうか!」
「え……」

「おまえ、おととい遠藤を脚立から突き落としただろ?」
「つ、突き落としてません!」
 貴奈子は必死で首を横に振った。
「その前は台車で轢いたそうじゃないか」
「ひ、轢いてません! ちょっと当たっただけ……」
「そのたびに遠藤、店長に怒られてんだぞ。あいつ絶対ストレスだよ。ストレスで風邪こじらせたんだよ」
「風邪?」
「そーだよ、肺炎の一歩手前」
 貴奈子は肺炎と訊いて少なからず驚いた。そして、その時初めてそれが遠藤の休みの本当の理由だと知った。

 貴奈子は遠藤の休みの理由が、もっと何か恐ろしいコトではないかと想像していた。
 例えば、お見合いだとか、結婚式の衣装合わせだとか、彼女と同棲するための引っ越しなど。男子バイトたちに脅かされたせいで、悪い想像ばかりしていたのだ。
「おまえ、遠藤と同じで赤い顔してるから、あいつの風邪うつってんじゃねーか? おまえ今すぐ家に帰って寝ろ。肺炎になったら面倒だぞ」
 片岡がそう言って貴奈子の背を押した。
「そうかも。うつってるかも!」
 ……遠藤さんの病気を自分が貰うなんて、ちょっと親密な関係っぽくてステキ……。
 貴奈子はスキップでもしそうなほど浮かれて、店から帰っていった。


 遠藤陽己は夕方過ぎ、やっと汗まみれの服を着替え湿ったシーツを取り換えた。少し動いただけで疲れ、すぐまた横になってぼんやりと天井を見ていた。
 肺炎かあ。高校の時も風邪だと思って放置したせいで入院したな。全然学習してないって父さんに怒られそうだな。体調管理は基本だって言うのが口癖で……。そう言えば、あの人は元気なのかな。

 思考は鈍く、体は重く、咳は止まらない。喉が痛む。
 手の甲で、熱くなった額に触れた。その時に、うっすらと変色た手首が見えた。薬の鎮痛作用もあって痛みなどすぐ消えて忘れていたが、捻挫の跡が残っていた。
 古川貴奈子のことをなんとなく思い出した。彼女は責任を感じているのではないだろうか。
 脚立から落ちた日の帰り際、あの程度のことでいつも明るい子が泣いていた。泣くほどのことではないのに。というよりも、もともと具合が悪いのを放置していたオレが悪かったんだ。
 ごめん。
 すうーと意識が遠のきそうになった時、携帯電話のメッセージアプリの音がした。手に取ると、加南子からメッセージが来ていた。
≪今夜行くねー≫
 そんな軽い言葉を見ただけで、頭が痛くなった。
≪具合悪くて。起きられないから放っておいてくれないかな≫
 そんな風に送ると、加南子がお見舞いに行くという内容のメッセージを返してきた。
≪ごめん、一人で静かに寝かせてほしい。良くなったら連絡するから≫
 治るまでは会いたくなかった。彼女に対して抱えている重い気持ちを、いつか吐き出さねばならないのはわかっているが、今は到底無理だ。そんなエネルギーはない。


(同日 夜9時半)

 突然玄関のチャイムが鳴った。こんな夜遅くに誰だろうと不思議に思いながら、遠藤は重い体を動かした。
 狭いワンルームマンションにチャイムは連続で鳴り響く。まるで借金の取り立て屋レベルだな、と彼は思った。
 一体誰だ。携帯電話を見ても着信などの記録はない。だいたい普段なら仕事をしているこの時間に、連絡もせず来る人間なんて自分の周辺では考えられない。
 遠藤は玄関の近くにあるドアホンで訪問者を確認した。深々とニット帽を被った怪しげな男が3人。遠藤は思わず玄関から離れた。ジャージのパンツのポケットに手を入れ、万一に備えて携帯電話を握った。
 すると、今度はドアを手でドンドンと叩き始めた。ギョッとする遠藤に、聞いた事のある声が響いた。
「遠藤さん、いるんでしょー」
 彼は一瞬誰だかわからず、もう一度モニターを見た。
「寒いっすよ、開けてー」
 カメラに近づいて訴えるその顔を見て、遠藤は思わず肩を落として溜息をついた。そしてドアの鍵を開けて、彼らを招き入れた。
「うぃーす」
 3人のデカい男たちが狭い部屋になだれ込む。
「寝てたんすか? チャイムさんざん鳴らしたのに。無視しないでくださいよ」
 コマチが遠藤を冷たい目で睨んだ。
「いや、ゴメン。来ると思わなかったから」
 遠藤は自分の狭い部屋が黒くデカいもので浸食されてゆくことに脅威を感じた。
「はい、これ」
 ボーダーが重そうなコンビニの袋を遠藤に差し出して、さっさと床に腰をおろした。戸惑いながら袋を受け取る遠藤をよそに、あとの2人も遠慮なしにテーブルを囲むように座りだした。
「ありがとう。でも、え、……もしかしてお見舞い?」
 遠藤は、3人がそこまで思ってくれているとは知らず、ただ驚いていた。
「肺炎で倒れてるって聞いたら心配して当然だろ」
 そういうオザに続いて、コマチも言った。
「どうせ、誰も面倒見てくれる人いないっしょ?」
「……うん、まあ……」
 遠藤は慌ててマスクをして3人の傍に座った。



第5話に続く≫
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